私の職業は「これだけはなってはいけない」と思っていた自動車ライター

怪しからん奴らだ!

今よりもよほど頑固でした、子供の頃の小生は。そのことを割り引いて考えても、自動車ライターだけにはなるまい。そう思っていたことははっきりと覚えています。

現在自動車ライターとして、Webメディアや雑誌などで執筆しています。よく言われるのが「いいですね中込さんは。好きなクルマに乗れたり、クルマのイベントに行けたりする仕事で」ということです。

「そんなに良くもない」というのがその回答でしょうか。ある程度人並みにはクルマが好きだったりしますので、確かにクルマと向き合うことが多いですから、楽しくは過ごせています。そういう意味では「ちっとも良くない」と言えば罰が当たります。かといって、「うんといい」かと言われればそうでもありません。書いても書いても収入にならず「ライター業単体では仕事のていをなしていない」からです。

そもそも、昔から冒頭のように考えていました。自動車評論家も雑誌を作る編集部の人たちも、仕事と称してクルマを乗り回すなんぞ、なんと怪しからんことなのだ!と思っていました。羨ましかったんでしょうね。やっかみですね。言いがかりもいいところです。

でも、本心でも「こんな仕事そうそう就けないでしょう」と思っていました。そういうつてもないし、大学だって東大でなくても、出版社とかですから早稲田とか慶応とか出てないとなれないのではないか、そうそう簡単ではないでしょう、と。

しかし、受験に失敗して入った大学も勉学意味が入らず、社会に出るもほどなくして辞めることに。しかしクルマ関連の友達や編集部の人などの知り合いがいて、クルマの事をしべったり書いたりすることは苦痛ではなかったので「何かすることないですか?」とSNSでメッセージを送りまくっていた中で1つ2つと書く場をいただき、今に至るという感じなのです。

とにかくなんとか自動車メディアで書けるようにチャンスを見つけて、夢を追いかけたわけ、では少なくともないのです。

大学も人より時間がかかって入学しましたし、卒業するにもさらに時間がかかりました。そんなですから社会で「すんなり」行くはずもありません。なんか流れから逸脱し、ドロップアウトしたタイミングが何度かありました。そういう時の過ごし方に、今に至る原因があると思います。

「好きなことばかりやってないで、しっかり勉強しなさい。」よく聞く言葉ですし、私も言われたことがあります。けれども、目的も目標もなく、日常的なタスクもない。そういう時、基本的には何をしたらいいかわからなくなるわけですが、そんな中から次に何をするか。今まですでに知っていることしかやりようがないのです。

私の場合も「とはいえ、クルマのメディアにあわよくば行こうかと思っていたじゃないか」と言われると本当にそんなことはありませんでしたが、それでも知っていることで何か「する」=すなわち「何らかのアウトプット」をしようと思ったとき、どうなるかわからない未体験、未経験のことはなかなか手が出ませんし、モノを知らないですから手のつけようもありません。少しでも取り組み始めていて、次はこうしようということはあったとしても、大なり小なり途方に暮れる状態では経験していて知っていることにかんしてしか取り組みようがないわけです。

そういうことで言うと「クルマは好きだ」ということだけが残ってこれに関して少し書いてみるかとなったわけです。前職の会社員時代、ちょうど当時流行っていた企業SNSを始めようということになり、クルマの会社だからそういうエッセーというか読み物というか、そういうのをだれか書く人はいないかという時に、担当していたこともあったので、そのくらいしかできることもなかったというので踏み入れた世界でした。

「クルマの事を書くくらいしかできることがない」

それが私が自動車ライターをやっているきっかけであり、続けている理由なのです。

でも、そんなに良くもない。自動車ライター自体はそういう仕事ですが、「自動車」は好きです。愛情を感じます。素敵なデザインを纏い、古くは神がかった職人のような人が作っていたエンジンで、大地を蹴上げる。その様は勇ましいし、どこか愛おしい。今日手に入れたら明日明後日手放すことはそうそうない自動車。人は何年も愛用していると物質にも感情が移入しするものです。一般人が比較的容易に購入できるモノながら、屈指のメカニカルなものだったりします。これだけコンピューターで設計されるようになってもまだ、それぞれのクルマで個性があります。しかも、その大量生産されたクルマ、マスプロダクトですが、その数だけオーナーがいることで、まったく同じクルマの人生「車生」とでも申しましょうか、そういうものがタブったり同じになることはまずありません。だからクルマそのものも面白いものです。

そして私は「そのクルマで何する?」が興味の対象としては、より大きいのです。

どのクルマに乗るか。それは好きなのに乗ればいい、と思います。これが話題の中心になってきましたし今もそういう傾向はありますが、これを自動車メディアが取り上げるだけでは物足りないと思っています。なぜなら、言われなくてもみんな好きなクルマを買うからです。どんなに警鐘を鳴らしても、評価できないと書き立てても、消費者が好きなクルマはそうではないということはよくある話です。メーカーからしてもそういうクルマを作ればいいのです。逆にどんなにいいと書き立てても、みながそれに乗るわけではありません。クルマの事だけを考えて暮らしている人ばかりではなく、みな普段の暮らしがあります。そういう中で選ばなければならないわけです。クルマ選びは「遊びではない」切実なことなのです。

誌面映え、バズる企画はクルマメディアの事情です。そうしたコンテンツ視点に終始するようなことは本質ではない、とまではいわないまでも、それだけが支配的になるのはますます実態から乖離することではないでしょうか。

どこへ行きますか?何をしますか?いつ出かけましょうか?そんな「クルマに関する5W1H、ただしWHAT以外」をもっと深掘っていきたい。そんな風に考えているのです。

でも各メディアもいろいろ事情や方針もあり、なかなかそうした場所を確保しきれなかったりするものです。かつては書けた内容も、そろそろいいやとか、よくありますね。もちろん私も世の中の人に読んでもらえるようなものを書いていかねばならない訳で、それが合わないというのは、私の力不足の面も否めないわけですが。そんなこともあって、より自動車メディア(活字を中心にした)以外の方でも、もしかしたら読んでいただけるかもしれない、こういう場(note)でも書き残しておこうと思ったのです。

そもそもクルマはオワコンだろ?

確かにそういわれて久しいですが、なかなかどうして「そうでもないのではないかい?」と思えるようなことも少なくありません。もっと言うと、エッジの経った人は、結構クルマのある暮らしを満喫しています。しかも年配の人、若いころからバリバリクルマ好きできた人ばかりでなく、20代でも「よくそんなマニアックなこと知っていますね!」「いい趣味、選択!」と狂喜乱舞、膝を叩きたくなるようなカーライフを送っている人は少なくありません。

またいろいろとうろうろしていると、むしろこれからクルマないとダメだろ!と思わせられることにもしばしば遭遇します。

ここnoteでも、記事にならないようなことを紹介できればと思いますし、皆さんからも「そういえばこんなクルマ見たよ」「こんな人いるんですが」「こういうのがあったらいいよね」とか「特にクルマ好きではないですが」という人からのアイデア、報告、紹介などがあればまた取材したいなと思うほどです。(特にクルマ好きではないですが、という方の話の方が結構新しい視点やユニークな発想に富んでいて面白いという事案は実い多いものです。自動車ライターしていて最大の楽しみはそういう出会かもしれません。)

お前はクルマと一緒に骨をうずめるんだろうな!

そんな捨て台詞めいたことを私に言い放つ人はすでにそう珍しくありません。クルマがオワコンだとか言っているわけでもない、そこそこ身内のものでも、そんなことをいうのですから世の中の辛辣さをかじるわけです。でも思います。

「むしろそうありたいもの。おほめ頂きありがとうございます。」と。

私の仕事は自動車ライター。

この世から最後の一台がなくなるその日まで。

#私の仕事 #自動車ライター  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?