A Beautiful Star /木村夏樹の覚え書き/2022.10

木村夏樹に新ユニット

木村夏樹が参加する新ユニット「ノイジー・ハート・ビート」が登場した。「ロック・ザ・ビート」と「イージーノイジーライダース」という木村夏樹が参加する二つのユニットが合わさった形だ。モバマスのサービ終了が迫り、ユニット登場機会が本当にあと僅かとなった今、木村夏樹がハブとなり新ユニットが披露される意義は大きい。

木村夏樹に新ソロ曲

デレアニで棚ぼた的に手にしたソロ曲「Rockin' Emotion」から7年、ついにようやく、木村夏樹のソロ2曲目「Bullet Ride」が発表された。これでデレアニからの呪縛が解き放たれることを願いたいが、素直に喜べない。
多田李衣菜も同時に新曲を出すことになり、またしても木村夏樹は多田李衣菜とセットの扱い、そのうえ作詞作曲家も同一となれば、だりなつで楽曲がリンクしているようだ。だがそれで何って感じだ。ロキエモのコミュ時点でトワスカを引用する程度にはだりなつは楽曲でリンクしていた。だがライブでトワスカのデュオしたのはみくりーな、これから先だりなつがデュオしても多田李衣菜が先にやったのはみくりーなってケチがつく、多田李衣菜にとって、だりなつはその程度の存在。いまさら多田李衣菜が木村夏樹にすり寄ってきてどうするのだ。
いまさら、だりなつを楽曲でリンクさせたところで遅すぎる。

編集後記

先月の覚書で、プロデューサーを辞めると書いておきながら、未練がましくこうして今月も覚書を書いているのは、やはり自分は、木村夏樹の担当プロデューサーを辞めるとしても、デレマスというコンテンツからはそう簡単には離れられない。そしてまた、プロデューサーを辞めたことで見えてきたもの、感じてきたものもある。それを記録に残しておきたい。どんなことであれ記憶することに意味があると思うから。

それにしても今月はつくづく、自分のプロデューサーとしての活動してきたことが、まったくの無駄だったのだと思い知らされ、打ちのめされることばかりだった。

7th大阪公演の公式無料配信があった。その反応でTwitterにあがるのは、“実質木村夏樹”“デレアニ19話の再現”“木村夏樹の女”2年前と全く同じ景色。木村夏樹を感動ポルノ扱いするプロデューサーたちの姿だった。

それどころか、あの公演が木村夏樹の尊厳を貶めるような内容だったことさえ、まったく認識していない。賛否両論あるとすら認識していない。公式的にもそんな事実はなかったかのようだ。記憶すらされない断絶、何かを積み上げる、それ以前の土台すら、ない。それらを見て、自分が曲りなりもプロデューサーとして活動してきたことが無駄だったと思い知らされた。

たぶん俺は木村夏樹のネガになりたかった。カッコつけたがりで弱音を滅多に見せないポジティブであろうとする木村夏樹を掘り下げる陰影を与えたかった。他の誰かの都合のいい彼氏役“木村夏樹の女”のために、他のユニットを持ち上げる都合のいい道具“デレアニ19話の再現”のために、木村夏樹を都合のいいモノなんかにさせてたまるかと、思っていた。

だから俺は、ネガティブなことでも引き受けて、木村夏樹にまつわることを記録してきた。きっとそれが何か巡り巡って木村夏樹のためになると、信じていた。

だが、そうではなかったようだ。記録もせず言葉にもせず、なかったことにして、ただ押し黙っていればよかったのか。

俺のプロデューサー活動は何の実も結ばずに散った。

そして木村夏樹はただのモノだったと気がついた。いや、本当はずっと前から気がついていた。木村夏樹が人格ある存在ではないことに、支離滅裂で要領を得ない木村夏樹の数々の言動から、心に距離が開いていた。木村夏樹を都合のいいモノ扱いする人々を見て、心に空いたその距離が実は何もない空っぽだったことに気がついた最後の一押に過ぎなかった。

皮肉なものだ、かつては同じ扱い、木村夏樹を都合のいいモノ扱いする人々を見て、なにクソと思ったはずが、今や心に空いた穴に気がつかせるなんてなあ。

一周回って楽になった、木村夏樹はモノなんだ、デレマスのアイドルたちはモノなんだ、モノにマジになってごっこ遊びしているのがプロデューサーなんだ、ごっこ遊びにマジになれなくなったら終わりなんだ、俺は終わった。

こうして俺は、プロデューサーとして限界を感じて辞めたその後に、7th大阪公演の配信によって、その当時の再現によって、自分がプロデューサーとしての活動してきたことが無駄だったと思い知らされた。

そのうえで木村夏樹にソロ2曲目がくるという最高の事態を、担当を辞めた今、7th大阪公演の感動ポルノ扱いが蘇るどころか関係各所かなかったことにして同じ失敗が繰り返されることが予想される今、この最悪のタイミングで迎えるとは思わなかった。

運命のようなものがこの世にはある。

俺はただ、プロデューサーとして頑張ってきたことを無駄じゃなかったと言ってほしかっただけなのになあ。

もう俺は木村夏樹のことで必死にならなくていい、木村夏樹をファンや推しとして好きになればいい、アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツのオタクとなればいい、あるいは全く別の何かにハマればいい、改めてそう思った。

そしてまた、今月はデレマスというコンテンツそのものに限界を感じた。

運命のようなものがこの世にはある。

デレマスに多数の楽曲を提供してきた作曲家の田中秀和が、性犯罪で逮捕された。これによりアイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツは、どうあっても終りを迎える。田中秀和が作曲した、デレアニの楽曲からアニバ曲まで定番中の定番の曲が、これまで通りに使えなくなったのだ。

来月のベルーナドームで開催されるライブ「Twinkle LIVE Constellation Gradation」がひとつの終焉となる。この期に及んで田中秀和の楽曲をライブで披露するならデレマスは性犯罪を肯定するコンテンツとして終わり、披露しないならデレマスの定番曲がなくなり、ある意味で終わる。

しかしだ、存外デレマスのことだから、そんな事実はなかったとばかりに田中秀和の楽曲を披露するかもしれない。とっくの昔にアイドルマスターシンデレラガールズは、何より大事にすべきアイドルの尊厳を、自分たちが気持ち良くなるために破壊してきたのだから、いまさら被害者のために楽曲を自粛するなんてしない、また自分たちが気持ちよくなるために誰かの大事なものを踏みにじるだろう。

今から来月のライブが楽しみだ。あの曲がないというやりきれない思いを感じるのか、あの曲を今になってもやってしまうのかというやりきれない思いを感じるのか、あなた方のそのやりきれない思いは、7th大阪公演で俺が感じたやりきれなさと等しい。

田中秀和の楽曲を、被害者のことを思うとまともに聞けなくなった、その感情は、木村夏樹の尊厳を破壊した7th大阪公演で俺が感じた感情に等しい。

そういえば木村夏樹を感動ポルノ扱いした7th大阪公演で、演奏していたシンデレラ生バンドのメンバーが、つい先ごろの7h公演の公式配信を楽しんで盛り上がってきたようだが、そのメンバーが来月のライブでも演奏を引き受けるというのだから、因果が巡るようだなあ。

運命のようなものがこの世にはある。

7th大阪公演の配信で木村夏樹の感動ポルノ扱いがまたぞろ吹き上がり、自分はプロデューサー活動が無駄だったと打ちひしがれた、その直後に田中秀和の事件によって、アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツがそのものが、ライブで、アニメで、関係者たちが必死に頑張って積み重ねてきたものが、無駄になったのだ。

一瞬にして自分のこれまでが無価値になるハイパーインフレーションの気持ちは、プロデューサーとして積み重ねてきたものが無駄だった自分にはよく分かる。

運命のようなものがこの世にはある。

最悪の結末が見える。いや、むしろ今が最悪の結末を迎えた後か。

プロデューサーを辞めたことも今となっては、アイドルマスターシンデレラガールズというコンテンツに向き合う、いい機会になったのかもしれない。

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