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子どもが学校に行きたくないと言ったら

いつかまとめて書きたいと思っていながら
なかなか筆が進まないことってありませんか。

わたしはこどもの不登校のこと
それに関する自分の右往左往してきたこと
そんなことを書いてみたいと思っています。

きれいに書こうとせずに
思い付いたところから、
「ほどほど」に残して行こうかな。

こどもが学校に行きたくないと言ったら親はどうすればいいか


それこそ、一通りモノの本やらなんやら
読み倒しました。

こどもが学校に行かないことを選択したとき、
ネットでよく見る
「親はこれやっちゃだめ」
という行為も、一通りやりました。

無理やり行かせない とか
毎日「行く、行かない?」と聞かない とか

たぶん、知識として事前に知っていたとしても
理解はしても、実際に行動できるのは 
また別のオハナシだと思います。

同じ境遇の人とつながることについて

こどもがどうとか
親がどうとか
そういう紆余曲折を経ている最中に
「同じ境遇の方とつながる」
というフェーズがありました。

今もあります。

わたしはどうもそれが得意でないようで。

・うちだけじゃなかったのか、という安心
・自分が悩んでいることについて
 すでに何らかのヒントを持つ方が
 案外近くにいることを知る、ということ
・共感してくれる人がいる、という安堵

そんなものはもちろんあり、
救われた思いもたくさんしてきました。

と同時に
同じ境遇(ここではこどもが学校に行かないということ)を共通言語にすることで、
かえって息苦しいというか、
つらいなと思うことも、
わたしにはたくさんありました。


・同じ境遇 とはいえ
 人によって状況はまったく異なること
・かえって 同じ境遇 というくくりにより
 お互いが意識しあったりすること
 (おとなもこどもも)
・つらい気持ちをマトモに受けてしまって
 かえってこちらがつらいこと

ひとりで閉じるのはよくないとわかりつつ
オープンにまざっていくことの難しさも
同時に感じています。


価値観のアップデートであることはたしか

まだまだ現在進行形で向き合っています。
自分のなかで、何が正解なのかわからないし、
正解を探すこともよくないのかもしれない。

ありのままを受け容れているわけでもないし
だからといって
元に無理矢理戻そうとしているわけでもない

今は、そんな感じです。

ひとつだけわかったのは
わたし自身の
「~~すべき」「~~ねばならない」を
アップデートする過程であろう、
それだけです。


不登校に対しての記事はたくさん読みました。
どれにも答えは書いてありませんが、
「ひとつのサンプル」として
元気をもらったり
逆に落ち込んだり
いろいろでした。

「同じ境遇の人とつながる」ときの
あの感じと似ていました。

それでも自分でも残したいなと思っているのは
「サンプルはあった方がよさそうだ」
ということからです。

またサンプルを残していこうと思います。



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