震災から8年 仙台市荒浜を訪れた
東日本大震災から8年。2019年3月、仙台市内で最も大きな被害を受けた地区のひとつである荒浜地区を訪れました。
荒浜は仙台市若林区の海岸地区に位置しており、市の中心部からは車で20分ほどの場所です。震災前の人口は約2700人。震災により180人の方々が犠牲となりました。
現在は災害危険区域となっており人が住むことは出来ません。
海から約700メートル離れた場所にある荒浜小学校。震災発生から翌日まで320人の児童や地域住民の方々が避難していた場所です。現在は震災遺構となっており、校舎東側の1階から屋上まで一般に無料公開されています。
津波の中へ沈んだ1階の教室がほぼそのままの姿で公開されています。
校舎2階。このラインまで津波が到達しています。
体育館の時計。津波に襲われた時刻そのままで保存されています。
震災前の町並みを再現した模型が展示されています。川(貞山堀)を挟んで右が海岸、左が仙台市方面となっています。
荒浜小学校を出て、貞山運河にかかる「ふかぬま橋」を越え海岸の方へ歩きます。震災前はこの周辺には住宅が密集していました。橋の欄干には津波による荒々しい傷がいまも残っています。
慰霊モニュメントのそばには震災前の街並みを撮った写真やその後の復興の様子も綴られています。
海岸の方にはまだ取り壊されていない建物や基礎部分がまだ残ったままになっています。
荒浜小学校のある県道沿いの方はかさ上げ工事が進んでいますが、それでも津波被害を受けた無人の住宅がつい何年か前までそのまま残っていました。
海岸沿いに造られた防潮堤。蔵王方面が厚い雲で覆われています。
かすみの向こうにはすぐ仙台の市街地が見えます。この場所から見ると、同じ市内でも隔絶された感があります。
東日本大震災のあった日、停電で真っ暗の中、ラジオで何度も繰り返し流れていた「津波で荒浜の海岸に200人以上の遺体」というニュース。これは誤報だったわけですが(犠牲者は180人。遺体は後日、貞山掘や西地区の方から発見されています。混乱を極めていたため致し方ない誤報と思います)、今も頭から離れません。
なおこちらは、名取市閖上(ゆりあげ)にある佐々直の工場。当初は震災遺構にという声もあったのですが、2018年11月に取り壊しとなりました(写真は2018年3月のもの)。
LINK:
震災遺構 仙台市立荒浜小学校
https://www.city.sendai.jp/kankyo/shisetsu/ruin_arahama_elementaryschool.html
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