そんなのあたりめえだろーが!
松浦弥太郎のエッセイに、サンフランシスコの靴作り職人の話があります。一日に一人しか受け付けず、一足の靴を作るのに、たっぷり2週間をかける。丁寧に足型を作って、注文者と交わした会話や触った足の感覚の記憶を思い出しながら靴を作っていく。
「その人のことだけを想いながら作る。」
これが、彼のやり方です。多分、亡くなった先代に、この話を聞かせたら、そんなのは、あたりめえだよと、喝破されたでしょう。昔のものづくりの人たちには、当たり前のこと。パン屋さんでも、お肉屋さんのコロッケでも、そんなことは、いちいち口に出して、言いませんが、みんな、黙々と仕事していました。いつの頃からか、大手チェーン店が、幅を利かせ、個人のお店で、昔から、普通にやってきたことが、なくなってしまったのじゃないでしょうか。デフレと引き換えに失くしたものは、まさに、こういうことなんだと思います。
恥ずかしながら、ものづくりの端くれとして自転車屋として生きている私。乗り手を想いながら作っています。私の場合、接客している最中に、お客様の体躯を見極め、足の長さ、腕、指の長さ、運動経験、デザインのこだわり、予算等を会話の中で、把握、記憶し、乗り手を想像しながら組み立てしています。歴が永くなったからできることなんでしょうけどね。先代の時代なら、口に出して言うことでもないのでしょうが、今は、文章にしないと伝わりません。
「そんなのあたりめえだろうーが」
と、怒鳴り声とともに、拳骨が飛んできそうですが、でもね、当たり前のことを当たり前にこなすって、結構難しいんですよ。そういえば、自転車の組み立ての大事な道具に、通称「げんこつ」というのがあるんですが、なぜ、そう呼ばれるようになったのか今頃、わかりました。
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