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宮沢賢治、1928(昭和3)年8月10日 両側肺湿潤の診断 自宅療養へ

花巻共立病院 両側肺湿潤の診断

1928(昭和3)年8月10日、宮沢賢治は、花巻共立病院(現 総合花巻病院)内科医長佐藤長松博士の診察を受けました。診断は、肺結核による両側肺湿潤でした。

重なる過労

賢治は、6月に東京、伊豆大島を3週間旅行し、7月は花巻周辺の農村の水田を巡回していました。疲労が蓄積していたようで、7月20日には電車の停留所で倒れていました。

これまでの賢治と結核

賢治は1922(大正11)年に最愛の妹トシを、肺結核で失っています。また、それ以前から賢治は熱を出すことがたびたびあり、自分は結核かもしれないと心配していました。かなり以前から結核菌が感染していたものと思われますが、体力のある賢治は、これまでは症状が軽かったものと思われます。賢治が正式に結核と診断されたのは、これが初めてです。

賢治と花巻共立病院

花巻共立病院は、移転した稗貫農学校の跡地に、賢治の父が協力して建設した病院でした。賢治自身も、この病院の花壇の設計施工をしています。

佐藤隆房「宮沢賢治 素顔のわが友」

花巻共立病院院長の佐藤隆房氏は、のちに「宮沢賢治 素顔のわが友」を出版し、そのころのことを書き残しています。2012年にこの本は再販されており、図書館などで読むことができます。

「宮沢賢治 : 素顔のわが友 最新版」
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I023443864-00

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