見出し画像

賢治先生の北海道修学旅行 5月21日夜から22日 苫小牧の製紙工場とアイヌ集落

宮沢賢治の花巻農学校教師時代の北海道修学旅行復命書を読み解いています。
復命書はこちらです。
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102150000/

一行31名は、1924(大正13)年5月18日夜に花巻を出発。鉄道と青函連絡船を使い、途中函館、小樽を見学しながら、車中泊2日の強行軍で5月20日午後、札幌に到着。札幌では20日と21日に、北大植物園、中島公園、北海道帝国大学などを見学し、苫小牧に向かいました。

前回は苫小牧までの車中で北海道と東北の農村景観について考えました。

(引用開始)

八時苫小牧に着、駅前富士館に投ず。パルプ工場の煙赤く空を焦し、遠く濤声あり。

(引用終了)

午後8時に苫小牧駅に着き、駅前旅館富士館に宿泊しました。富士館は当時、苫小牧で一番大きな旅館だったようです。1977(昭和52)年の駅前再開発で取り壊され現在は残念ながらありませんが、道路には跡地のプレートが埋められ賢治と苫小牧の縁を伝えているそうです。

苫小牧再発見! 第20回宮沢賢治と苫小牧
http://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/files/00003600/00003698/saihakken.pdf

画像2


賢治は、この日、詩「牛」を書きました。

(本文開始)


       一九二四、五、二二、
一ぴきのエーシャ牛が
草と地靄に角をこすってあそんでゐる
うしろではパルプ工場の火照りが
夜なかの雲を焦がしてゐるし
低い砂丘の向ふでは
海がどんどん叩いてゐる
しかもじつに掬っても呑めさうな
黄銅いろの月あかりなので
牛はやっぱり機嫌よく
こんどは角で柵を叩いてあそんでゐる

(本文終了)

残念ながら復命書は、ここまでしか現存していません。その他の記録や賢治の詩から、このあとの旅行も追ってみます。

駅前旅館富士館を出発した一行は、1924(大正13)年5月22日午前、王子製紙苫小牧工場を見学しました。当時、東洋一の製紙工場で、現在でも新聞紙製造では世界一の大きな工場です。
賢治は、前年の1923(大正12)年に、同じ王子製紙の樺太(現在のサハリン)の分社と工場に出張しています。生徒の就職の依頼が目的でした。苫小牧での見学も、生徒の就職も目的のひとつだったのかもしれません。

次に白老のアイヌ集落を見学しました。
賢治は、10年前の盛岡中学校の修学旅行でも生徒として白老を見学しています。今回の修学旅行出発前にアイヌが登場する詩も書いています。

賢治先生の北海道修学旅行3 出発当日
2021.02.18
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202102180000/

賢治先生なら、アイヌの狩猟採集農耕文化と、東北の農村との比較文化論を熱く展開しそうな気がします。残念ながら、5月22日の復命書は現存していません。

画像1


画像は札幌市中央図書館デジタルライブラリーより白老の絵はがきです。

http://gazo.library.city.sapporo.jp/shiryouInfo/shiryouInfo.php?listId=5&recId=104208

一行は、午後3時まえの白老発の列車に乗って、室蘭に午後4時ごろに着きました。室蘭港を午後5時発の客船に乗り、船中泊で青森に向かいました。

賢治先生の北海道修学旅行 35 室蘭から青森へ
2021.03.23
https://plaza.rakuten.co.jp/kenjitonou/diary/202103230000/


#宮沢賢治 #修学旅行 #稗貫農学校 #花巻農学校 #苫小牧 #白老 #アイヌ #室蘭

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?