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〈生物〉という大きな括りでのバトン

春のようなあたたかい日。
コロナの自宅療養が終わり完治となったので久しぶりに外出する。
吉祥寺へ出かけ、井の頭公園の近くでのんびり本を読んでいると、てんとう虫が飛んできた。

虫ってなんでこんなにかわいいんでしょうか。

喋りもしない、訴えもしないけど、一瞬なにか通じ合ったような。
感情とかじゃない、もっと根源の、何か大きな見えない一本の大きな道の上で重なったような。

そう思った後にはモジモジと歩幅を整えるようにして止まり、羽根を広げてパァと飛んで行った。

虫と触れている時の自分を見る事はできないけど、多分とても無防備で間抜けな顔をしていると思う。

虫だった前世があると思うんだよなぁ。。知らんけども。
(前世カマキリ説有力)

・・・

先月読んだ更科功さんの本でも強調されていたけど、虫だから、人間だから、植物だから、細菌だから、どの生き物が優れている、劣っているってわけじゃない。
全てが密接に、多様に関係し合いながら絶妙なバランスで共生している。

多分、生物多様性の行き着く先は個人規模、人類としての種の存続というより、もはや生物として生き延びるって事に尽きるのだろうな。

人類の滅亡がこの世の終わりじゃなくて、この地球上に何かしら生命が居る限り繋がれていく。
数十億年の間の地球の律動を考えると、たかだか数百万年の歴史の人類は、ほんとただのちょい役にすぎないんだろうな。

そう考えだすと、もう人間が生きていけない過酷な環境になって滅亡したとしても、生きていけるやつ頑張って生きてー!頼むわー!
って、植物にでも、てんとう虫にでもバトンを渡せちゃうのかも。


そんな大きな気持ちにもなったりならなかったりしますが、とにかく今まだ人間が生きられるうちは全力で自分ができる事を見つけてやっていきたいものですね。

今日も一日ありがとうございました🐞

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