X君のおとしもの ~不法投棄編~

それは2月14日のことだった。
私はインターネットで知り合った人間と対面して、即日相手からブロックを受けた。相手と別れる前、私のTwitterアカウントを教えようとした時に、私とまったく同じ名前(欄干代表)のなりすましアカウントを見つけた。これだけでも私にとっては大事件だったのに、事態はさらなる混乱へと突入する。

一回目

その日、私は実家へ戻ることにしていた。時刻は19時半を少し過ぎた頃だ。家に入って間もなく、私は玄関に置かれているピアノを拙い手で鳴らしていた。それから一時間前後で母親が帰ってきた。母親は妙な顔つきでビニール袋を手に提げて現れた。これはお前のかという問いかけをしてくるが、そんなわけはない。ビニール袋は母親のものでもなく、家のすぐ前に置き去りにされたものだった。母親が不審に思ったのは当然で、それは明らかにゴミであり、しかも食べ物を食い散らかした跡だった。袋の中を覗くと、以下のものが見えた。

希望者には無修正版を配布予定(予定)

一番左は見ての通り、カルビーの『ピザポテト 明太マヨ風味』だ。真ん中は『マカロンアイス ストロベリーショコラ』で、セブンイレブンとチョコレート専門店「CHOCOLATE BANK」のコラボ商品だ。一番右は中身が残っていて見せるのが忍びないので加工しているが、これは『ベーコンチーズマカロニグラタン』で、やはりセブンイレブンの商品だ。この三点の残骸が、セブンイレブンのレジ袋に入れられて家の前に放置されていた。さらに具体的な場所を言うと、駐車場のすぐ傍の側溝だ。そこでゴミ袋は平然と置き去りにされていたという。

まず私が思ったのは、謎の人物が食べたものが気に入らないということだ。唯一『マカロンアイス ストロベリーショコラ』は食べたことがあって美味だと思うが、他はよく知らない。なぜそんなものを食べるのかと思ってしまった。これは食べたものによっては不法投棄を認めてやるという審査ではない。なんというか、私とは全然別の育ち方をした人間の証を突き付けられるというのは厭なものだ。とはいえ私は、眼前のゴミに対して冷静、無関心の態度をとっていた。何といっても最初にも書いた通り、私は初めて会った人間から原因不明の拒絶を受けたのだ。実家の前の側溝に食い散らかした後のゴミが放置されたことと、これから仲良くしようと思っていた生の人間からブロックという不意打ちを喰らうことを比較したら、私の場合後者が勝った。もちろんショックという度合いでだ。ゴミくらい棄てれば良いではないか、それよりこっちの傷心はどうしてくれるのかという気分だ。そういうわけで私は母の訴えにあまり取り合わなかった。もちろん内心では気にならなかったことはない。少しばかり不気味なものを感じたし、私怨という説さえ浮かんだ。私自身が抱える「ブロック事件」とゴミがないまぜになって、さらなる不安と不快が生まれたことを否定することはできない。とはいえゴミは一度投棄されたらそれまでの話だ。我々人間の営為は連続性に満ちているから、単発の出来事がいつまでも頭の中の重要な課題となるわけではない。精神状態によっては悩まされるのかもしれないが、私の場合何度も繰り返すように「ブロック事件」があったし、そうでなくてもやりたいことやらなくてはならないことが多数あるため、すぐに忘れゆく出来事になろうとしていた。しかし話はこれで終わらなかった。

二回目

ゴミ投棄から六日後の2月20日、時刻は午前九時を過ぎていた。私は実家までの道を歩いていた。家を前に車が停まっているだけの光景が広がっているはずであり、一週間前の事件のことなど思い起こすことはなかった。次第に私の視力は、駐車場に付着する何か白いものを認めるようになった。最初は風によるいたずら、あるいは見間違いかと思った。ところが家に近づくほど、ただならぬ状況が確かなものになるのだから、私の歩調は激しくなった。
ゴミはまたしても捨てられていた。今度はあたり一面に散乱している。さすがにこれは異常だと思い、一時は計り知れない悪意を感じもした。しかし前日の夜は激しい雨が降っていることも考慮するべきだった。いずれにしてもゴミが捨てられていることは現実で、何の力によってかはともかく家の前は酷いありさまになっている。私は急いで実家に入り、この状況を知らせることにした。
改めてゴミを確認すると、こんな状況にもかかわらず何だか笑えてくるものがあった。それはゴミの内容が先週と基本的に変わらなかったからだ。

新聞紙を敷くのは失敗だったかもしれない

またしても『ピザポテト 明太マヨ風味』と『マカロンアイス ストロベリーショコラ』と『ベーコンチーズマカロニグラタン』がある。それに加えて『アイスの実 濃いもも』『アイスの実 白いカフェオレ』『ハーゲンダッツ ストロベリー』とアイスが充実している。既に「マカロンアイス」がありながら、まだ満足できなかったようだ。前回は随分と汚れていた『ベーコンチーズマカロニグラタン』の容器も、今回は雨に洗い流されて綺麗になっている。というわけで加工しなかったが、不快に思う人がいれば申し訳ない。
2月14日の時と同じ商品があることから、これは同一人物によるものだろう。ただ、これだけの量を一人で食べることができるものだろうか。どうにもX君の「友人」を想像してならない。この日は二人が共に菓子を食べて、またしても家の前に放置したのではないか。「友人」はX君の行為を見て、止めようとはしなかったのだろうか。とはいえ若者なら一人でこれだけの量を食べ切ることも不可能ではないかもしれない。

前回は冷淡だった私も、いよいよ不気味に思えてきた。これは一回きりの出来事ではない。もしや今後も続くことであって、今の段階は序章でしかないのかもしれない。そう考えると滅入りそうになる。こういうことをきっかけにして、人はローカル狂人になるのかもしれない。自分が正常だと思ったことは一度もないが、本当に取り返しがつかない領域に踏み込んでは損ばかりだ。思慮の足りない推定若者のせいで、己の精神を荒廃させるなど、あまりに理不尽なことではないか。ゴミのために廃人になるほど、ゴミに価値があるとは思えない。

こうした自分にとって不利な状況に置かれると、私はまともに相手するのが馬鹿らしくなり、持ち前の性格の悪さを発揮させれば良いのではないかと考える。相手がそうくるなら、こちらにもやることがあると策を練ろうするのだ。
私は考えたのは、ゴミを撮影した写真を印刷し、それをクリアブックにまとめて家の前に展示するというものだった。展示といっても現時点ではただ置き去りにすることしか考えていない。クリアブックは、捨てた張本人が見るのが一番良い。晒されるのが嫌なら、そもそも人の家の前に捨てなければ良いのだ。ゴミの管理はこちらが担当する。こんなことを実行すると、無関係の人がふと覗くことだってあり得る。改めて自分の案を省みると、他人に不幸を振りまく呪物を作り出しているのと同じであり、趣味が悪い。最初に言っておくと、私はこれを実行していない。この計画は、X君が今後もゴミを続けることを前提としているのであり、使える素材が二つしかない段階では時期尚早だと思っていた。頭の中で、雨に備えるために、印刷した写真をラミネート加工すると良いだろうなどと思案するばかりだった。
今年二月といえば私は当家「欄干公式見解」を始動したばかりだった。毎週一本記事を投稿するという目標のためには、ネタが必要だった。そんな時に出くわしたのがゴミ騒動であり、私には恰好の材料に見えた。

2月20日の夜、私は例のゴミはまだあるかと母親に訊ねた。幸いと言うのもおかしいが、前回のゴミもゴミ箱に入れられたままだった。私は「ネットに晒し上げようと思う」ということを正直に言った。反対されるかと思ったが、母親は特に反対しなかったので、屈託なく続行できた。上に掲載した二枚の写真は、どれも同じ日に撮影されたものだ。
こうなると私は強気になるもので、来るべきゴミを歓迎する心境になっていた。捨てられるほどに記事の糧になるのだ。何者かによるゴミを心待ちにする人間というのも正常ではないが、とにかくどんと来いという気持になっていれば憂鬱にはならない。その後、私は夜になると実家に立ち寄り、新しい素材が落ちていないか点検するようになった。一回目と二回目の感覚はわずか一週間であり、ということは来週も同じことが繰り返される可能性が高いのではないかと思った。一週間後になると私の期待はかなりのものとなった。

三回目

その後どうなったかというと、ゴミは一向に捨てられなかった。一週間後はもちろん、二週間後も三週間後もなかった。そうする内に三月になり、やはり家の前は平穏に包まれていた。
私は物足りなかった。たった二回だけゴミを捨てただけで、あとは何もないとは実につまらない。なぜ新たなる材料を提供してくれないのか。こちらが嫌がれば繰り返されるが、望めば何も起こらないという法則でも発動しているのだろうか。この説をどう実証するのかは不明だが、そういうことはあり得そうに思った。
私は期待外れな現実を残念に思ってもいたが、安堵する心だって一応もっていた。何事もない方が良いに決まっているからだ。普通は嫌がるところを、逆に求める精神が発揮されたことによって功を奏したのかもしれない、というのはほとんどオカルト宣言だ。これは私の推測だが、X君は2月20日の朝に再び現場を通ったのではないか。前日にX君が捨てたゴミは、前日の夜の風雨によって荒れに荒れた。その光景を目にしたことで、ようやく自分の行為の罪を知ったのではないか。二週連続で同じことをした人物が、途端に何もしなくなったのだから、よほど強く感じる何かがあったに違いない、そう思えた。
事情はどうあれ、ともかく事実としてゴミが捨てられてないのは良い。しかし記事はどうすればいいのか。まだ素材が二つしかないため、まったくオチがない状態だ。もう少し続いてくれないと充実した内容にはならない。とはいえお蔵入りにするのももったい。苦肉の策として、X君が食べた食べ物を、私自身が実食し評価することで完結させればよいのではないかと考えた。しかしなかなか踏ん切りがつかないもので、もしかすると明日にはX君が捨てに来るのではないかという気がする。大体X君が食べるものの大半が私が望んで食べたいものではないのだ。ついにコンビニに立ち寄る意思を固めた時には、X君が購入したものはことごとく販売を停止しており、まったく再現ができなかった。しかたがないので、私は記事の題名に【オチなし】【未解決】と加えることで保険をかけようと考えた。四月になった時点で、私はもう「時効」と見做すことにしたのだ。もういくら待っても何もないだろうし、それ以前に待つものではない。そう片付けることにしたのだが。

なんと4月15日に再びゴミ袋を発見した。発見時刻は午前11時。

どうせ同一人物による犯行(複数いてもらってはさすがに困る)

やはりセブンイレブン産のゴミで、今回X君が食べたのは『金のボロネーゼ』一発勝負だった。一切デザートに逃げない漢の食事だ。前回のように「友人」とともに共犯に及ぶ疑惑を他人に起こさせない、圧倒的個人主義を感じる。まさに二か月ぶり三度目のゴミ投棄に相応しい、シンプル・イズ・ベストな作法と言えよう。
あまりに気まぐれすぎる。ゴミの知らせを受けた当初こそ私は「キタキタキタ」という躍動を感じたが、あまりに相手ののんきな姿勢に苛々するようになった。こっちは二か月も待っていたのだ。こちらの心をなんだと思っているのか。X君の締め切りを守らないずぼらな姿勢のせいで、私は一本の記事を没にする寸前だったのだ。この責任は重い。いつぞや提唱した法則である、「嫌がれば来る、求めれば来ない」がちょっとした変形(諦めたら来る)を加えて実証されたようで、どうにも調子が狂う。相手は私の思考を読んでいるのではないか。こんなことを本気で考えればいよいよ病人だ。ともかくこれで、X君の行動はまったく理解不能になった。果たして次もあるのだろうか。

素人プロファイル

理解不能といえば、そもそもX君の行動は変なところが多いのだ。
まず、最初に捨てられた『ベーコンチーズマカロニグラタン』の容器だが、これは「ほぼ完食」という状態だった。「ほぼ」というのは微妙に残っているということだ。完食と言うことも可能だが、それにしては中途半端だった。私も母親も、X君を若者だと推定しているが、旺盛な食欲をもっているだろう人間がこれほどに食べ残すものだろうか。もっと綺麗に平らげてもよさそうなものだ。
あるいはX君は急いでいたのかもしれない。おそらくX君は未成年で、家に持ち帰ることに後ろめたい気持があるのではないか。だとすればゴミを持ち帰らない理由がわかる。例えば塾の帰りだとかで、腹を空かせているから一刻も早く食べたいという衝動に駆られつつも、既定の時刻に帰る必要にも迫られている。そんなところではないだろうか。

X君が食べて捨てているものは決まってセブンイレブンで売られているものだと先に書いた。これは納得できることで、実家の近くにはセブンイレブンがある。セブンイレブンの付近にはいくつも路地があり、その内の一つの道に入ってすぐのところに実家はある。道に入ってすぐだからこそ、X君はゴミを捨てるにちょうどいい場所だと判断しているのだろう。ところで、私の実家はセブンイレブンに最も近い路地にあるわけではない。X君がセブンイレブンから立ち去り、特定の方向を歩きたいなら最も近い路地を選べば良いのだ。そうはせず、決まって我が実家のある、外れた道を選んでいるということは、その道の先にX君の家があるとしか言いようがないではないか。
どうにもX君は大胆というか無計画というか、ほとんど馬鹿に近い行動を起こしている。だいたい家に監視カメラでもしかけられていたらどうするのか。そうでなくとも、家の住人がコンビニに立ち寄って「こんなものを捨てる者がいた」と談判する可能性を考えなかったのか。現に多分あの先にX君の家があるのだろうという推測だって立てられている。それに私達は一度、X君がゴミを投棄した時刻をほとんど特定してもいる。2月14日、私が19時半に実家に入った時には何も目に入らず、20時半頃に帰宅した母親によってゴミは発見されたのだ。私は先ほど、X君の行動を読むことができないとは書いたが、実際のところ特定の何歩か前まで迫ることはできていると言っていい。本格的な介入をせず泳がせているから変なことになっているだけだ。

明確な意志のもとによる嫌がらせという説も考えたことがあるが、おそらくそうではないだろう。これも二月頃に母親から聞いた話で、夜の八時頃に若い男性が奇声を発しているということが何度かあったという。その声はおそらく二人によるものだったそうだ。この二人がX君と「友人」だと断定することはできない。そもそも「友人」とは、2月20日のゴミの量を見て判断した存在だ。X君は、まだ寒い時期にアイスを単独でひたすら食べたくなった可能性もなくはない。
私は一連の事態について、ある程度妥当なことだと捉えている。もう古い記憶になりつつあるが、実家に居ると幼い子供の声がよく聞こえたものだ。それが最近ではほとんど聞けないようだ。これはつまり子供達が成長したということだ。夜に響く奇声も、明らかに若者が食べたであろう食べ物のゴミも、かつての子供達の成長の跡というわけだ。本当にこんな成長でよいのかと思うが、それは私が善良な育ちをしたから平均を知らないだけかもしれない。それにしてもX君はセブンイレブンで買った食べ物をどこで食べているのだろう。コンビニの敷地内か、まさか私の実家の前だろうか。

四回目?

正直なところ、私はX君との応酬に飽きている。X君が頻繁にゴミを捨ててくれれば私は気力が保てたかもしれないが、いくらなんでも間が空きすぎた。何度も言わなくてはならないが、他人のゴミは求めて待つものではない。いい加減終止符を打たねばならない。とりあえずはこうしてネットに晒すことで完結としよう。もしX君が同じことを繰り返すというのなら、しかるべき対処をとるつもりだ。その対処がクリアブックでゴミ・アルバムをつくることではないのは確かだ。

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