1985年のビルボードHot100を振り返る #1

私はビルボードのシングル・チャート(Billboard Hot 100)を毎週聴くということを2017年から続けている。仮に1月1日付のチャートがあるとすれば、その40位から1位までを聴き通す。聴き終われば、次は翌週つまり1月8日のチャートを聴く。こういう作業を1955年から始めて、現在1986年の3月に辿り着いている。つまり1985年が終わって、まだそこまで経過していないのだ。私はせっかちなためか、一度終えた年のことをじっくり振り返らずに、どんどん先に進もうとしているが、もったいないと思うこともある。1985年のヒット・チャートはどのようなものだったのか。今一度、振り返ることで、私の音楽探求はさらに確固たるものにはずだ。手始めにチャートで1位を獲った曲に焦点を当てて、感想や興味深い事実などを掘り下げてゆくことにする。

1. Like A Virgin - Madonna

https://youtu.be/s__rX_WL100?si=AK-GOV5Rg1Djo3Qm

シングル・チャートを見ていると、年をまたいで1位を維持する曲というのがあるが、マドンナの「Like A Virgin」はまさにそれだった。1984年の12月22日に1位を獲得し、翌年になっても4週連続で威力を保った。ここまで々曲が1位に居坐っていると、飽きてしまうのが私の性分だ。1983年から商業的成功を築いていったマドンナにとっては初のナンバーワン・ヒットとなった。なんといっても題名が良いのだろう。「Virgin」を曲名に使ってヒットした曲は前例がない。こんなことは60年代ではあり得ないことだ。1968年に「Me And Mrs. Jones」という曲があるが、浮気を題材にするだけでも精いっぱいだった時代もあったのだ。80年代のマドンナの歌声を聴いていると、とても「クラスのマドンナ」などとして連想される美しい女性のイメージと結びつかない。声がやけに甲高く、妖艶な表現などとは程遠い。なぜこんな芸名を、と思うがマドンナはマドンナが本名なのだから仕方ない。
1985年はマドンナにとって最初の当たり年で、その後の活動も大変よろしいものだった。「Like A Virgin」はずばり『Like A Virgin』というアルバムからの先行シングルだ。その次にアルバムからカットされたのは、「Material Girl」で、私はこちらの方が断然好みだ。こちらも最高2位という大ヒットとなった。

何が良いかって、作曲者があのピーター・ブラウンだからだ。70年代後半に「Do Ya Wanna Get Funky With Me」「Dance With Me」をヒットさせた人物だ。シンセサイザーの多重録音によるディスコ・ミュージックが特徴だった。そんなピーター・ブラウンの名を久しぶりに見たのだから、驚きだった。私は「Material Girl」を何も知らないまま聴いて、良いシンセ・ポップだと思っていた。後年、ビルボード・チャートを追うことでピーター・ブラウンを知って、しばらくしてから「Material Girl」で再会することになったのだ。点と点が線で繋がったことを私は喜んだ。私はシンセサイザー・ミュージックも好きだから、自分の感性が一本の強い線で結ばれていることを感じたものだ。

2. I Want To Know What Love Is - Foreigner

最初の頃は格好いいハード・ロックをやっていたはずだが、いつの間にかバラード・バンドになっていた。これは70年代のバンドが生き残りを図るためによくやる手法だ。フォリナーもまた例外ではなかった。1981年には「Waiting For A Girl Like You」というバラードで確実に1位を獲得できるほどの勢いをつくることができたのだが、オリヴィア・ニュートン=ジョンの「Physical」が9週連続1位を獲り続けていたため遂に頂点に辿り着けなかった。今まで清楚路線でやっていたオリヴィア・ニュートン=ジョンが急に肉体がどうこういう曲を歌われてはひとたまりもない。ようやく「Physical」が1位の座を譲ったと思えば、ダリル・ホール&ジョン・オーツの「I Can't Go For That (No Can Do)」が割り込んできた。かなり抑制された曲調だから、これが1位になるのは意外だと思う。

https://youtu.be/ccenFp_3kq8?si=72WZCDHweSw4VsOq

なんやかんやで「Waiting For A Girl Like You」は10週連続2位という、それはそれで珍しい記録を打ち立てた。そんなフォリナーにとって「I Want To Know What Love Is」は渾身のリベンジ作だった。それで本当に二週連続1位になるのだから大したものではないか。ミュージック・ヴィデオを見ると、当時のフォリナーのメンバーの姿を見ることができる。ほどほどに年を取った男性の姿を拝むことになるだろう。この曲は『Agent Provocateur』というアルバムに収録されている。私は最初ジャケットを見て、テクノ系のグループのアルバムかと思った。なんなら今、ジャケットの図形が「Foreigner」の「F」を表していることに気づいたくらいだ。

3. Careless Whisper - Wham!

https://www.youtube.com/watch?v=izGwDsrQ1eQ

1984年に「Wake Me Up Before You Go-Go」で初の全米ナンバーワン・ヒットを得たワム!が、次に送り出したのがこの曲で、三週連続1位となった。「Wake Me Up Before You Go-Go」は「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」なんていう邦題がついたように実に楽し気な曲だったが、「Careless Whisper」は一転してバラードだ。これは勇気の要ることだと思うが、ジョージ・マイケルの才能を鑑みると、まったく異なるタイプの曲を打ち出すことができるという事実は非常に有利に働いたのだろう。当記事の見出しでは、単に「Wham!」と書いたが、正確には「Wham! featuring George Michael」という名義で発表された。要するにジョージのソロ曲ということだ。ワム!はジョージとアンドルー・リッジリーという二人組であることは有名だ。そしてアンドルー・リッジリーが何を担当しているのかイマイチよくわからないことも有名だ。ライヴ映像では、ギターをぶら下げて踊るアンドルー君の雄姿を見ることができる。ワム!はジョージ・マイケルの才能なくしては成立しないのは明らかだが、それにしても露骨なシングル・カットだ。ワム!はイギリスのグループで、1982年から既に人気を得ていた。それにしてもビルボードのシングル・チャートの40位圏内を追っていると、ワム!は「Wake Me Up Before You Go-Go」で突如現れた存在に見える。急に現れたと思ったら、もうメンバーがソロ活動を始めているのだから、あまりにも展開が早すぎる。実際にワム!の活動は実に短いものとなった。
この曲があったからこそ、ワム!そしてジョージ・マイケルの存在は確固たるものとなった。しかしこの曲はそんなに良いものなのかと私は思う。これはジョージ・マイケルだからヒットしたのであって、他の誰かだったら同じ結果にはならなかったのではないか。私はカルチャー・クラブの「Karma Chameleon」に対しても同じような感想を抱いている。
ビルボードHot40を聴いて、ちょうど「Careless Whisper」が1位になっていた時、私はインターネットの友人とメールをしていた。会話の中で、シングル・チャートを追っているという話になり、いかに時代ごとにポピュラー・ミュージックがいかに変容していったかを示すことになった。私は1955年のナンバーワン・ヒット曲である「Mr. Sandman」と、今1位になっているからという理由で「Careless Whisper」を正直に提示したものだ。その時の私は、80年代といえばシンセサイザーによる軽薄な曲があるではないかと、時機の悪さを恨んだものだ。私がこんなにうだうだ言っているのは、「Careless Whisper」が5分もある曲で、毎回聴くことに飽きていたからでもある。

4. Can't Fight This Feeling - REO Speedwagon

結成当初から約十年、全然売れなかったが1979年に「Keep On Loving You」というバラード寄りの曲でいきなり1位となったが、次第に目立たない存在になりかけていた中での大復活。この曲はアルバム『Wheels Are Turnin'』からの二枚目のシングル・カットだ。先行シングルとして「I Do' Wanna Know」という、そこまでヒット・ポテンシャルがあるようには感じられない曲を送り出して、案の定最高29位というまずまずの結果となっていた。そこでいざ「Can't Fight This Feeling」がシングルになると、余裕で三週連続1位になるのだった。聴いての通り「Keep On Loving You」に通ずるバラード路線の曲だ。最初からこれをシングルにすれば良いじゃないかと思うが、そこはREOスピードワゴンにとっての意地があったのだろう。「Can't Fight This Feeling」がヒットするのはわかりきっているから、あえて違う色の曲から始めようという考えではないか。私自身、初期のREOスピードワゴンを聴き込むことができていない(大半の人がそうだろう)から下手なことは言えないが、元々REOスピードワゴンは「Keep On Loving You」のような曲を歌うバンドではなかった。「I Do' Wanna Know」はどちらかといえば初期の路線に近いようだ。この曲をはじめにシングルとして打ち出したことにバンドの意思を感じるわけで、それはそれで良いことだと思う。
ミュージック・ヴィデオを見ると、当時のREOスピードワゴンのメンバーの姿を見ることができる。ほどほどに年を取った男性の姿を拝むことになるだろう。それはともかく、なかなか良い映像に仕上がっている。歌手のケヴィン・クローニンが、老人と化して終わる演出が感傷を誘う。今となってはケヴィンも特殊メイクなんかしなくてもすっかり老人なのだが、映像のように老いているかというと、ちょっと違うようだ。そもそも若い時からあまり若く見えない人だった。

5. One More Night - Phil Collins

先程、マドンナにとって1985年は当たり年だったと書いたが、それはフィル・コリンズにとっても同様だ。別に当たり年は一人だけに与えられなければならないという法はない。とにかくフィル・コリンズは不可思議なまでにヒット・メーカーとなった。もともとジェネシスという何か変なバンドでドラムを担当していたが、リード・ヴォーカルのピーター・ガブリエルが脱退したために、代わりにヴォーカルも担当することになった(ドラムは廃業していない)。ジェネシスの商業的成功はむしろそこからで、かつては無縁だったシングル・ヒットも連続するようになった。その調子でフィル・コリンズはソロ活動を開始し、そちらの方が売れるようになる。元来からジェネシスは、プログレッシヴ・ロックと言われる難解で長尺なジャンルの音楽性をもっており、その精神はフィル・コリンズがフロントマンになってからも一応忘れられなかった。一方でフィルのソロ路線は、もっと素直なポップ・ミュージックを模索することになり、ヒットするのも納得できる話だった。
「One More Night」は『No Jacket Required』というアルバムに収録されている。これはフィルの三作目のソロ・アルバムだ。フィルを問答無用の美青年だという人は少ないだろうが、歌手としてのフィルは存外ヴィジュアルを押し出した活動をしている。何しろ『No Jacket Required』のアルバム・カヴァーは本人の顔のアップだ。これは初犯ではなく、最初のアルバム『Face Value』からして凄まじいドアップを披露している。私がフィルの立場だったら絶対に嫌だ。

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私はフィル・コリンズが80年代に何をやっても上手くいく状態になっていたことが不思議に思えてならないのだが、やっぱり良い曲は良いし、フットワークがやたらと軽かったし、本人のキャラクター性も好印象を抱かせたのだろう。それにしても不思議に思ってしまう。
1984年の暮れにフィル・コリンズは、アース・ウィンド&ファイアーを脱退したばかりのフィリップ・ベイリーと「Easy Lover」という曲をリリースし、大ヒットを記録した。惜しくも最高2位だったが、普通なら1位になる規模のヒットで、この曲によってフィルのポップ・スターとしての地位は確定した。


これだけ書いて「One More Night」についてあまり書いていないことに気づいた。この曲は二週間連続1位となった。普通に良い曲だと思う。そう言うしかないのではないか。数ある1985年のヒット曲の中でもトップクラスで静かな曲だ。何かと叫びがちなフィルも、この曲では一貫して抑えた声で歌っており、意外と綺麗な声をしていると思うのだった。

6. We Are The World - USA for Africa

本一冊が書けるくらい情報量が多い、誰もが知る曲だ。こうも個性の強い人間が一か所に集って地球が無事だったことに感謝しなければならない。その気になれば色んなところで爆笑できる、実に便利な曲だ。
これも有名な話だが、「We Are The World」の元ネタはイギリス産の「Do The Know It's Christmas」だ。名義はバンド・エイド。

そういえば「We Are The World」はチャリティー・ソングで、イギリスで先にやられたアイディアに便乗した結果なのだ。バンド・エイドでは、基本的にイギリスの新進気鋭の若者達によって構成されている(ちゃっかりフィル・コリンズもドラムで参加しているし、映像にも出演している)。アメリカは、ただ便乗するだけでなく、芸歴が何年かもわからないような大御所を何人も引き連れて、壮大な曲を作り上げた。はっきり言って卑怯だ。私は「We Are The World」のミュージック・ヴィデオを見ていると、一人ひとりが登場する度に爆発の演出を付け加えたくなる。
USA for Africaというグループに参加しているのは、基本的に長年売れ続けている人達だ。彼らは60年代から70年代にデビューして大ヒットを生んでいることが第一に重要だ。次に重要なのは、80年代になってもヒットを出すことができているかという点だ。例えばティナ・ターナーは、1980年前後に低迷していたが、1984年に『Private Dancer』で返り咲いた。これがなければティナにUSA for Africaへの参加権利はなかったのではないか。ヴィデオに映っているのは、時代の荒波に揉まれつつも耐え続けた人達だ。個性豊かになるのには理由がある。若干、指揮者であるクインシー・ジョーンズが育てたシンガーが優されている傾向にあるのは秘密だ。基本的に相当なキャリアを経ている人がほとんどだが、ヒューイ・ルイスとシンディー・ローパーはまだ新人扱いだ。それにしては怖気づいているようには見えない。
スター大集合といった趣の曲だが、そこには悲しみもないではない。というのもこの曲は一つの時代の終わりでもあるからだ。はっきり言って、ここに映っている人達の大半が1985年に節目を迎えている、つまりそれ以降はあまりぱっとしない活動になっている傾向があるのだ。85年時点で明らかにヒットが続いていると言えるのは、スティーヴィー・ワンダー、ティナ・ターナー、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーン、ダリル・ホールといったところではないか。キム・カーンズ(最後にソロを歌っているかすれ声の女性)はよく参加できたと思うくらい地味な存在に感じる。マイケル・ジャクソンはどうしたんだと思うかもしれないが、マイケルは85年に「We Are The World」を作曲した以外には特に新作を発表していない。
彼らが85年以降、ろくでもない歌しか歌わないようになったというわけではない。私が言いたいのは、60年代から長きにわたって続いたポップ・ミュージックという形式が、85年あたりでそろそろ終わろうとしているということだ。この件にしては後でまた少しふれるだろう。私はヒット・チャートを見て聴き続けて、今1986年にいるがどうも予感は的中している。これ以降、どんどん馴染みのない方向に行きそうで私はついていけるか心配だ。
そんな予言は外れるかもしれないので、あまり追究しないとして、「We Are The World」の映像からは実に輝かしいものを感じる。正直、USA for Africaの参加者の大半が、私の好みの歌手ではなかったりするのだが、それはそれとしてこれほどの人達が一堂に会するというのは凄いことだ。できることならこの人に参加してもらいたかったなどと、俺的最強We Are The Worldを考えることもある(ちなみにフランキー・ヴァリーは必ず参加している)。それから、映像に映ってはいるがソロ・パートは割り当てられていない人達を見るのも楽しい。別にソロを歌わせてもらえなかった惨めな者どもwwwみたいな趣味ではなく、結構な大物(ハリー・ベラフォンテやスモーキー・ロビンソン)が歌っていないので、ちょっともったいないと思うのだ。
この曲は四週連続1位となった。これほど有名で大規模な曲なのだから、十週間くらい頂点にいるのかと思っていたが、そんなことはない。この思ったより1位が持続しないのも、1985年の特徴で、このことについては今後もふれてゆくだろう。
ちなみに7インチシングル・ヴァージョンでは、曲の長さが6分22秒に短縮されている。コーラスが延々と続いた末に、ジェームズ・イングラムとレイ・チャールズが掛け合いを始めたところでフェード・アウトするという終わり方だ。ただでさえ長い曲なので、どこかで終わらせる必要がある。

7. Crazy For You - Madonna

マドンナの1985年は凄いみたいなことを先程も書いたが、それは一年に二曲もナンバーワン・ヒットを送り込んだからだ。「Material Girl」が惜しくも2位に甘んじた後に、「Crazy For You」で再び1位になった。1位の期間は一週間のみ。
やたらと大ヒットすると思ったら映画の主題歌だったというはよくあることで、「Crazy For You」もまた例外ではない。『ビジョン・クエスト/青春の賭け』なる映画の主題歌だったという。私はこの映画を観る日がくるのだろうか。多分こない気がする。80年代のヒット曲つき映画は割としょうもないものが多いという偏見があるからだ。
デビュー当初からダンス・ミュージック中心の曲ばかり歌っていたマドンナだったが、「Crazy For You」は打って変わってバラードだ。私はマドンナの声を甲高いばかりだと先にも書いたが、この曲のキーは割と低めで、さすがに歌声も金切り声にはなっていない。それにしても低音域はまあ大人びた女性の印象を感じるが、音程が高くなるといつものマドンナが出るわけで、結局正体が表れているという具合だ。この辺がこの時点のマドンナという歌手の限界であり、しばしお付き合いくださいといったところだ。私はこの曲が全然好きではない。

8. Don't You (Forget About Me) - Simple Minds

これも一週間のみ1位になった。そしてこれまた映画のテーマ曲だ。映画の名は『ブレックファスト・クラブ』という。いったい、私はこの映画を観る日がくるのだろうか。非常に怪しい。
映画の出来は知らないが、シンプル・マインズがアメリカでナンバーワン・ヒットを獲得したのは喜ばしいことだ。もともとイギリスではそれなりに存在感を発揮していたバンドだったのだが、アメリカではなかなか芽が出なかった。アルバムはアメリカでもそこそこ売れるが、シングル・ヒットは全然ないという状況からの突如のナンバー・ワンなのだから唐突だ。
私は初期のシンプル・マインズが好きで、特に1980年の「I Travel」を気に入っている。

初期のシンプル・マインズは現在入手困難で、早く再発されないかと思っている。私もファースト・アルバムはレコードでしか持ってない。セカンドは輸入盤の紙ジャケットで、サードは日本盤という見事なばらつきで収集している。
初期のシンプル・マインズと比較すると、「Don't You」は随分と洗練されたという印象をもつ。ただすっかり変わってしまったと残念に思うほどではない。作曲者は本人によるものではないのだが、違和感なく聴ける。1985年には『Once Upon A Time』というアルバムが発売され、ここからシングル・カットされた曲もヒットしたので、大変結構なことだった。どうでもいいことだが「Don't You」は私でも苦しまずに歌える音域の曲で、これは非常に珍しい。多分85年のワンバーワン・ヒット曲の中では唯一のものではないか。

9. Everything She Wants - Wham!

またしてもワム!のお通りだ。「Wake Me Up Before You Go-Go」「Careless Whisper」に続いてのナンバーワン・ヒットで、これで三枚連続でシングルが1位になったことになる。相当な快挙だ。「Careless Whisper」では、早くもコンビ解消かと思うほど露骨なジョージ・マイケル単独路線だったが、今回は一応純粋にワム!と言えるもので、杞憂民は去るがよい。それにしても本当にこれはワム!と言えるのだろうか。相方のアンドルー・リッジリーはどこで何を担当しているのだろう。とはいえワム!であることは確かだ。なぜなら、「Everything She Wants」のシングルのピクチャー・スリーヴには、確かにアンドルーがジョージとともに写っているのだから。ミュージック・ビデオにもはっきりとその姿が映っている。決して心霊の類ではない。
「Careless Whisper」と同様に、私は「Everything She Wants」が良いのか悪いのかよくわからない。人気があるからヒットするのは当然としても二週連続で1位にまでなるかという感がある。そろそろわかってくることなのだが、1985年になると、一度勢いを得たミュージシャンは連続して1位を獲ることができる傾向になっている。それは60年代や70年代ではかなり難しいことだった。だからこそ、それがいとも容易くできたビートルズは偉大だった。それと比べると、1985年はノリで1位になれるのだから、ぬるいといえばそうかもしれない。
「Everything She Wants」は私にとって好きな曲ではないが、凄いものは伝わる。結局これも、ジョージ・マイケルの才能の巧みな提示なのだ。「Wake Me Up Before You Go-Go」では60年代モータウンを彷彿とさせるアップテンポで正統派ポップ、「Careless Whisper」は急転して哀愁ただようアダルト・コンテンポラリー、そして「Everything She Wants」は完全打ち込みサウンドによるダンス・ミュージック。このように一曲ごとに全然違う曲を打ち出すことをしているのだ。実際「Everything She Wants」の次のシングル「Heaven」は、「Wake Me Up Before You Go-Go」と同じ60年代風の曲で、手の内が見えていたのだろう、最高3位だった。
好むと好まざるとにかかわらず、こいつは一体何者なんだと思ってしまう。とにかくジョージ・マイケルの才能を認めるしかない。そういう凄まじさがあった。というわけで、ワム!も1985年が当たり年ということにしよう。これで三人目になってしまった。
ちなみにこの曲はシングルとして発売される際に、リミックスされたヴァージョンが採用されている。アルバム・ヴァージョンとは違うようでもあるし、だいたい同じようでもある仕上がりになっているので、一つ注意が必要だ。

10. Everybody Wants To Rule The World - Tears For Fears

直前に1位になっていた曲がEverythingで、こちらはEverybodyから始まる(しかもどちらにもWantsという単語がある)のでちょっとだけ紛らわしい。しかし歌っている人も曲の内容も全然違う。共通しているのは、ワム!もティアーズ・フォー・フィアーズも同じイギリスのグループというところだろうか。国が同じなだけで一括りにするのは乱暴だろう。それはともかく、ティアーズ・フォー・フィアーズが登場したことに、私は待ってましたと歓迎する気持ちでいる。
ティアーズ・フォー・フィアーズといえば、私は昔から聴いていて思い入れが深い。1983年に『The Hurting』というアルバムでデビューし、他のシンセ・ポップ・グループとは一線を画する高品質の楽曲を送り出した。どのシンセ・ポップ・グループも、他とは一味違うと言われるのであまり信用ならないのだが、ティアーズ・フォー・フィアーズはやはり別格だと思う。大抵のイギリスのミュージシャンは、自分の国で成功を収めて、そこからアメリカに進出しようとする。問題なのは、アメリカという良くも悪くも大味で、あまり繊細な感じがしない(偏見)国柄に合せるために、元々の素質を棄ててしまいかねないことだ。ネイキッド・アイズなんかは典型だったのではないか。ヒットした「Promises Promises」と、アメリカナイズされた「(What) In The Name Of Love」を比較すればわかると思う。
その点、ティアーズ・フィアーズはアメリカ進出しても、自分の持ち味を失っていない。進化すらしている。ただし、あまりルックスで勝負しているわけでもない人達が、アルバム・ジャケットにデカデカと写し出されていることに関しては、アメリカ上陸に必要な洗礼だったのかもしれない。別に根拠はない。

私はティアーズ・フォー・フィアーズの音楽を「シンセ・ポップ」だと書いた。つまりシンセサイザー中心の音楽だと言いたいのだが、「Everybody Wants To Rule The World」を人に聴かせると、あまり同意が得られない気がする。確かにシンセサイザーは使われているが、それは80年代なら当たり前のことで、あえて「シンセ・ポップ」と言わなければならないほどの音楽なのかと問われると、私もそう思ってしまう。私は嘘をついているのではなく、彼らのファースト・アルバムである『The Hurting』はもっと電子音楽じみているのだ。そこからの「Everybody Wants To Rule The World」、さらにはアルバム『Songs From The Big Chair』への展開を鑑みると、なかなかすごいものだと思う。シンセ・ポップなるものが当り前となったのがいつかと言えば議論の余地が分かれるところだが、1981年には確実に始まっているのは確かだ。随分いろんなグループがあったものだが、気づけばもう1985年だ。そこが恐ろしいところで、さっき「We Are The World」でも言ったように1985年はいろいろと節目の年だと思う。さきほどは往年のミュージシャンの活躍の余地がそろそろなくなってきているといったことを書いた。それだけでなく、シンセ・ポップとしても、もう同じことは続けていられないという領域に入っているのだ。原因は一つではないが、やはりシンセサイザーが全然珍しい楽器ではなくなったことは大きい。かつてのシンセサイザーはたいてい高価で、扱いも難しいものが多かった。ところが1984年になるとヤマハのDX7のような安価で簡単に良い感じの音が出せるデジタル・シンセが登場したことで、シンセサイザーの導入はかなり容易なものとなった。例えば、1985年にはフレディー・ジャクソンという黒人歌手がデビューしており、アルバム『Rock Me Tonight』からは三曲のヒットが出た。聴いていると、シンセサイザーの活躍はかなりのものだ。しかしこれをシンセ・ポップと捉えようとするとどうも違和感がある。ハワード・ジョーンズが一人でシンセサイザーと格闘してやっていたことと同じだとはどうしても思えない。電子楽器が好きでDIYの感覚でやっているのと、単に使いやすいし流行の音だから使っているのとでは、全然話が違う。ここまで単純に区別できる話ではないにしても、とにかくシンセサイザーが使われているからといって同じ精神が宿っていると言える時代は終わったのだ。
このような時代にティアーズ・フォー・フィアーズは『Songs From The Big Chair』を発表した。露骨なシンセサイザー・サウンドではないが、そこには確かにシンセ・ポップの精神があると感じる(だからシンセ・ポップ好きだった私は違和感なく聴けた)。ティアーズ・フォー・フィアーズは停滞することなく、進化することを選んだ。とはいえ殊更にシンセサイザーに魅了された人達という感じもしないので、当然の流れなのかもしれない。
「Everybody Wants To Rule The World」のイントロを聴いていると、速いテンポなのかと一瞬思うが、ビートが始まると実はスローなのだということがわかる。ここがトリックになっているようで、最初に聴いた時の私は面白い当惑を感じたものだ。そういう思い出も含めて好きな曲だったのだが、残念ながら『テスラ エジソンが恐れた天才』という映画で、ニコラ・テスラが「Everybody Wants To Rule The World」を死にそうな声で歌うという意味不明な演出を目にしてしまったため、すべてが崩壊した。嫌な予感に限って当たるものだ。急にイントロが流れ、ニコラ・テスラがマイクの前に立っている映像を見た時、私は「頼むから歌うな」と願ったほどだ。

11. Heaven - Bryan Adams

映像はライヴ風仕立てで、謎の飲酒運転パートがあってよくわからないが、曲自体は素直に良い。ブライアン・アダムスの四作目のアルバム『Reckless』に収録されている。『Reckless』は大ヒット作で、六曲もシングル・カットされてすべてヒットしている。その中で最も高いチャート・ポジションに立ったのが「Heaven」で、ブライアンにとって初のナンバーワン・ヒットとなった。最初のヒット曲は1983年の「Straight From The Heart」で、私が一番好きなのは結局これだ。「Heaven」は「Straight From The Heart」と同系統の曲だ。どちらも悲哀を誘う曲調でありながら、熱いものも伝わってくる。それはブライアンの歌唱法が凄いのであって、よくこの声が持続するものだと感心する。普通の人なら数分で喉がつぶれるだろう。
「Heaven」は『Reckless』からの最初のシングルではない。順番を記すと「Run To You」「Somebody」「Heaven」「Summer Of '69」「One Night Love Affair」「It's Only Love」という具合だ。それぞれの最高位は
6位、11位、1位、5位、13位、15位だ。このように、アルバムからどういう順番でシングルにしていって、その売上の推移がどうなるかを見てだけでも、時代は変わったという気がする。少し前なら、アルバムから良い曲だと思う順番にシングル・カットするのが普通だったのだ。つまり最後になるほどあまり良い曲ではなくなる。そうなると、チャート・ポジションもだんだん下がっていく、これが普通だ。ところが『Reckless』を見ると、最後の方はともかくとして、「6位、11位、1位」の箇所を見ると何だか変な動きをしていると感じる。多分最初に「Heaven」をシングルにしていればこんなことにはならなかったのではないか。これはアルバムに優れた曲がたくさん入っていて、余裕がある証拠だ。決して「Run To You」や「Somebody」が、「Heaven」以下ということを言いたいのではない。あれこれ考えてシングルを切る時代になっているのだということを言いたいのだ。さきほどのREOスピードワゴンの時もそうだが、あえてここから行くという判断も可能になったということなのだろう。私は彼等に「次はこいつをシングルにすると良いと思うんすよね」などと助言をしたことがないので実態がどんなものか知っているわけではない。とはいえ、70年代後半や80年代前半にはあまり見られなかった動きが85年にはあることだけはわかる。

ようやく11曲目に到達したのだが、1985年のナンバーワン・ヒット特集はまだまだ終わらない。なんといっても1985年には27曲ものチャート・トップがあるのだ。つまりまだ前半でしかない。本当は全曲を紹介したかったのだが、文字数が一万字を超えていて大長編になってしまうので、次回に持ち越すことにしたい。
なぜ11曲という半端な数なのかというと、私がカウントを間違えたからだ。「Don't You」と「Everything She Wants」がどちらも9番目になっていることに気づくのが遅すぎた。まあ、おかげで残りのヒット曲が一つだけ減ったから、これからの負担もほんの少し軽くなる。11曲目はボーナス・トラックという認識で押し通すつもりだ。

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