赤泊 嵐/akadomari ran

他の場所では"あぬあ"で活動してます。 毎日書きたいことを連載中。…

赤泊 嵐/akadomari ran

他の場所では"あぬあ"で活動してます。 毎日書きたいことを連載中。 あかどまりらん、略してあからん。 「あ」から「ん」までこの世の全てをnoteに書くことを夢見ています。

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町のヤベーやつにならないために

3限が空いていたので昼はお洒落な珈琲屋に入ってみる事にした。飲み屋が多く、夜に活力を取り戻しそうな商店街の寂れた昼間でひっそりと営業する「珈琲園 潤」は独特の雰囲気をまとっている。やや暗い店内を照らすランプ調の照明が印象的な店内は、椅子や机の調度品は席ごとに不揃いで、世界観はあれど落ち着いて過ごせる空間。店員は30代くらいの女性3人、店を始める前から友人関係だったのだろうか仲が良さそう。ホットサンドとスフレチーズケーキとアイスコーヒーのセットを頼む。1000円。実に手頃。ちな

    • リスクを伴わない主張

      「思想が強い」という表現は若者の間で流行しているツッコミワードだ。この”強い”という言葉を私は過度に偏っているというような意味だと解釈しているが、あまり政治や思想に執着のない人の中には単に思想の主張が激しいという意味で使っている様な人も見受けられる。そういった人たちにとっては「思想を主張する人=なんとなくヤバそう」という大いに誤解を含んだ等式が成立しているのだろう。そしてより一般化した問題として、大衆の多くの人が思想の主張が強い人に対して不信感を持って生活していることは確かで

      • 歌とは何か?愛とは何か? 「coda」(邦題「コーダ あいのうた」)感想レビュー(ネタバレ)

        codaを見た。 設定やストーリーがありきたりな映画だと一蹴してしまえばこの映画を批判することは難しくないのだろう。言ってしまえばただの障碍者と健常者の人間ドラマである。ノミネートされるならアカデミー賞かというような筋の粗さも無いわけではない。しかし私が流した幾粒もの涙を説明するためにはこの映画の素晴らしさを語らねばなるまい。 様々な方法で鮮やかに描かれる「歌」の表現まず歌の表現について言及しなければならないだろう。主人公が歌唱法を学ぶ中で音楽の楽しさ素晴らしさを覚える描

        • 昔の自分を責めなくてもいいと思えるようになったよ

          「若いうちにもっと○○をしておけばよかった。」と世の大人は言う。もっと真面目に勉強すればよかっただの、本を多く読んでおけばよかっただの、色んなことを言う大人を私はよく見てきた。これを言う時の大人はなんとなく見ていられないような虚しさを帯びている。この科白は当人がどれほどの成功者であるかという事にはあまり相関が無く、多くの大人が発する言葉である。この種の後悔は普通に生活していく中でぶつかりやすい問題と言える。若いうちの行動がどれだけ人生に影響を与えるのかという事はこの後悔の重要

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        • 真面目な嵐
          17本
        • 評論する嵐
          5本
        • クリエイティブの嵐
          19本
        • 薄紅色の部屋
          2本

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          ニューヨーク屋敷の対談がおもんなくて安心した

          NHKで放送されている『SWITCHインタビュー 達人達』という対談番組が好きだ。この番組は、様々な業界のトップランナーたちがインタビューしたいと思う多ジャンルのトップランナーを指名し、互いにインタビューをするという番組だ。番組では初めに片方の業界について、その人の所縁の深い場所でインタビューを行う。その後日を跨いでもう片方の業界についてそちらの所縁の場所で逆方向のインタビューを行うという構成になっている。そして、多くの回ではインタビュイーとインタビュアーはお互いの業界につい

          ニューヨーク屋敷の対談がおもんなくて安心した

          老害との付き合い方 ~『戦場のメリークリスマス』を観て~

          私はビートたけしを見て笑ったことがあまり無い。これは私の世代の人々の多くに当てはまるのではないだろうか。ここ最近十年のたけし(愛称を持ってこう呼ぶ)が出役としてしている仕事は、偉い人として番組の顔として出るだけである。ド派手な大道具や冷凍ガス噴射機を使ったコントを演じたりはするが、それはたけしの類まれなセンスによって演じられるものでは無い。たけしが社会悪だと思っているわけではないので老害とまでは言わないが、私にとってのたけしは過去の栄光によって手に入れた地位でなぜかテレビに出

          老害との付き合い方 ~『戦場のメリークリスマス』を観て~

          ヨルノ・ザレゴト夫人

          時々来るのさ、寂しい夜が。何かをするようなバイタリティも不安に掻き消されてしまって、ただグダグダと夜が更けて更には明けていく夜が。こんな事になる前に映画の一本でも見ていたなら良かったのに、それだけでこんなに寂しくはならなかったのに。もしくは私と同じくとてもマイペースな親友が電話に出てくれれば良かったのに、きっとこの寂しさを知っていたはずであろうに。 今こんな文章を書けているのも奇跡的である。文章を書くことも何かをすることのうちの一つである。何もしたくないのに何かができている

          ヨルノ・ザレゴト夫人

          心を開けない僕らのための、"非"劇的な紀行劇『百万円と苦虫女』レビュー ネタバレ有

          蒼井優演じる鈴子はつぶやくように尋ねる。一見説明的すぎるようにも見えるこのセリフは、鈴子がこの問いについてずっと考えていたという事を示しているし、百万円生活が鈴子にとってどういうものだったのかという事を観客に一気に明確にするシーンである。この問いに対し森山未來演じる亮平はつっかえながら「あ、、、ありますね。」と返す。この映画はこの問いに共感できる人の為の映画だと示されている。この問いを考えたことのある側の僕からのレビューを書いていこうとおもう。 紀行劇として描くサラッとした

          心を開けない僕らのための、"非"劇的な紀行劇『百万円と苦虫女』レビュー ネタバレ有

          物語に没頭するということ

          石田衣良『余命一年のスタリオン』を読んだ。大学生となり、時間の使い方が自由になった中で読書の習慣を身に着けたいと思い立って図書館で見つけたのが、このハードカバーで5∼600ページくらいの長編だった。有名な池袋ウエストゲートパーク(未読)の作者であるのと、水色の背景の中でタペストリー風に描かれる一頭の種馬が美しい装丁に惹かれて図書館で手に取ったのだった。私はよく装丁で本を選ぶ。内容が面白そうかどうかをあらすじ等から吟味するのは、期待のハードルを高める行為であるし、読んでいる瞬間

          物語に没頭するということ

          銀、あらぽん、共産主義

          全ての物は“じゃない方”である。私はモスバーガーじゃない方で紅茶じゃない方を飲みながらこの記事を書いている女じゃない方なのだ。人間は、例えば温かい洋風の飲み物としてコーヒーと紅茶を思い浮かべる。その2つが含まれる普遍的な集合を潜在的に定義しているのだ。私たちはそんなことをしながら上手いこと生きているなぁとつくづく思う。 一人で道を歩いているとき、よく地獄を旅している様だと思う。見渡せば地獄に落ちた人たちが救いの無い罰を受け、鬼たちがそれを執行している。苦しみと残虐さの渦巻い

          銀、あらぽん、共産主義

          あなたの為に何ができるか(豚キムチ)

          最近電車の中で何か考え事をしようとして、何か題材はあるだろうかと思い返すのだが、その時決まって一つのフレーズが頭の中を一度通り過ぎていく。 「あなたの為に何ができるか」 このフレーズは別に何かの引用であったりするわけではなく、ただ私のイメージから生まれた言葉なのだが、最近の私はこの言葉に支配されているようである。「あなた」に特定の人間が入るわけでもなく、ただ何となくこの言葉に縛られているのである。私がこの言葉にとらわれているのは、恐らく私がこの問いに答える必要があるからな

          あなたの為に何ができるか(豚キムチ)

          創作活動は科学の発展に貢献するし、ポリコレはもっと慎重に進めるべき(大根うめえ)

          あくまで科学によって人間が世界を理解する事を主題とした時に、宗教世界の展開や、その他世界観の創作は、現象を人間が認識しやすいように写し込む器としての機能を持つ。例えば、『聖書を読むことで規範の具体的なサンプルを得る。』『箱と球のみが存在する世界を仮想することで確率の概念を理解するための翼賛とする。』といったように、空想を用いれば都合のいい具体例を提示することができる。そうする事で人間は初めて知識の応用の幅を広げて来たのだ。聖書や高校数学といった具体例を文章の中で挙げる事も抽象

          創作活動は科学の発展に貢献するし、ポリコレはもっと慎重に進めるべき(大根うめえ)

          俺ルニクス的転回

          秋の陽気の温かい昼下がり、私はただぶらぶらと新宿御苑を訪れていた。たまたま休講だった平日に訪れたので、だだっ広い芝生には数えるほどの人しかいない。高貴な雰囲気の老夫婦や、ヨーガをする健康そうな若い女性。しがない大学生との共通点は、暇を謳歌しているという点ぐらいだろう。さっき通った新宿の街と比べると明らかに時間がゆっくり進んでおり、もしアインシュタインが特許庁の仕事に熱中していたならば、今私が相対性理論を発見したのではないかと感じられる。鞄を置き、芝に寝転がる。土と草のにおいに

          俺ルニクス的転回

          ネクライトーキーはポップバンド(断言)(確固たる意思)

          所謂バンドサウンドで演奏を行うバンドを評する際に、ロックかポップかという二元論は避けて通れない評価である。この二元論は、評者の感覚によって様々な定義で使われる事がある。初期衝動的音楽から路線を変更した時に、「あのバンドはポップ路線に行った」だの、ギターの歪みが強ければ、「ロックだねぇ」だの。 この二元性は、多重の意味を含んだ表現では有るのだが、この言葉の本質を一つ見出すとするならば、「生きる場所」を示す表現だという事なのだと思う。 私はネクライトーキーというポップバンドが

          ネクライトーキーはポップバンド(断言)(確固たる意思)

          ラピュタの皮を被った理不尽アニメ、『龍の歯医者』考察 ネタバレ有

          私が一番好きなアニメは『フリクリ』だ。作品としての評価するのではなく、人生の教科書のように考えていて、他のアニメや映像作品とは一線を画す位置に置いている作品だ。『フリクリ』の監督である鶴巻和也氏の監督作品を見てみようと思い、dアニメストアで『龍の歯医者』を見つけた。絵柄も可愛げがあったので、感動的な見やすい作品を期待して見てみることにしたのだが、結果的にはそんな生易しい作品ではなかった。 まず、巨大な飛行艇のように人を乗せ空を飛ぶ龍の歯医者である野ノ子は、”よみがえり”と言

          ラピュタの皮を被った理不尽アニメ、『龍の歯医者』考察 ネタバレ有

          冷めた野望と炊き込みご飯

          実家の近くにある商店街に、ちょっとおしゃれな服屋さんがある。流行を取り入れた品揃えを並べつつも、商店街のシックな地元感にもマッチした雰囲気の店だ。私が一番よく履いている赤い糸で縫われたジーパンも、春秋のちょっと寒い日に輪郭を隠すように着る通気性の良いセーターも、この店で買ったものだ。ちゃんといい品を扱っているのでそれなりに値は張るのだが、ついつい買ってしまうのは店主の人当たりの良さが原因だろう。気になる服を見ていると、最大限に遜りながら、どこのブランドのどういう服で、どんな時

          冷めた野望と炊き込みご飯