「グスコーブドリの伝記」と干ばつ

「グスコーブドリの伝記」は、1932(昭和7)年に雑誌「児童文学」に発表されました。

冷害のために家族離散の悲劇に見舞われた主人公が、冷害を防ぐために英雄的な最期をとげる物語といえます。

一方、この物語では干ばつの被害も描かれています。

この物語は、1922(大正11)年ころから「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」として書き始められ、およそ10年後に完成しました。この10年間は、岩手県ではいろいろな災害がありましたが、干ばつも多く発生しており、その影響があるものと考えられます。

青空文庫 グスコーブドリの伝記
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1924_14254.html

森から出たブドリを雇ってくれた農家の主人が、こう言っています。
「たびたびの寒さと旱魃のために、いまでは沼ばたけも昔の三分の一になってしまった」

いったんは積極的な施肥で増収に成功しますが、干ばつで被害を受けてしまいました。
「植え付けのころからさっぱり雨が降らなかったために、水路はかわいてしまい、沼にはひびが入って、秋のとりいれはやっと冬じゅう食べるくらいでした。来年こそと思っていましたが、次の年もまた同じようなひでりでした。」

イーハトーヴ市に向かう汽車で、ブドリはこう思います。
「働きながら勉強して、みんながあんなにつらい思いをしないで沼ばたけを作れるよう、また火山の灰だのひでりだの寒さだのを除くくふうをしたい」

クーボー大博士のもとで勉強しブドリは火山局に就職します。
人工降雨技術について、ブドリの職場の上司のペンネン技師が「旱魃だってちっともこわくなくなるからな。」と言っています。

火山局がポスターで「旱魃の際には、とにかく作物の枯れないぐらいの雨は降らせることができますから、いままで水が来なくなって作付しなかった沼ばたけも、ことしは心配せずに植え付けてください。」と農家に呼び掛けています。

冷害はもちろんですが、干ばつの心配のない未来を、賢治は求めていたのでしょう。


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