1985年のビルボードHot100を振り返る #3

21. Saving All My Love For You - Whitney Houston

1985年といえばホイットニー・ヒューストンがデビューした年だった。最初のシングル「You Give Good Love」がいきなり3位まで上昇し、次にリリースされたのが「Saving All My Love For You」だった。とんとん拍子で大スターになったように見える。
私は「Saving All My Love For You」をどのヴァージョンで聴いたのか、思い出せない。最初にホイットニー・ヒューストンのヴァージョンを聴いた時には、既に馴染みのあるメロディーだと感じたのだった。一応この曲はホイットニーのオリジナル・ソングではない。最初に歌ったのは、マリリン・マクーとビリー・デイヴィス・ジュニアの二人だった。この二人といえば、(私の好きな)フィフス・ディメンションのメンバーであり、二人だけになっても「You Don't Have To Be A Star」で1位を獲得したことのある歌手だ。有名な人達だから、この二人による「Saving All My Love For You」を聴いたのかと思うが、それは多分違うだろう。フィフス・ディメンションならともかく、デュオになってからは「You Don't Have To Be A Star」含む数曲のヒット曲しか聴いたことがない。彼等の「Saving All My Love For You」を自発的に聴いたことはないと断言できる。それはホイットニーのヴァージョンにしても同じだ。つまり「Saving All My Love For You」は、聴こうとしたわけではないがいつのまにか記憶していた曲ということになる。なんだか偉大な感じがしてきた。
ホイットニー・ヒューストンの躍進は今後もまったく衰えない。これからが本領発揮と言ってもいいくらいだ。まずはファースト・アルバムである『Whitney Houston』からどれほどシングル・カットされるかという問題になってくる。80年代といえば、売れたアルバムは呆れるほどにシングル・カットされることで有名な時代だ。ホイットニー・ヒューストンもまた呆れたファミリーの一人となる。最初のシングル「You Give Good Love」のイントロから始まるデジタル・シンセによる綺麗な音は、まさに時代の象徴といったところだ。悪く言えば軽薄だが、そういうところも私は好きだ。しかし前回の記事でも繰り返したように、シンセサイザーが使われているからといって英国のシンセ・ポップ・グループと同じにすることはできない。そこに時代の変化を感じて、寂しさもなくはない。いつもそんなことを言っている。

22. Part-Time Lover - Stevie Wonder

スティーヴィー・ワンダーといえば60年代から大活躍して、70年代で更に才能が開花してという具合に、常に順風満帆な印象だ。私は60年代のスティーヴィー・ワンダーに特に興味があったわけではなかった。もともとモータウンに聴き飽きていた側面があり、スティーヴィーの歌声もそこまで好みではなかったのだ。70年代の有名なアルバム『Talking Book』『Innervisions』『Songs In The Key Of Life』を一気に買って聴いたこともあるが、特にこれといった感想が浮かばなかったこともある。同じミュージシャンのアルバムを一度に複数買うと、印象が散漫になることが多いので、そもそも私のやり方がまずかったとも言える。
しかし、70年代のヒット・チャートを真剣に追ってゆくと、スティーヴィーは独自な路線を突き進んでいて、他の音楽はしょうもなく(今では違った感興をもっている)感じる時もあったので、スティーヴィーも捨てたものじゃないと思えるようになった。
そんなスティーヴィーの快進撃は、1974年で急に途絶えた。これは人気が低迷したのではなく、そもそも何も新作を発表しなかったからだ。それまでのスティーヴィーは休む暇なく新作を出していたが、1974年の『First Finale』を最後に沈黙をつくるようになる。それは大抵のミュージシャンがたどる道で、いかに多作なスティーヴィーでも例外ではなかった。80年代になると、いよいよ顕著になる。別にそれが悪いというわけではない。1980年にはアルバム『Hotter Than July』を発表し、1981年はシングル・カットをやる以外は特になし。82年は数曲の新曲を含むベスト盤『The Original Musiquarium I』をリリース、それからポール・マッカートニーと「Ebony And Ivory」という曲で共演した。83年は特になし。84年は映画『ウーマン・イン・レッド』のサントラ盤を作る。そして85年にアルバム『In Square Circle』を発表する。こうして見ると、意外と活動している。一年おきの創作活動に本気を出しているのは、さすがに意図的な周期だろう。
70年代のスティーヴィー・ワンダーは、クラヴィネットというキーボードで16分をのリズムを刻んでいた印象が強い。それからアナログ・シンセサイザーも多用していた。それが80年代になると、貪欲に最新のシンセサイザーを使うようになった。私はこの記事で隙あらばシンセシンセと書いているが、好きだから仕方がないのだ。当時のスティヴィーのアルバムで仕様されている写真などを見ると、彼が多数のシンセサイザーに囲まれて写っている姿があり、非常に羨ましく感じる。それにしても、目が見えないスティーヴィーはシンセサイザーをどう操っていたのだろう。鍵盤を押すことなら慣れているだろうが、上の方のツマミをあれこれ動かすことに関しても上手くやれるものなのだろうか。それもまた慣れ切っているのか、誰かマニピュレーターに頼っていたのか、本当は目が見えるのか、調べていないので何もわからない。
「Part-Time Lover」は露骨に電子楽器を使っているという印象の曲だ。ハチロクのビートをこれでもかというくらい早めたビートは、とても人力でやるようなものではない。デジタル・シンセの音は随分と硬質で、私にとっては「煮凝り」という言葉がしっくりくる。私の表現は不適切かもしれないが、要するにスティーヴィーはかなり時代への適応に長けていたのだ。1984年にも「I Just Called To Say I Love You」という曲で1位になっており、これは穏やかで、やっぱり全編シンセサイザーによってつくられた楽曲だった。そこから更に進化したのが「Part-Time Lover」だった。これにてスティーヴィーのナンバーワン・ヒット曲は7曲目となった。最初に1位を獲得したのが63年(Fingertips - Part 2)で、それから二十年経っても衰えていないのだ。なかなかできることではない。

23. Miami Vice Theme - Jan Hammer

ここにきてインストゥルメンタルが1位になるところが奇異だ。60年代まではそういうことも多くはないにしても皆無でもなかった。それが70年代80年代となると、極端に少なくなっていった。「Miami Vice Theme」の前に1位になったインスト曲はヴァンゲリスの「Chariots Of Fire」で、これは1982年まで遡らなければならない。ヴァンゲリスはギリシャ人だし、ヤン・ハマーはチェコスロバキアの人だ。外国人がインスト曲で1位をかっさらうという現象が続いている。つまり音楽に国境はないという、いかにもな言い回しを用いた方が良いのだろうか。ヤン・ハマーは鍵盤奏者で、やっていることはジャズ、フュージョンだった。あのマハヴィシュヌ・オーケストラのメンバーでもあったのだ。本当に腕がある人というのはスタジオ・ミュージシャンになるもので、ヤン・ハマーもその系統に当たるのだろうか。なるほど完全に理解した。書けば書くほど歯切れが悪くなるのは、私がフュージョンなる音楽にさほど興味がないからだ。
地道に活動を進める中で、テレビドラマ『特捜刑事マイアミ・ヴァイス』の音楽をつくった。「Miami Vice Theme」は題名の通りドラマのテーマ曲で、これが見事1位となった。ヴァンゲリスの「Chariots Of Fire」にしても映画の曲だったし、やはり何の前触れもなくインスト曲が1位になるものではない。とはいえ「マイアミ・ヴァイス」に関しては、今までにもグレン・フライが何度も挿入歌として採用されており、その度にシングルとしてリリースされてきた。それらの曲が1位になることはなく、ヤン・ハマーのインスト曲が途端に1位になったのだ。85年にはグレン・フライの「You Belong To The City」が2位まで上がったことと比較すると、ヤン・ハマーの功績は異例だ。
このテーマ曲は、しっかりミュージック・ヴィデオまで作られている。独自に作られたもので、ヤン・ハマー自身がドラマに出演しているという体で進んでいる。様になっているのやらどうなのやら。時にはギターやショルダーキーボードを操り、表情をつくっている。それはともかく、ヤン・ハマーが演奏している機材を見ると、実に豪華なものではないか。いつもの私のシンセサイザー趣味だ。フェアライトCMIが置かれているだけで、私は陶酔する。うっかり書き忘れていたが、イントロからして随分なシンセサイザー・ミュージックだ。

24. We Built This City - Starship

スターシップとは、ジェファーソン・エアプレインのなれのはてだ。ジェファーソン・エアプレインがジェファーソン・スターシップになってからも激しい変容が起きていたが、名前が欠落した「スターシップ」ともなれば、もう究極の域だ。優秀なソングライター、プロデューサーに支えられて堂々の再デビューだ。バーニー・トーピンといえばエルトン・ジョンとともに代表曲をつくった作詞家だし、デニス・ランバートも70年代に多くのヒット曲を手掛けたプロデューサーだ。ピーター・ウルフは最初Jガイルズ・バンドのシンガーかと思ったが、同名異人のプロデューサーで紛らわしい。マーティン・ペイジは85年時点では聞きなれない名前のようだが、ハートの「These Dreams」の作曲者でもあり、看過できない。どうやらマーティンはこの時期、バーニー・トーピンとチームを組んでいたようだ。80年代時点でのバーニーはエルトン・ジョンとつかず離れずの微妙な関係が続いていた。
とにかくこれでもかという具合に人材を投入してつくられたのが「We Built This City」という曲だった。バンドとしての独立精神などと言っている暇はなかったのだろう。はっきり言って魂を売っている。とはいえ私は商業ロックという言葉に疑問を抱いている。よほどのインディペンデントでもない限り全部が商業だろうがと思うからだ。もちろん一概に言えることではなく、なんだか高踏な調子でやっている商業音楽もある。それは純文学と大衆小説を一刀両断できないのと同じだ。
曲を聴くと景気の良いお気楽な曲に聞えるが、歌っていることはダイアー・ストレイツの「Money For Nothing」に共通しているところがある。「Money For Nothing」の矛先はスターシップにも向かうものだが、スターシップは自嘲で返しているといった調子だ。商業音楽への皮肉という点では、スターシップは生き証人だ。ポール・カントナーもマーティー・バリンも居ないが、グレイス・スリックなら居る。問題は誰が残っているかではなく、何がどうなろうとスターシップはしぶとくやっているということだ。
ところで私はヴィデオを見るまで、ミッキー・トーマスとグレイス・スリックの声の違いがわからなかった。冷静に聴けば途中で歌手が替わっていることに気付くのだが、二人の声域に差がないから分からなかったのだ。これはフリートウッド・マックでも感じたことで、「Don't Go」を聴いてリンジー・バッキンガムとクリスティン・マクヴィーが歌い分けていることに私は気付かなかった。さすがにスティーヴィー・ニックスが歌っていたらわかる。というか私の耳が狂っているだけかもしれない。
「We Built This City」は2週連続1位となった。これまで私は基本的に何週連続で1位になったということを書くようにしていた。書いていないのがあるとするなら、それは1週のみ1位だったということだ。実は私はレディー・フォー・ザ・ワールドの「Oh Sheila」から何週連続1位だったかを書いていない(多分)。「Oh Sheila」「Take On Me」「Saving All My Love For You」「Part-Time Lover」「Miami Vice Theme」すべてが1週間のみのナンバーワン・ヒットだった。私は何もこれらの曲を、持続力のない雑魚と言っているのではない。これも1985年のヒット・チャートの特徴で、この年はあまりチャート・トップが持続しないのだ。これが1981年あたりだったら事情が違う。5週連続1位だったとして、何も珍しくなかった。それがどうした訳か、1985年になると急に曲の勢いが鈍るようになった。もし「We Are The World」が1981年に登場していたら20週くらい1位だったのではないか。それはさすがに気が狂うかもしれない。
1位の持続力は時に強くなったり弱くなったりする。1966年前後や1974年はトップの座がすぐに変わった。逆に1963年以前や1968年は長続きした。ここにどういう法則があるのか、どうやって調べたら良いのだろう。
それはともかくスターシップの快進撃はまだまだ続く。それこそノリと勢いで1位が獲れる時代の象徴と言ってもいい。

25. Separate Lives - Phil Collins & Marilyn Martin

またしてもフィル・コリンズが表れた。今年で三度目のナンバー・ワンだ。一番の当たりを引いたのは、ジョージ・マイケルでもマドンナでもなく、フィル・コリンズだったのかもしれない。そもそも一年に三曲を頂点に送り込むというのはかなり珍しいことではないか。ビートルズやスプリームズならやっていることだろうが、他には皆無と言って良いのではないか。
今回のフィル・コリンズは、マリリン・マーティンという歌手をゲストに迎えている。マリリン・マーティンと言われても急に出てきた人なので、どう反応したものか。売れに売れているフィル・コリンズとデュエットしたのは、大抜擢といったところだ。1986年にはマリリンが単独で「Night Moves」という曲を出し、そこそこのヒットになっている。最高28位なので、そこそことしか言いようがない。まず「Separate Lives」とは全然違う曲であり、もしかするとパット・ベネター用だったのではと思うほどだ。
1985年にフィル・コリンズは『No Jacket Required』を発表した。「One More Night」「Sussudio」というナンバーワン・ヒットを連続で送り、その後も「Don't Lose My Number」「Take Me Home」とシングル・カットしてゆくわけだが、「Separate Lives」はアルバムの収録曲ではない。これは、またしても映画「ホワイト・ナイツ/白夜」の主題歌なのだった。フィル・コリンズは84年にも映画の主題歌で1位を獲得している(「Against All Odds (Take a Look at Me Now)」のこと。見込みは大いにあったわけだが、ここまで矢継ぎ早に依頼するのかとも思うし、またしても本当に1位になるのだから凄い。
アルバム『No Jacket Required』は非常に電子的で、親しみやすいとともに攻めた内容でもあるが、「Separate Lives」は反対に穏やかなバラードだ。確かに伴奏にはシンセサイザーが使われているが、それでテクノだと言う余地はない。80年代になると男女のバラードものが実に多くなる。そして大変売れる傾向がある。あのマーク・レノとアン・ウィルソンですらバラードを歌うことになるのだ。例外はケニー・ロジャースとドリー・パートンの「Islands In The Stream」くらいか(なぜよりによってバラードが似合う人が例外になるのか)。私はこの手のキャリアを積んだ人によるコラボレーション&バラードがあまり好きではない。かったるく感じるからだ。というわけで「Separate Lives」も例外ではない。

26. Broken Wings - Mr. Mister

何も知らない頃の私は、Mr.ミスターという名前を聞いてトム・トム・クラブみたいな感じなのかと思っていた。The B-52'sみたいな人達なのかとすら思っていた。ヘンテコな音楽なのだろうと決めつけていたのだ。何しろ「ミスター」を二回繰り返しているのだ。ミスター・ミスターさんという人がいるとする。変な人達に決まっている。だから実際の音を聞いて、結構まともなんだと驚いた。
Mr.ミスターの原型はペイジズというバンドで、といったことを書いて満足したいところだ。ところで私はペイジズのことをあまり理解していない。一応聴いたことはあるし、持っているアルバムもあるのだがそこまで強い印象をもっていない。1981年に『Pages』というそのまんまなアルバムを出していて、これが最終作となった。確か悪くない出来だったと思うが、もう忘れている。確認したいところだが、今フィル・コリンズの『No Jacket Required』を聴き返している。
売れないのでは埒が明かない。ペイジズはMr.ミスターとして再出発した。そこで出たのが「Broken Wings」、というわけではなく、その前に出しているアルバムがある。それが『I Wear The Face』で、かなりシンセサイザーを露骨に使った音楽だったことを憶えている。これも持っていて確認したいのだが、まだフィル・コリンズの「One More Night」が終わっていないので聴けない。
『I Wear The Face』は大ヒットしたわけではないが、かなり時代に迎合した甲斐があって、ちょっとばかりの成功を収めた。その勢いを加速させてつくられたのが『Welcome To The Real World』、「Broken Wings」をはじめとした大ヒットが生まれるアルバムだった。今まで小ヒットがやっとだったバンドが、「Broken Wings」でいきなり2週連続1位を実現させたのだ。
「Broken Wings」はなんと雄大な曲だろう。イントロから、ただならぬ雰囲気を感じる。リチャード・ペイジの力強い歌声も印象的で、やはり80年代らしい。バンド・サウンドではなく、シンセサイザーがメインの音作りなのだが、シンセ・ポップというほどでもない。そういえばティアーズ・フォー・フィアーズの「Shout」と似たような感じがする。どうにもヒットの法則として、ある程度の重々しさがないと駄目なのかもしれない。Mr.ミスターが『I Wear The Face』から『Welcome To The Real World』にかけて学んだのは、この重さなのではないだろうか。安直かもしれないが、大味なアレンジによって人に訴えることに成功したというわけだ。
Mr.ミスターの快進撃はまだまだ続く。それこそノリと勢いで1位が獲れる時代の象徴と言ってもいい。この点においてスターシップとMr.ミスターは似たような路を進んでいる。

27. Say You, Say Me - Lionel Richie

私は感動に打ち震えている。実は「Say You, Say Me」で1985年は終わるのだ。三回に分けて記事を書くという長い旅路も、ようやくゴールが見えてきた。それが嬉しくてならない。決してライオネル・リッチーのファンで、「Say You, Say Me」を喜んでいるわけではない。
私はライオネル・リッチーの音楽がそこまで好きではない。コモドアーズの初期はファンクっぽくてまだ笑っていられたが、次第にバラードが多くなってかったるいからだ。これは一時期のケニー・ロジャースに対して抱いていた感想と同じだ。どれも感傷的な曲で、それがひどくヒットするから飽き飽きしてしまった。だいたいライオネル・リッチーは今までにどれほどの曲を1位にさせたか。コモドアーズ時代に「Three Times A Lady」「Still」、ダイアナ・ロスとデュエットした「Endless Love」、ソロで歌った「Truly」「All Night Long (All Night)」「Hello」、ケニー・ロジャースに提供した「Lady」、マイケル・ジャクソンと共作した「We Are The World」、8曲だ。そしてほぼすべてがバラードだ。「Endless Love」にいたっては9週間も1位になった。未だにあの時の絶望を思い出すことができる。
まあバラードだって良いと思える時がないでもない。1位にはならなかったが、コモドアーズの「Sail On」は良いのではないかと思っていた。「All Night Long (All Night)」は珍しくバラードではなく、これはなかなか冴えたところがある。「All Night Long」と同時期に「Running With The Night」という曲もヒットしていて、これも悪くない。私はトーマス・ドルビーが好きで、二作目『The Flat Earth』に収録されている「The Flat Earth」が良いと思っていたのだが、「Running With The Night」を聴いて同じじゃないかと驚いたことがある。ライオネルの作は1983年11月発売で、トーマスのは1984年2月だ。録音時期を考えると、被っているのではないか。偶然同じものを目指していたということもあり得る。
80年代にあれだけヒットを量産していた割に、ライオネル・リッチーは何枚もアルバムを出していないのだから意外だ。1985年時点で2枚しか出ていない。1984年に「Hello」が1位になっているが、これは83年作の『Can't Slow Down』からのシングル・カットだ。とはいえ『Can't Slow Down』は1983年の10月発売だから、実質84年のヒット作と言える。問題は1985年で、「We Are The World」をマイケル・ジャクソンと共作して以来、ライオネルはほとんど新作を発表していないように見える。年末になって急に浮上したと思ったら、それが「Say You, Say Me」で、見事1位になった。これはどうしたことかと思えば、映画『ホワイト・ナイツ/白夜』の主題歌だったのだ。先ほどの「Separate Lives」と同じではないか。同じ映画から二曲もトップ・ナンバーが輩出しているのだから、大したものだ。そして私は『ホワイト・ナイツ/白夜』を観ていない。それにしてもこれで何曲目の映画の主題歌だろう。1985年のビルボード・チャートは最初から最後まで映画に支配されているというわけだ。
「Say You, Say Me」は例によって感傷的だが、私はそこまで嫌いではない。ライオネルと再会するのが久しぶりということもあるし、なんだかんだで良い曲だと思うからだ。途中でアップテンポになるところも珍しくて少し面白い。テンポを変えるなんて余計なことをしやがってと思わないのは、結局のところライオネルのファンではないからで、何でもいいやと思っているからだろう。大変結構な曲だと思う。
「Say You, Say Me」は2週連続1位となって1985年を終わらせた。そして1986年になると、まだ1位を維持していたのだから凄い。1986年の第一週目はビルボード・チャートがお休みだったからカウントしないとして、合計3週間1位ということになる。ライオネル・リッチーは凄まじいシンガーソングライターだった。さて1986年もその勢いが出るだろうか。

こうして1985年は幕を閉じた。本当は1位にはなっていないけれど好きな曲、印象に残った曲、嫌いな曲なども紹介したかったが、とりあえず書かない。気分次第で再会するだろう。ここまで大変だとは思わなかったのだ。今、無事にペイジズの最終作『Pages』を聴くことができている。記憶の通り、悪くないアルバムと思う。そしてまた記憶から抜け落ちる予感もする。


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