宮沢賢治 作 「雨中謝辞」稲の倒伏、間に合わない副業収入、道に迷う賢治

倒伏のあと農村を巡回

水稲の倒伏を描いた詩の10日後、1927(昭和2)年8月20日の作品です。

水稲だけでなく、木や草も倒れ、雷雨が続くなか、道に迷い、目的の家を探してさまよっています。

訪問先は農学校卒業生高橋忠治か

稗貫農学校を卒業後、稗貫農学校助手、花巻共立病院レントゲン技手として働いていた、高橋忠治の家を訪問しようとして、そのいとこに道を教えてもらっているものと思われます。

ウサギ飼育は農家の副業

ウサギ飼育は、毛皮が軍用防寒具の材料となり、肉はソーセージ等の原料となるため、この当時の農家の副業として人気がありました。賢治も農家にすすめていました。

努力も間に合わない

そうしたささやかな副業の努力も、水稲の倒伏のような自然の脅威や、高い小作料、安い米価といった大きな社会問題に対しては、「間に合はない」と嘆いたものと思われます。

また、賢治からみて、近代的な副業に熱心に取り組んでいる高橋のいとこのような農家青年も、わらじを作るような伝統的な副業が高く評価される農村では、「のらくらもの」と言われてしまうことは、賢治自身への批判のように感じられたのかもしれません。

(本文開始)

一〇八九
   ◎雨中謝辞                       八、二〇、

路が野原や田圃のなかへ
幾本にも斯う岐れてしまった上は
もうどうしてもこの家で訊くより仕方ない
何といふ陰気な細い入口だらう
ひばだの桑だの倒れかかったすゝきだの
おまけにそれがどしゃどしゃぬれて
まるであらゆる人を恐れて棲んでるやうだ
雨のしろびかりのなかの
小さな萓の家のなかに
小さな萓家の座敷のなかに
子供をだいて女がひとりねそべってゐる
   そのだらしない乳房やうちわ
   蠅と暗さと、
   女は何か面倒さうに向ふを向く
 病院のレントゲンに出てゐた高橋君の……
   おれはほとんど上の空で訊いてゐる 

     ◎

何をやっても間に合はない
世界ぜんたい間に合はない
その親愛な仲間のひとり
    また稲びかり
雑誌を読んで兎を飼って
その兎の眼が赤くうるんで
草もたべれば小鳥みたいに啼きもする
    何といふ北の暗さだ
    また一ぺんに叩くのだらう
さうしてそれも間に合はない
貧しい小屋の軒下に
自分で作った巣箱に入れて
兎が十もならんでゐた
    もうここまででも
    みちは倒れた稲の中だの
    陰気なひばやすぎの影だの
    まがってまがって来たのだが
    あっちもこっちも気狂みたいに
    ごろごろまはる水車の中を
    まがってまがって来たのだが
外套のかたちした
オリーブいろの縮のシャツに
長靴をはき
頬のあかるいその青年が
裏の方から走って来て
はげしい雨にぬれながら
わたくしの訪ねる家を教へた
わたくしが訪ねるその人と
縮れた髪も眼も物云ひもそっくりな
その人が
わたくしを知ってるやうにわらひながら
詳しくみちを教へてくれた
ああ家の中は暗くて藁を打つ気持にもなれず
雨のなかを表に出れば兎はなかず
所在ない所在ないそのひとよ
きっとわたくしの訪ねる者が
笑っていふにちがひない
「あゝ 従兄(いとこ)すか。
さっぱり仕事稼がなぃで
のらくらもので。」
世界ぜんたい何をやっても間に合はない
その親愛な近代文明と新な文化の過渡期のひとよ。

(本文終了)

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