満たされ流され汚され捨てられ騙され 心まで奪われ/木村夏樹の覚え書き/2022.11

木村夏樹ソロ2曲目『Bullet Ride』に思うズレ

多田李衣菜のソロ3曲目『Arrowhead』と共に、ついに木村夏樹のソロ2曲目『Bullet Ride』を収録したCDが発売された。これを記念して『Bullet Ride』制作陣による特別対談動画も公開された。

『Arrowhead』が今時と言うか奇をてらわない多田李衣菜らしい素直なロックであるのに対して、『Bullet Ride』はロカビリー調でジャズっぽさもあるクラシカルなロックでもあるようで、それだけじゃないハードな一面もある。カッコよさを強調した木村夏樹らしい曲だ。

特に歌詞からは、木村夏樹らしさを感じる。

“下を向いたら 見失っちまう気がしたんだよな。悪足掻きと嗤われたとしても Stardom 駆け上がろう”

ロックだけではやっていけなかった。弱さを見せることよりカッコつける。木村夏樹のこれまでや人格を踏まえており、また不安がありながらも覚悟を決めて、後先を考えない刹那的な意識も伺える。

そして、カッコいい言葉遣い、と言うよりもカッコつけたがりで軽薄ですらある、よくわからない英語。lonely tigerって何だ。

このように木村夏樹の内面や意外な一面までも盛り込んでいる。

安野希世乃さんも言っていたが、本当にアイドルソングに留まらない挑戦的な楽曲でもある。

それでも、やはり思うことはある。

木村夏樹のこれまで歩みとロックとのズレ

そもそも『Bullet Ride』の制作の始まりの裏話を聞くと、ロックンロールやロカビリーが出発点のようだが、木村夏樹がそうした曲を歌うというのは、木村夏樹のこれまでを考えると、ズレがある。

確かに木村夏樹のリーゼントヘアをキメて、ギターを弾く姿からはクラシカルなロックンロールを感じるかもしれない。

だが木村夏樹は「ロック」と口にすることは多いが、「ロックンロール」とは滅多に口にしない。「ロック」と「ロックンロール」でニュアンスが異なることを考えると、これは大事なことだ。

そしてまた過去にモバマスのドリフの台詞で、1月8日のデヴィッド・ボウイとエルヴィス・プレスリーの誕生日に言及したり、SSR[My Life, My Sounds]でエルヴィスの聖地メンフィスを訪れたことがある。プレスリーに親和性があるとは言っても、ロカビリーに特別のに思い入れが深い描写があるわけでもない、それ以外のロックへの言及からは変わり続けることや型にはまらないことを重視している。

『Bullet Ride』はいくら最終的にはハードロックも感じさせる曲に仕上がったとは言え、始まりからズレがあったのではないか、さらに言えば『Rockin' Emotion』が普段の木村夏樹が決して言葉にしない恋や繊細な一面を見せていることを思えば、『Bullet Ride』はこれまでの木村夏樹の表層的なイメージをなぞるだけで、普段見せない一面を見せるという意味では後退しているのではないか。

そして何よりも『Bullet Ride』はロカビリー調でバイクを意識したタイトルと歌詞だが、木村夏樹の愛車はスズキ・カタナなんですよね。エキセントリックなスズキ・カタナにロカビリーやジャズが似合うはずもない。それだけ木村夏樹ののセンスはぶっとんでることがわかる、クラシカルなロカビリーやジャズに収まるはずがないはずなんだ。

長すぎた7年の歳月と、表層的なイメージとのズレ

7年前に初ソロ曲『Rockin' Emotion』を歌ってから、木村夏樹はいろいろあった、ありすぎた。いくらなんでもソロ2曲目まで7年は長すぎた。そしてまた、どうやら『Bullet Ride』制作裏話からするとデレマスとミリシタのコラボ『ハーモニクス』のコミュを踏まえているようだが、それを踏まえても、この曲が7年の歳月が必要だったかと言えば疑問がある。

例えば歌詞に見られるような強さも弱さも、『ハーモニクス』以前から木村夏樹は見せていた。言うなれば、この楽曲はハーモニクス以前に生まれてもおかしくなかった。

そしてまた、制作裏話的には『ハーモニクス』を契機に、木村夏樹が多田李衣菜がそれぞれの個性を伸ばした結果、それぞれ『Bullet Ride』と『Arrowhead』を歌ったとしているようだが。上述したように木村夏樹が個性を伸ばしてロカビリーやロックンロールに向かうというのもおかしな話。そして、そもそも『ハーモニクス』のコミュそのものの意義からもズレを感じる。

『ハーモニクス』はロック・ザ・ビートの二人が向き合うコミュだった。

なぜ向き合うのかといえば関係がおかしくなっていたからだ。コミュ内では近すぎてお互いのことが分からなくなっていたとあるが、メタ的な意味では、以前に多田李衣菜が『Unlock_Starbeat』のコミュで、当たり前にギターを弾いているが、さらに前に『Jet to the Future』コミュでロック・ザ・ビートの多田李衣菜として見出した、ギターより個性を伸ばすという境地を失くしたことで、多田李衣菜の個性やロック・ザ・ビートの意義が揺らいでいたこともある。だからこそ『ハーモニクス』コミュ内で多田李衣菜がギターを弾けるようになったことを改めて強調された。

そしてまた『Jet to the Future』コミュ自体が、それ以前のデレアニ以来のおかしくなっていた木村夏樹と多田李衣菜、ロック・ザ・ビートの関係性を再構築するためでもあった。

デレアニで多田李衣菜が「アスタリスクが私のロック」「ぶつかり合うことロック」だと言って以来おかしなことになっていた。多田李衣菜にとってのロックがアスタリスクのように、ぶつかり合うことであるならば、認め合い高め合う木村夏樹と多田李衣菜の関係性もロック・ザ・ビートの意義も失われてしまう。ロックという価値観を共有することで繋がっている二人にとっては致命的なズレだった。それを『Jet to the Future』コミュで、木村夏樹と多田李衣菜もぶつかり合うことで、ロック・ザ・ビートの意義を再構築した。

こうして振り返ると、ロック・ザ・ビートは、その活動がユニットとしての意義が損なわれたマイナスをゼロに戻してばかりだと言うことに気がつかされるだろう。

そして、木村夏樹はロック・ザ・ビートとは関係ない活動でも、多田李衣菜に言及することも多いと言うのに、多田李衣菜は木村夏樹やロック・ザ・ビートについて、ろくに向き合うこともなく好き勝手にやっている。その結果としてロック・ザ・ビートの意義を損なうのは常に多田李衣菜であり、木村夏樹はそのマイナスをゼロに戻すために、貴重な活躍の機会を浪費することになる。

つくづく、この楽曲が7年前、せめて2年前に生まれていれば、ロック・ザ・ビートの意義が損なわれることもなかった。ロック・ザ・ビートの立ち位置がどれほど変わっていただろうか。

しかし、ロック・ザ・ビートの意義が損なわれ続けているのも結局は、ロック・ザ・ビートが芯を食った核心をついた活動に乏しい。木村夏樹の人格を掘り下げる活動が乏しい、木村夏樹のこれまでの活動が表層的なイメージをなぞるだけにとどまっていることの裏返しでもある。

一方で木村夏樹は総選挙で圏内に入ったこともない。それでも木村夏樹が活躍の機会に恵まれているのは、これまでの活動のほとんどがロック・ザ・ビート、だりなつに依存しているからだ。

一方で他ならぬ多田李衣菜によって、ロック・ザ・ビートの意義が、木村夏樹との関係性が否定されてきた。

馬鹿みたいなんだよな木村夏樹、結果も出せずに、ロック・ザ・ビートに必死になって、当の多田李衣菜はロック・ザ・ビートのことなんて気にせず勝手にやってるのに、木村夏樹ばかりがマジになっている、木村夏樹の担当プロデューサーばかりがマジになっている。

そうしたネガティブな要素をも盛り込んで、吹き飛ばすだけの力が『Bullet Ride』にあるだろうか、『Bullet Ride』は木村夏樹のこれまでのイメージをなぞるだけで殻を破れずに留まっている。

そして、こうして木村夏樹を取り巻く環境や、ロック・ザ・ビートの遍歴を振り返ると、デレステやモバマスなどゲーム内のコミュなどの描写と、ライブや楽曲での扱いにズレがあることに気がつくことだろう。

つまりはアイドルマスターシンデレラガールズの運営内部でもゲーム担当部署と、楽曲担当部署で致命的なズレが有るのではないか、そのズレの最大の被害者が木村夏樹ではないか。

『Bullet Ride』は木村夏樹のゼロ地点になれるのか

木村夏樹の活動は積み重ねては崩される、マイナスをゼロに戻す活動ばかりで、それどころか木村夏樹の認識について強固な共有される認識さえない。そもそも積み重ねるだけの土台すらなかったのは、木村夏樹を感動ポルノ扱いした7th大阪公演とその2年後に公式で配信された時の、プロデューサーたちの反応から、木村夏樹に対して全く理解もない、自分たちが気持ちよくなるために木村夏樹の尊厳を損ねることに何の呵責も感じられないことから、木村夏樹のこれまでの活動が、自分のプロデューサーとしての活動が無駄だったことが、まざまざと分からされた。

木村夏樹はもっと泣きじゃくって情けない姿を曝け出す勇気と強さが必要だった。木村夏樹に理解のないプロデューサーの認識を覆すような、強固な新しい土台が必要だった。表層的なイメージをなぞる『Bullet Ride』にそれができるだろうか。

11周年を迎えて、アイドルマスターシンデレラガールズそのものがゼロ地点に戻った

11月にはモバマス最後のアイドルLIVEロワイヤルことアイロワがあった。これがモバマスで最後のユニットが登場する機会だった。声があるかないかで活動に障壁があるデレステと比べて、モバマスには190人以上のアイドルが自由にユニットを組んで活躍するという意義があった。

そのモバマスですらユニット活動が乏しい初期から活動しているのが、ロック・ザ・ビートだった。多田李衣菜の最たる個性、ロックのにわかというキャラが生まれたのは木村夏樹と関係を持ってからだった。

そのロック・ザ・ビートだが、モバマスで2年以上登場すらしておらず、ついに最後のアイロワを迎えて、モバマスでの活動の機会を失った。

その最後のアイロワで多田李衣菜は、城ヶ崎莉嘉、三村かな子、向井拓海、藤本里奈と共に新ユニット『ワイルドロッキングガールズ』として登場した。このユニットはデレマスのコミカライズ『WILD WIND GIRL』と『アイドルマスター シンデレラガールズ ロッキングガール』に由来する。今回のアイロワではこの他にも、これまでの様々なコラボ由来のユニットが登場するなど、最後にモバマスの歴史を振り返るようで粋な計らいを感じた。

しかし、その歴史を振り返るなかに木村夏樹はいなかった。木村夏樹には積み重ねてきたものがあるのだろうか、多田李衣菜には今回のユニットのように幅広い活動がある積み重ねてきたものがある。木村夏樹には何があるのだろうかと考えずにはいられなかった。木村夏樹最後のモバマスのユニット活動が、結成が比較的最近の『Ehre』だったということをどう受け止めるべきか。

11月には総選挙Bグループの結果発表もあった。その結果ライラさんに声がつくことが内定されて、喜びに湧くプロデューサーの存在が目立った。だが当然ながら結果につなががらずに悲しみにくれるプロデューサーたちも目にした。

声がまだつかないアイドルが大勢いる。そして声ががあっても活動の機会に恵まれず、新録のボイスすら長らくないアイドルも大勢いる。

それに比べれば木村夏樹は遥かに恵まれている。

アイドルマスターシンデレラガールズは異常なコンテンツだ。総選挙で過酷な競争が強いられる。結果を出せなければ声がつかないという差別が当たり前。アイドルマスターシンデレラガールズはそういうコンテンツだからといって批判の声を上げなければ、アイドルたちの不当な扱いさえなかったことにされる。

プロデューサーであるからにはアイドルの扱いについて運営になにかを言う権利があるはずだ。

しかし、プロデューサーを辞めた俺には、そうした権利はない。
だが辞めてよかったと思う。アイドルマスターシンデレラガールズが向いている方針に自分が全くついていけない。

見れたもの、見れなかったもの、見せられたもの、見えなかったもの

11月にはベルーナドームで星と冬をコンセプトにして、シンデレラバンドも出演する、ライブイベント『Twinkle LIVE Constellation Gradation』こと、コンステが開催された。その2日目に木村夏樹を担う安野希世乃さんも出演した。

正直ライブで感じたものをうまく受け止めきれず、言葉にできない。だから端的な言葉に留める。

見れたもの。期待通りに『Arrowhead』から『Bullet Ride』の連続披露、クラシカルなマイクスタンドでキメッキメのライブパフォーマンスを見せてくれた安野希世乃さん。さらにMCの時間もあったとはいえ『Bullet Ride』から実質的に連続で『空想探査計画』を頑張って歌ってくれた。そしてまさかの、りょうなつからの、だりなつ、りょううめ、で『Frost』という予想外のバラードで圧倒された。だが今回のライブで何より驚いたのは『Driving My Way』だ。難しい楽曲だから生歌でやれるものじゃないと思っていた上に、ましてや生バンドで、しかもオリメンでライブ初披露、楽曲公開から3年程経ってデレステでイベントも開催されていない完全にノーマークの楽曲だったから、呆気にとられるほどに驚いた。

見れなかったもの。勝手に期待しすぎて勝手に失望してるだけ、といえばそれだけだが、生バンドによる演奏を目玉にして、ライブ直前に『Arrowhead』と『Bullet Ride』が発売され、安野希世乃さんも青木瑠璃子さんも揃って出演するなら、何かしらバンド演奏でだりなつがやると期待する中で何もなかった。過去のライブであったような「だりー!なつきちー!」と呼びかけあうことすらなかった、自分たちでシナジー効果を殺しているようだった。ライブからロック・ザ・ビートの存在を意識して消しているかのようですらあった。青木瑠璃子と高森奈津美がアスタリスクの二人で『Nocturne』を歌ったことを思えば、なおのことだ。

見せられたもの。いくら冬をコンセプトにしているからといって、コラボ関係でも何でもない広瀬香美をゲストに呼ぶより、他に呼ぶべきアイドルがいるんじゃねえか、そして何よりも、俺はアイドルが最高に輝く舞台を見たいのであって、アイドルが舞台上でゲスト相手にかしずく様を見たいわけじゃない。少なくとも木村夏樹は、絶対にそんなことをしないはずだった。

見えなかったもの。それでも今回のライブは多くのプロデューサーたちの間では好評だったようだ。どうやら俺には他のプロデューサーたちが見えているものが見えず、他のプロデューサーが見えないものが見えているようだ。俺はどうしても運営のこれまでのろくでもない扱いや、他のプロデューサーたちの認識で、木村夏樹とアイドルマスターシンデレラガールズの可能性に限界を感じてしまうから、喜ばしいことを見ても、その中にも粗を見つけてしまうようだ。だから、俺はプロデューサーでいられなかったんだ。

そしてコンステでこれまでのアイドルマスターシンデレラガールズが積み重ねてきたものが使えなくなったことを実感させられた。デレマスにこれまで数々の楽曲を作曲していた作曲家が性犯罪で逮捕されたことで、その作曲家による楽曲が封印されたこと、また夢見りあむの声を演じる‎‎星希成奏が闘病により療養を余儀なくされたことから、ライブの構成そのものが変更されたようで、本当はこういうことをやりたかったんだろうなと感じる面と、チグハグな粗い面が伺えた。コンセプト倒れの印象を抱いたが仕方ないとも思える。

しかし、そうした仕方ないことを差し引いても、デレマスのライブってこんなものだっただろうか。

木村夏樹に関係することだけであっても、安野希世乃さんの過去の鬼気迫るほどの歌唱や、だりなつがシナジー効果を高め合っていたライブと比べると、今回のライブはだいぶ見劣りするんじゃないか、木村夏樹が大切にしているもの、アイドルたちそれぞれが大切にしているものを思えば思うほどに、今回のライブは満足できるものじゃない。そもそもがコンセプト優先でアイドルたちが大切にしているものを蔑ろにしていた、いわば7th大阪の同じ轍を踏んでいたんじゃなかろうか。

2022年11月にアイドルマスターシンデレラガールズは11周年を迎えた。だがその一方で積み重ねてきたものがゼロになった。
楽曲が封印されて、アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツで中核を担うライブでこれまでのやり方が使えなくなり、新アイドルの中心的存在だった夢見りあむを担う声優が長期療養で存在が欠ける。これまでのアイドルマスターシンデレラガールズが積み重ねてきたものが、アイドルマスターシンデレラガールズそのものがゼロ地点に戻ったようだ。そして俺はそれに全くついていけない。

だから俺はプロデューサーを辞めた

木村夏樹はその活動が、ロック・ザ・ビートに深く依存しており、その活動内容もロック・ザ・ビートが積み重ねてきたものが崩されて、また積み重ねて、また崩される。マイナスからゼロに戻す活動ばかりだ。

そして、おそらくはこうしたマイナスをゼロに戻すような活動さえも面白い楽しめるようでないとプロデューサーは務まらないのだろう。

自分はそうじゃなかった。

報われたい、というのが自分にとってプロデューサーとしてのモチベーションだったのかもしれない、担当アイドルがこんなにも頑張って、こんなにも非道い目にあっているのだから、報われて欲しいと思う自分が、アイドルが報われることで自分も報われるように思っていたのかもしれない。これまで積み重ねてきたものが無駄じゃなかったと思いたかったのかもしれない。

そして、自分はもう積み重ねてきたものが崩されて無駄になることに耐えられない。だから俺はプロデューサーを辞めた。

もう俺は、アイドルマスターシンデレラガールズと綺麗にさよならしたい。

これから俺はプロデューサーとは何だったのかと向きあうことで、アイドルマスターシンデレラガールズとのお別れにしたい。

正直、今月は覚え書きを書くのもめちゃくちゃしんどかった。公式の木村夏樹の扱いが丁寧なようで表層的でもあり、ロック・ザ・ビートの扱いをどうしたいのかわからない、アイドルマスターシンデレラガールズそのものの方針に自分がまったくついていけない。そうしたことに自分の心のモヤモヤを言語化するだけでもしんどい。

そうこう思っていたら、木村夏樹がデレメールに答えていた。

木村夏樹にとってロックとは「木村夏樹そのもの」なんて、まったく木村夏樹らしいじゃないか、ようやく木村夏樹の芯を食った、核心を突くような掘り下げが見れたようだ。

いつぞやの多田李衣菜がデレぽで答えた多田李衣菜にとってのロックが自分の気持ちに素直に信じる外発的な衝動であったのに対して、木村夏樹にとってロックは「木村夏樹」らしくあろうとする、カッコつけてロックであろうとする内発的な衝動と対になるようでもある、などと考えてみても、もうプロデューサーを辞めた俺にとってはどうしようもないことかもしれない、遅すぎた。


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