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【デュエプレ】「探索」というシステムがデュエプレにもたらす負の影響について【超覚醒嵐舞】

 こんにちは、牡蠣食えばです。
 今回はデュエル・マスターズ プレイス(以下デュエプレ)に存在する「探索」というシステムについての記事になります。

 先日、デュエプレに《魔弾と煉獄の印》が追加されたことを受け、久しぶりに【ロマノフサイン】をしたくなりデッキを色々と考えていたわけですが、どうにもこうにも「探索」の仕様に苦しめられて狂いそうになったのでnoteの形で吐き出そうと思った次第です。やや長くなってしまいましたがお付き合いいただけると光栄です。
 【ロマノフサイン】についてはまた研究が進めばnoteにしようと思います。

(※2022/08/08追記)
 つらつら書いているうちにとても長い記事となってしまいましたが、超覚醒嵐舞実装時点における「探索」というシステムについて考えつくほぼ全ての内容を検討したものになっていると自負しております。目次などを参考に興味のある内容だけでも是非目を通していってください。

※この記事は「探索」に批判的な立場からの意見となります。予めご承知の上ご覧ください。

※この記事にはいくつか追記があります。項目の見出しを見てご確認ください。

以下常体

⒈「探索」とは

 まず、「探索」とはどのようなシステムであるかについて簡単に振り返る。

 「探索」とは特定の領域から3種類のカードをランダムに抽選するシステムである。

公式カードリストより

 デュエプレは基本的にデュエル・マスターズ(以下デュエマ)を基礎に構成されているがいくつかデュエマと異なるオリジナル要素があり、「探索」はその一つである。「探索」は主に「マナゾーンから〇〇を手札に加えるといった」といったようなあるゾーンを参照する効果に用いられている。以下にデュエマからデュエプレに輸入される際に「探索」が付けられたカードの典型的な例をいくつか挙げるので、普段デュエプレに触れていない方はそれを見てなんとなく方向性を理解して欲しい。

墓地回収
マナ回収

 ここまでで既に「探索」の問題点についてなんとなく察しがついた方もいるのではないかと思われるので早速本題に移ることにする。

⒉「探索」の問題点

①デッキ構築への制約

 「探索」の仕様を見てまず誰もが素朴に「3種類しか提示してくれなかったら融通が利かなくない?」と感じることだろう。

 実際その通りである。

 文明やコストの縛りがない墓地からの呪文回収を行う《魔光王機デ・バウラ伯》は本家デュエマでは高い汎用性を持ち、コントロールデッキをはじめとして様々なデッキで重宝されたが、デュエプレに輸入され能力が「探索」化※するとその汎用性は失われてしまった。「探索」を通じて墓地から回収できる呪文は「探索」にかかった3種類に限られるため、墓地に4種類以上の呪文が存在する状況で《魔光王機デ・バウラ伯》をプレイすることは”欲しい呪文が「探索」にかからず回収できない”という裏目と隣り合わせとなる。

※「探索」化:デュエマにおいて特定の領域を参照する効果を持っていたカードがデュエプレに輸入されるに伴い能力に「探索」の処理が挟まるようになること。筆者の造語であるが以下でも適宜使用する。

 カードゲームにおいてデッキ作成では”不確定要素をできるだけ減らし、自分の想定通りにデッキが機能する”ことを目指すのが定石である。すると試合中に「探索」の濁り※が発生することはできる限り避けなければならず、そのためにデュエプレにおいてはメインギミックに「探索」が絡むデッキを組む際、「探索」対象を3種類までしかデッキに入れないようにして「探索」の濁りを回避する工夫がごく当たり前に行われている。しかしこれは見方を変えれば「探索」というシステムにより「探索」の対象はデッキに3種類までしか入れられないという制約が実質的に課されているといっても良い。

※「探索」によって提示される3種類のカードが一様に定まらない状況を俗に「『探索』が濁る」と呼ぶ。以下でも適宜使用する。

 「探索」が以下に構築を制約しているかについて《邪眼皇ロマノフⅠ世》のデッキを例を挙げて紹介する。

デュエマ版とデュエプレ版で能力の細部には色々な違いがあるが、”登場時に山札から墓地肥やしをし、攻撃時に墓地から呪文を唱える”という大まかなデザインには変わりない。

 《邪眼皇ロマノフⅠ世》は本家デュエマにおいては高い汎用性を持つフィニッシャーとして大いに活躍した。
 登場時の墓地肥やし効果は攻撃時に打ちたい呪文を落とすだけでなく《黒神龍グールジェネレイド》を落として除去に圧力をかけるといった柔軟な使い方ができ、また攻撃時の墓地からの呪文詠唱では種族を生かしてナイトマジックを打ったり、盤面に応じて《デーモン・ハンド》や《魔弾ロマノフ・ストライク》で除去を行なったり、《ソウル・アドバンテージ》で大量ハンデスを決めたり、《インフェルノ・サイン》や《煉獄と魔弾の印》で横展開をしたりと非常に幅広い戦術を取ることができた。

 そんな《邪眼皇ロマノフⅠ世》がデュエプレに輸入されると登場時効果と攻撃時効果の両方が「探索」化した。それにより、テキスト上ではデュエマ版とほとんど遜色ないように見えるものの実際にはまるで使用感が異なるカードになっている。
 まず登場時に「闇のコスト5以上のカード」を山札から「探索」してそのうち2枚を墓地に送ることができるが、「闇のコスト5以上のカード」には当然《邪眼皇ロマノフⅠ世》自身も含まれる。そのため登場時の「探索」が濁らないようにするためには《邪眼皇ロマノフⅠ世》の他に「闇のコスト5以上のカード」を2種類までしかデッキに入れることができなくなる。《邪眼皇ロマノフⅠ世》を採用するデッキのほとんどにおいて「闇のコスト5以上のカード」とは”《邪眼皇ロマノフⅠ世》で打ちたい呪文”に相当するため、登場時能力の「探索」の濁りを嫌うならそのデッキで《邪眼皇ロマノフⅠ世》が攻撃時に積極的に詠唱したい呪文はわずか2種類に絞られてしまう。これは非常に重い構築上の制約としてデッキ構築を歪めている。
 また、攻撃時の「探索」の濁りの方が深刻な問題である。《邪眼皇ロマノフⅠ世》は攻撃時に「闇のコスト7以下の呪文」を墓地から「探索」して詠唱することができる。しかし、例えば相手の盤面が空でハンデスを狙いたい場面にも関わらず墓地に呪文が4種類以上あった場合に「探索」の結果が「除去呪文 / 除去呪文 / 墓地肥やし呪文」などであったら目も当てられない。そのため、《邪眼皇ロマノフⅠ世》を使ったデッキを組む際には「闇のコスト7以下の呪文」をデッキに3種類までにとどめたり、《邪眼皇ロマノフⅠ世》の攻撃時能力で唱えたくない呪文はチャージャーのように墓地にたまらないものにするか墓地肥やしをクリーチャーに任せるといった制約が課せられる。
 このような「探索」がもたらす制約によりデュエプレにおいて《邪眼皇ロマノフⅠ世》のデッキは状況に応じて無数の戦術を柔軟に選ぶことができるというデュエマ時代の個性を失い、相手をコントロールすることを諦め、唱える呪文を絞って自分の動きを押し付けるデッキとしての【ロマノフサイン】が辛うじて成立するにとどまっている。

 以上、やや長くなってしまったが「探索」の仕様がいかに構築を制約しているかを理解してもらえれば幸いである。

②同一名称カードの重複使用不可

 「探索」は特定の領域から3種類のカードをランダムに抽選するシステムであるため、同じ名称のカードが「探索」の結果に重複して表示されることはない。これは《ディメンジョン・ゲート》など「探索」の結果に対し1種類を指定する効果の場合であれば特に気にならなかったのだが、「探索」の結果に対し複数種類を指定する効果の場合には同一名称カードを一度に複数枚対象にして効果を使うことができないという問題が発生する。

 例えば《煉獄邪神M・R・C・ロマノフ》はメテオバーンXにより攻撃時に「コスト6以下の闇または火の呪文」を墓地から最大3枚まで唱えることができるが、超探索(※探索の一種)が挟まっているため《煉獄と魔弾の印》のような一度に複数枚詠唱したい強力な呪文も一度には一枚しか唱えることができない。

Q.超探索とは、どのような能力ですか?
A.指定されたカードをランダムに5種類見る能力です。通常の探索は3種類見ますが、超探索は5種類となります。

デュエプレ公式FAQより

 サービス開始から2年半が経つデュエプレにはすでに本家デュエマでは覚醒編に相当するあたりのカードまでが実装されており、カードパワーの向上も目覚ましい。そのような傾向の中で「探索」はカードが本来持っていたであろう性能を引き出す上での障害としてこれまで以上に”存在感”を強めているように感じる。

③山確認(≒盾確認)が不可能

 デュエマでは毎試合シールドを展開する都合上、自分の山札にどのカードが何枚残っているかを試合の最中に手札・マナゾーン・墓地の情報だけを見て判断することは基本的にできない。そこで《ディメンジョン・ゲート》などの山札全体を参照するサーチカードは単なるキーカードのサーチという役割だけでなく山札にどのカードが何枚残っているかや逆算的にシールドゾーンにどんなカードが埋まっているかを把握する役割も持っていた。

 しかしデュエプレでは特定の領域を参照する効果は基本的に「探索」が挟まる。以下の画像は山札から「探索」した時のキャプチャである。

《邪眼皇ロマノフⅠ世》の登場時効果

 このキャプチャから見てわかるように、「探索」結果の画面を見てもそのゾーンにそれぞれのカードが何枚残っているかがわからないのである。墓地やマナゾーンからの探索であればそれぞれ公開情報であるため「探索」の画面に枚数の表示がなくてもリカバリーはできる※が、山札からの「探索」において枚数がわからないのは対処のしようがない。「探索」の仕様により盾落ちの確認ができない状況で我々は戦わなければならないのである。

※ただしマナゾーンや墓地を対象とした「探索」でも必要な情報を把握するには非常に手間がかかる。これはゲームのUIが絶望的に不便というデュエプレ全体の深刻な問題に関わるためこの記事ではあまり深く立ち入らないこととする。

 例えば【ロマノフサイン】において、シールドが5枚ある相手に対してワンショットキルを決めるには《邪眼皇ロマノフⅠ世》は4体必要であり、1枚でも盾落ちしているならワンショットキルは不可能であるためハンデスや除去を行うように方向転換する必要がある。そのため、キーカードである《邪眼皇ロマノフⅠ世》がシールドゾーンに埋まっているかどうかという情報は致命的に重要であり、その情報が「探索」の仕様により知り得ない状況ではデッキとしての力を最大限発揮できない

 百歩譲って盾落ち確認はゲームのテンポが悪くなるためできなくても仕方がない気がするが、キーカードが盾に埋まっているかという情報すら与えてくれない「探索」はカードゲームとしての醍醐味の一つである”一期一会の状況における試合中のゲームプランの選択”という楽しみすら奪っているといえる。

④本家デュエマが想定していないデザイン

 これまでに紹介した《魔光王機デ・バウラ伯》や《邪眼皇ロマノフⅠ世》はいずれも本家デュエマではその汎用性の高さから強力なカードとして活躍したが、デュエプレに輸入され能力が「探索」化したために融通が利かなくなり、いまいちそのカードの性能を最大限発揮することができず、本家デュエマ時代ほどの活躍ができていないという共通点を持つ。一方、デュエプレに輸入されて能力が「探索」化しても十分な活躍を見せたカードもある。【黒緑ドルバロム】などで活躍した《邪霊神官バーロウ》などはその典型的な例であろう。

  カードゲームにおけるカード能力のデザインは非常に難しく繊細なものであり、一見強そうに見えたが使ってみると実際には弱かったり、逆に下馬評は不評だったが実は環境を席巻する壊れカードになったりするカードはよくある。そのような中で絶妙なバランスを取ってデザインされてきたデュエマのカードに対し、デュエプレが簡単に「探索」化してこれまでに示してきたような欠陥を抱えさせることが何も起こさないはずがなかった。「探索」は本家デュエマにおいて想定されていない挙動であり、それゆえデュエマのカードは「探索」が抱える問題をケアするようにデザインされていないのである。
 デュエプレでは本家デュエマにおいて特定の領域を参照する効果を持っていたカードを輸入する際に半ば機械的にその能力を「探索」化した結果、さまざまな歪みが生じている。先に紹介したような”汎用性を強みとしていたカードの弱体化”などである。他には、「探索」の影響で試合状況に応じた器用な立ち回りが厳しくなったためにデュエプレでは長い間コントロールデッキがなかなか活躍しにくい環境にあったことやデッキに入れられる「探索」対象が3種類に絞られる結果として4×10のいわゆる「業者構築」が流行したことなどが挙げられる。

 特に私が問題だと考えるものはやはりカード単体の汎用性が死にステータスになっていることである。カード単体のテキストを見ると”なんでもできそう”に思えるが実際にデッキを組もうとすると”何にもできない”というカードが生み出されるのは誰の得にもなっていないからである。「探索」の対象が広いということは裏を返せばそのカードの「探索」対象を色々デッキに採用しても試合中に欲しい場面で欲しいカードにアクセスすることができず、カードとして活躍させることができないということを意味するからである。

⑤中途半端な「探索」への適応によるカードデザインの歪み

 以上の「探索」が抱える問題点を踏まえるに、能力が「探索」化して困るのは「探索」対象が幅広い”汎用的な”効果を持つカードである。
 そして、デュエプレの運営はこの問題について何も考えていないわけではなく、「探索」の問題のうち特に構築にかかる制限を緩和するための工夫をいくつかしてきた。その工夫の方向性は大きく分けると以下の2つにまとめられる。⑴「探索」対象を狭い範囲に限定する⑵他のカードの「探索」対象を前提としてカードをデザインする。以下でそれぞれについて説明する。

⑴「探索」対象を狭い範囲に限定する

 「探索」が3種類しか選べないのであれば”「探索」対象が3種類もあれば十分”となるようにカードをデザインすれば良いという考えのもと設計されたであろうカードがデュエプレには多く存在する。その中でも実際にデュエプレ環境でも活躍をした《連珠の精霊アガピトス》を例に挙げて具体的に説明する。

※能力はナーフ前のもの、以下の説明でも同じ

 《連珠の精霊アガピトス》は本家デュエマに存在せず、デュエプレオリジナルカードとして生み出されたカードである(その後、逆輸入という形でデュエマにも実装された)。そのような背景を持つ《連珠の精霊アガピトス》はデュエマにルーツを持つ他のカードとは異なり「探索」を所与の前提として能力がデザインされたため、「探索」を能力の根幹に据えるカードとしては珍しくデュエプレ環境を席巻した。
 《連珠の精霊アガピトス》が「探索」を持ちながらそれほどまでに強かった理由はその「探索」対象が「光のコスト3以下のクリーチャー」と非常に限定的であったからである。
 《連珠の精霊アガピトス》が登場したのは本家デュエマの不死鳥編〜極神編1、2弾を基盤とした極神創世譚である。当時の本家デュエマ上のカードプールにおける「光のコスト3以下のクリーチャー」がどのようなラインナップであったか以下のリストを参考に確認して欲しい。

デュエル・マスターズ公式カードリストより

 このようなカードプールにおいて「光のコスト3以下のクリーチャー」として3種類のカードだけが極端に高いカードパワーを持って実装されたとしたらどうなるだろうか。結果は以下の通りである。

 当時のカードプールにおいては《霊騎幻獣ウルコス》(デュエプレオリジナルカード)、《居合のアラゴナイト》(デュエプレにて強化)、《剛勇王機フルメタル・レモン》(デュエプレにて強化)が「光のコスト3以下のクリーチャー」として突出してカードパワーが高かったため、「探索」が抱える”「探索」対象を3種類しかデッキに採用できない”という悩みはあってないようなものであった。そのため、《連珠の精霊アガピトス》は「探索」の問題点である構築への制約を回避し”状況に応じて必要なカードを必要な時に使える”という利点だけを手に入れることができたのである。

 では《連珠の精霊アガピトス》などに倣い、すれば良いのかと言えばそういうわけでもない。

 「探索」範囲を絞ることによりその制約を回避して強力なカードとなった例としては他にナーフ前の《モノノフ・ルピア》や《ブレイブ・ルピア》などが挙げられるが、これらはカードとしてはうまくいったと言えるが、一方で「デザイナーズデッキしか環境で勝てない」という環境の歪みをもたらした。他のカードやデッキが「探索」を持て余す中でサーチという強力なギミックを制約なく取り入れることのできるデッキが他のデッキを圧倒するパワーを得てしまったのである。

いずれもナーフ前の能力

 また、「探索」はその対象範囲を限定的にしたことがかえって問題になる典型的な例として《黙示賢者ソルハバキ》が存在する。

 《黙示賢者ソルハバキ》は本家デュエマでは無制限のマナ回収が可能であり、コントロールデッキなどにピン投されて終盤に必要パーツをマナから回収するといった汎用的な役割を担っていた。しかしデュエプレに輸入されるにあたりマナ回収効果が「探索」化する際、「探索」対象に制限を加えればよいだろうという親切心の下、回収できる対象が「オリジンまたは呪文」と限定された。これにより《黙示賢者ソルハバキ》は本家デュエマのような汎用性を失い、現在のデュエプレ環境ではコントロールデッキでの採用は無く、”登場時に使用可能マナが1増える”という性質をメインとして赤白速攻に採用されるに留まっている。

 以上のことより、デュエプレにおいて無から「探索」に適応したカードを作ると強力なカードが生まれるが「探索」を前提としない本家デュエマ出身のカードとの性能差が環境に歪みをもたらすことや「探索」を前提としない本家デュエマのカードに多少工夫しようとも「探索」化してしまったら元々そのカードが持っていた性能を完璧に引き出すことはできないということがわかる。むしろ「探索」に変に適合しようとした工夫がかえってそのカードの本来のデザインを歪めてしまうという問題も発生している。

⑵他のカードの「探索」対象を前提としてカードをデザインする

 「探索」が3種類しか選べないのであれば”あるカードの「探索」対象にしたい候補を3種類に絞らせる”または”あるカードの「探索」対象を4種類以上にしない”ようにカードをデザインすれば良いという考えのもと設計されたであろうカードもデュエプレにはそれなりに存在する。

 まず前者について。最も典型的な例は《霊騎幻獣ウルコス》《居合のアラゴナイト》《剛勇王機フルメタル・レモン》の3種類のカードたちであろう。

※《剛勇王機フルメタル・レモン》はナーフ前の性能

 これらはデュエプレオリジナルのカードかデュエプレに輸入された際に能力が強化されているカードである。そしてそれらのデザインは先に述べたように《連珠の精霊アガピトス》の「探索」対象を前提とされており、その目的は”《連珠の精霊アガピトス》のデッキで採用する「探索」対象を悩ませない”ところにある。

 また後者について。最も典型的な例は《蒼狼剣 クサナギ・ブレード》であろう。

 このカードは《蒼狼の始祖アマテラス》の「探索」対象を前提とし、その「探索」に含まれないようにするためあえてクロスギアとして実装されたものである。

 《エンペラー・キリコ》を出すことを目指すデッキにおいて序盤のマナブーストは避けては通れない。しかし《フェアリー・ライフ》などの2コスブースト呪文を大量にデッキに入れてしまうと《蒼狼の始祖アマテラス》の「探索」対象である「コスト4以下の呪文」の種類が増え、キーカードである《神歌の星域》に安定してアクセスすることができなくなるという問題が発生する。そこで、デュエプレのカード開発陣は2コスブーストをクロスギアに担わせることでその問題を解決しようとし、その結果として生まれたのが《蒼狼剣 クサナギ・ブレード》というデュエプレオリジナルカードである。これは「探索」が存在することによるカードデザインの歪みそのものではないか。

※2022/09/20追記
Q.
 「《蒼狼剣 クサナギ・ブレード》は別にクロスギア軸のサムライデッキの初動として使えるので”キリコ専用カード”として作られたわけじゃないと思います。【キリコ】でしか使ってないから”キリコ専用カード”にしか見えないんじゃないですか?」
A.
 呪文でないマナブースト要員として《青銅の鎧》すら駆り出さざるを得ず、また結果を残しているほとんどのデッキに《蒼狼剣 クサナギ・ブレード》が採用されているデュエプレの【キリコ】において《蒼狼剣 クサナギ・ブレード》が存在しないor呪文として実装されていたならおそらく【キリコ】はデッキとして相当苦しい思いを強いられていたはずです。
 【キリコ】の初動として生み出されたカードが結果的にクロスギア軸のサムライの強化につながっただけであり、クロスギア軸のサムライを強化するためにわざわざクロスギアとして実装されたわけではないと考えています。《零龍》とのデザイナーズコンボを前提に作られた《闇王ゼーロ》が《砕慄接続 グレイトフル・ベン》や《不死鳥縫合 ブラック・ビッグバン》といくら相性が良くても”《零龍》とのデザイナーズコンボを前提に作られた”という事実には変わりないのと同じことです。

 以上、「探索」が抱える構築上の問題点に積極的または消極的に適応しようとしたカードデザイン上の工夫とその歪みについて見てきた。他にもカードの例を挙げればキリがないがここでは省略させてもらう。

⑥雑なインフレ抑止の思惑

 次は一旦視点を変えて”アプリでできるデュエマ”を標榜するデュエプレがなぜデュエマと相容れないシステムである「探索」を採用し続けているのかということについて考察する。

デュエプレの謳い文句(公式HPより

 「探索」はこれまで述べてきたように直接的ないし間接的に、カードの能力だけでなくデュエプレ全体に大きな負の影響をもたらしていることは否定できない。また、「探索」の仕様についてプレイヤーからも批判的に見られることが多い。私個人としては「探索」というシステムをゲーム体験の向上という積極的な文脈で論じる方便を持ち合わせていない※。

※後述する5-③にて”盾確認ができない”ことがむしろメリットではないかという気づきを得たことに触れている。

 なお、「探索」についてデュエプレのサービス開始当初は全領域をチェックするシステムが技術的な問題で実装できないのではないかという意見もちらほらあったが、マナ進化や墓地進化が現在の仕様で実装されていることから技術面がボトルネックとなり特定の領域の全カードを参照することができないという状況になっているわけではないだろう

現状の墓地進化は墓地の全カードを参照することができる。

 結論から述べると、問題点が多く、またプレイヤーからも嫌われている「探索」がデュエプレで維持されている理由はおそらく「探索」に”意図せぬ壊れデッキを生み出さないようにする事前規制”という役割を持たせているからであろう。

 既存のあるカードが新カードと思いがけないシナジーを生み出して強力なデッキが誕生するというのはカードゲームの醍醐味の一つであり、プレイヤー側はそのためにカードプールを見渡して知恵を絞る。そして、カード開発側は環境を破壊するほど強力なデッキが作られないように既存のカードプールとの整合性を考えて緻密な計算の下カードをデザインする。
 これが理想的なカード開発とプレイヤーの関係性であるが、デュエプレはそうではない。新カードがもたらす意図せぬシナジーにより開発側の想定を超えた強さのデッキが登場しないように「探索」というシステムによりハナからカードの可能性、すなわちプレイヤーによるデッキ構築の可能性を縛っているのがデュエプレの現状である

 「探索」は以下の2つの点で壊れデッキへの事前規制として有効に機能している。一つはいくらカードプールが追加されたとしても「探索」を持つカードが一つのデッキで安定してとりうるプランは3つより増えないことである。既存カードと相性の良い新カードが実装されたとしても、そのカードを「探索」の濁りなく採用するには既存の戦略を一つ諦める必要がある。例えば《邪眼皇ロマノフⅠ世》は《煉獄と魔弾の印》が実装されたことで、既存のデッキから《インフェルノ・サイン》が抜けて《煉獄と魔弾の印》が採用された。
 もう一つは「探索」対象を限定することで不意のシナジー形成を防ぐことである。例えば、「探索」対象を「進化オリジン・クリーチャー」に限定している《神歌の星域》は今後新カードを考える際にも「進化オリジン・クリーチャー」の範囲でカードパワーを調整すれば良いので開発側にとって「想定外」の事態が起こる可能性が低くなる。

 「探索」が”弱い”能力であるかどうかについて、実際にデュエプレのバトルアリーナやグランドマスターの優勝構築を見ると「探索」が構築の根幹を担っているデッキはほとんどない。

こちらを参照(2022/08/06現在)

※注釈を付けるとすればバトルアリーナ7thを制したデイガナイトであろう(優勝構築はこちら)。このデッキでは《暗黒皇グレイテスト・シーザー》が「自分の墓地から闇、火またはナイトの呪文を探索し、その中からコストの合計が10以下になるように好きな枚数選び、コストを支払わずに唱えてもよい」と「探索」効果を持っているにもかかわらず、その「探索」対象は7種類に及んでいた。しかしながら試合中に7種類の呪文全てが墓地に揃うことはほぼなく基本的に4種類前後から「探索」が行われたためブレが少なかったこと、呪文のカードパワーが高く何が「探索」に掛かったとしても十分に仕事をしてくれたことなどの要因により「探索」を軸としながら強力なデッキとなった。

 このように、「探索」はカードパワーのインフレや壊れデッキの出現をカードの可能性を一律して抑えるというあまりに雑な形で抑制するために使われている。カードプールの調整がカードの拡張性を犠牲にする「探索」のようにあまりに露骨なプレイヤー側への負担によって成立している状況を私は好ましいとは思わない。まして、「デュエマ」を名乗るのであればなおのこと、デュエマには存在しなかった不自由さでプレイヤーを苦しめる状態は避けるべきである。

⒊「探索」とデュエプレの今後について

 以上つらつらと「探索」に対する文句をつらつらと並べてきたが、端的にまとめると”デッキ構築やカードの運用を縛り、プレイに必要な情報すら十分に表示しない上、本家デュエマのカードデザインを歪めてカードプール全体に欠陥をもたらすようなクソみたいなシステムをカードプールの調整をサボるためだけに温存するのはおかしいだろ”ということである。

 これを踏まえて「探索」とそのシステムを抱えるデュエプレの今後について私見を述べてこの記事を締めようと思う。

※2022/08/07追記
・弁証法的発想により3-①を「正(テーゼ)」、3-②を「反(アンチテーゼ)」の要素と捉えて3-④に「合(ジンテーゼ)」となる説明を追加した。

①【正】「探索」廃止→デュエプレ上でも本家デュエマと同様の操作を可能にする。

 こちらが私の理想であり、またインターネット上でも「『探索』はなくなればいい」という声をよく見かける。

 先に述べたようにマナ進化や墓地進化で特定の領域のカードを全て参照することができていることから、デュエプレ上で「探索」に頼らずに本家デュエマと同様の操作をすることは技術的にはおそらく不可能ではないのだろう(新弾のデバッグをユーザーにやらせているなどと揶揄されるデュエプレにどれほどの技術力があるのかは確かではないが)

 今後デュエプレが本家デュエマのカードプールに従って新カードを実装していくのなら、デュエマの拡張性とデュエプレの「探索」との避け難い衝突が予想されるそもそも「探索」はカードプールの拡張自体とアンチシナジーである。かつてはカードが単純な効果でありカードプールも狭かったために「探索」の抱える問題はそれほど表面化してこなかった。しかし、すでにデュエプレは本家デュエマの覚醒編までのカードを実装しており、カード効果の複雑さやカードプール全体の広さもかつての比ではない。このような状況においてこの記事で述べたような多くの問題を抱える「探索」を今後も温存しながらデュエマとしても面白さを維持していくことはほとんど困難なように思われる。すでに《煉獄邪神M・R・Cロマノフ》が《煉獄と魔弾の印》を複数枚同時に唱えられないなど「探索」はその限界を見せつつある。

 本家デュエマでできることができないゲームは「デュエマ」を名乗るべきではない。「探索」は本家デュエマにおけるサーチの代用にはなっていない。そして単にサーチを不便にしているだけでなくカードデザイン全体を歪めている。しばしばデュエプレのオリジナルカードが槍玉に上げられることが多いが、オリジナルカードや魔改造効果を持ったカードが必要になっているのは「探索」の存在故であり、「探索」こそがデュエプレの歪みの根本である。

 あくまで「デュエマ」のゲームであることにこだわるのであれば「探索」は絶対に共存できないシステムである。早急に廃止することを私は希望する。

②【反】「探索」温存→本家デュエマと決別し、「探索」を前提としたデュエプレオリジナルなカードプールを目指す。

 「探索」の温存にはプレイヤー側に何のメリットもなくその廃止により救われる命は多くあると思われるが、一方でデュエプレ運営側は「探索」をデュエプレ固有のシステムとして定着していると思っており、その廃止は絶望的であることも事実だ。
 特に「超探索」の実装は「探索」廃止論者を絶望させるには十分すぎる出来事であった。「超探索」の実装からは⑴デュエプレ運営が「探索」の不自由さを認識していること、⑵その不自由さを解消するために「探索」そのものをなくすのではなく「探索」を改良するという方法を採用したこと、⑶既存の「探索」を持ったカード全てがその不自由さから解放されるのではなく運営が決めた「超探索」を持つことを許されたカードのみがその不自由さから解放されることが読み取れた。すなわち、「探索」に問題があることを認識していながら「探索」を廃止する気はないという思いが「超探索」の実装に込められている

 では「探索」が廃止されないのであれば次善策としてデュエプレがどのような道に進むことを望めば良いのだろうか。
 極論を述べてしまえば本家デュエマのカードプールの再現を諦め、「探索」をきめ細かく行えるようにすべきである。すなわち、遊戯王があらゆるテーマに固有のサーチカードを用意しているようにデュエプレもテーマ固有の《モノノフ・ルピア》を刷るべきであるのだ。
 しかしながら、この提案はあながち突飛なものではないのかもしれない。最近のデュエプレの傾向を踏まえれば、テーマごとに「探索」を行えるオリジナルカードを配置することはすでに行われているように思われる。例えば《邪眼銃士ディミトリ卿》がそうである。

③まとめ

 「探索」がデュエル・マスターズと相容れないことはもはや明らかである。デュエプレは、”アプリでできるデュエマ”を標榜するのであれば「探索」とは一刻も早く決別すべきであるし、また「探索」を維持していくのであれば”アプリでできるデュエマ”であることを諦め、”デュエマに似たゲームができるアプリ”としてオリジナルカードを活用するなどしてその問題点を早急に克服すべきである
 現在のデュエプレはそのどちらでもなく対応が中途半端であるためより問題が深刻である。デュエマができるゲームとして本家デュエマからカードを輸入しているが、「探索」がない前提でデザインされたカードを機械的に輸入しているためカードが本来の性能を発揮できないでいる。また、「探索」が存在するデュエプレはデュエマと性質を異にするものであるにもかかわらず、「デュエマ」であることにこだわり、「探索」への適応も十分ではない。

 今後のデュエプレに最低限期待するのはデュエマと「探索」という両立し得ない二つの要素のどちらを維持するのかを明確にすることである。「超探索」ごときでは解決していない。「超探索」は2-①で見たようなデッキ構築の制約は緩和できるかもしれないが、「探索」の抱える問題はそれだけではない。

④【合】「探索」一部廃止、一部温存→公開領域への「探索」のみ廃止しながらカードデザイン全体は「探索」と矛盾がないように工夫する。(※2022/08/08追記)

 この記事はもともと3-①,②,③まで書いた時点で公開していたが、この記事に寄せられた反応を受け、さらに自分の中で納得できる結論に至ったため記事公開後であるが追記する。
 自分の理想は変わらず「探索」については廃止が望ましいと考えるものの、”デュエプレとして理想的な「探索」のあり方”は別にまた存在していると考えたからである。

 まず「探索」と一口に言ってもマナゾーンや墓地への「探索」と山札への「探索」は性質が異なるものと捉えるべきである。
 マナゾーンや墓地への「探索」については、公開領域に対してランダム性を働かせる点が不合理であるし、現にマナ進化や墓地進化ではその領域のカードを全て見ることがシステム上可能になっていることから快く思っていないプレイヤーは多い。一方、山札への「探索」については、そもそも山札が非公開領域であることや枚数が多く全部のカードを閲覧できるようになればカードを探すだけでも時間がかかってしまうなどの懸念から「探索」の存在によりその内容を完全に把握できないことについて否定的な意見は比較的少ない。

 この点を踏まえれば、マナゾーンや墓地への「探索」は無くす一方、山札への「探索」は残しておくというのがデュエプレにとって”デュエプレらしさ”と”デュエマ本来が持つゲーム性”をうまく調和できるような「探索」のあり方ではないかと考える。

 本家デュエマにおいて山札全体を見るカードはその効果の処理に不必要な情報まで見てしまうという欠陥を抱えていると捉えることができ、そのあたりをシステムが勝手に処理してくれるという点はTCGにはできないDCGたるデュエプレならではの特徴であろう。山札の中身を見ずに済むということはシールドゾーンに何が埋まっているかを知らずに済むということであり、最後のシールドが割られるまでSトリガーによる逆転の可能性に賭けることができるというデュエマの最大の面白みが十分に活かされるようになる。
 その点を考慮すると山札への「探索」はこの記事で見てきた「探索」についてのさまざまな問題点を差し引いてもデュエプレをデュエプレたらしめるシステムとして維持していくことに十分な意義があるように思われる。

 ただし、マナゾーン・墓地への「探索」だけデュエマ仕様にしただけでは不十分である。依然一部ではあるが「探索」を残す都合上、「探索」に配慮したカードデザインは不可欠である。《邪眼皇ロマノフⅠ世》のような問題は再び起こしてはならないのである。

 「探索」は廃止した方が好ましいが、山札への「探索」についてはそれなりに意義を感じられるものであり、「探索」の存在に十分配慮したカードデザインをする限り山札への「探索」は温存しても問題ないのではないか、というのがデュエプレは”デュエマとは異なるゲーム”という要素を十分に考慮した上での私の結論である。

⒋おわりに

 ここまで読んでいただきありがとうございました。【ロマノフサイン】の構築に悩んでる間に「探索」についての恨み言が次から次へと湧いてきてしまったため思った以上に長い記事となってしまいました。

 Twitterなどを見ていても「探索」について批判的な意見は多く見られたのですが、「では『探索』の何が問題なのか」という点について網羅的に指摘できているものはないと感じていました。しかし、「探索」はまともに向き合ってダメなところを挙げようとすると非常に骨が折れるほどデュエプレ全体に浸透しており、結果的にこの記事全体で分量が2万字を優に超えてしまいました。

 私が思うに「探索」はデュエプレの本質でかつデュエマとの最大の相違点であるため「探索」の影響を無視してデュエプレを語ることはできません。この記事を通して「探索」は単に”サーチが不自由”といった小さな問題にとどまらず、デュエプレ全体に大きな負の影響をもたらしているということを少しでも理解していただけたら幸いです。 


 また、この記事を読んだ方で「探索」をどのように捉えているかについて何か意見があればこの記事ないし私のTwitterにコメントいただけるとありがたいです。


 ではまた。



⒌追記

 記事を公開した後、読んでくださった方をはじめとして様々な反応がありました。その中には記事の中で十分に触れていないと感じた内容もいくつかあったため追記という形で補足させていただきます。

①「探索」によってゲームテンポのロスを回避できているのではないか。(※2022/08/08追記)

 「『探索』はもともと選択肢を絞ることでカードを使う時に悩む時間を減らしてゲームのテンポを良くするために導入されたシステムではないか」といった意見がこの記事への反応としてそれなりに見られた。

 そもそも「探索」というデュエマにないデュエプレ独自の要素がどのような目的で実装されたのかについて公式からの言及はない。公式Twitterにおいて「新能力」といってヌルッと紹介されたっきり我々プレイヤーはその存在を所与の前提として受け入れているに過ぎない。

 ゆえに”「探索」がどのような目的で実装されたか”について考えることは本質的には不毛であり、この記事では”「探索」が実質としていかにデュエプレに不利益をもたらしているか”に焦点を当ててきた。

 しかしながら「探索」がゲームテンポに貢献しているはずだという認識は無視できない人に共有されているようであり、ここでその正当性を検討する意義はあるように感じる。
 この項目では以下で⑴「探索」がデュエプレのゲームテンポに貢献しているのか⑵デュエプレにおいて”ゲームテンポ”はどの程度の重要性を持つのかの2点について考える。

⑴「探索」がデュエプレのゲームテンポに貢献しているのか

 件の説の言い分はこうである。
 「探索」は効果の対象となるカードを3種類だけ提示するため”特定のカードを探す手間”や”デッキの中身の把握などその効果の使用において不必要な作業をする時間”を省略するという役割を果たしており、もしデュエプレに「探索」がなければ効果処理の一つひとつが長引きゲームとしてテンポの悪いものになってしまうはずだ。

 この見解には一理ある。「探索」が”効果の処理に必要な情報だけしか提示しない”という性質は記事の本文では指摘していなかったが見過ごすことのできない性質であろう。
 しかしながら、以下の2点を指摘しておかなければならない。(ⅰ)「探索」が濁る状況では「探索」の結果次第でプランの変更を余儀なくされかえって思考時間が増えてしまうのではないか、(ⅱ)デュエプレにおいては意味不明に重いアプリの動作や快適な操作を阻害するUIこそがゲームテンポのロスを招いているのではないかということである。

 なお、仮に「探索」以外の手段を採用するとした場合、特定の領域のカードを効率よく確認するUIの例としてPTCGOは良い参考となると考える。

この一覧性があれば紙ほど手間はかからないだろう。

⑵デュエプレにおいて”ゲームテンポ”はどの程度の重要性を持つのか

 山札を見るという処理を挟む効果は”ゲームテンポ”を悪くするため、近年のデュエマでは避けられるようになっているという見解がある(以下の記事を参照)。

 この傾向を踏まえると2019年にサービスを開始したデュエプレが「山札をシャッフルする効果」(≒山札を見る効果)に伴うテンポロスという弊害を避けるために「探索」を導入したと考えられなくもない。ここからデュエプレの運営としては”ゲームテンポ”を良くすることが重要な問題であると認識していることが読み取れる。

”ゲームテンポ”の向上のための取り組みとして他にはデュエプレ式マナシステムが挙げられる。「デュエマで遊ぼう」のようにカードを使うたびに指定のマナをタップする操作が挟まれば非常にテンポロスであることは言うまでもなく、自動的にマナが支払われるようになっている現在のデュエプレのマナシステムは”ゲームテンポ”に配慮した工夫と捉えることができる。

 一方、プレイヤー側からの”ゲームテンポ”へのニーズはどうなっているのだろうか。
 デュエプレはスマホゲームである以上サクサク進められることが重要であると考える人とデュエプレはデュエマである以上片手間にサクサクやろうとすること自体間違っていると考える人がいる。後者の勢力はデュエマにはそもそもSトリガーなど自分ターンにも相手の行動が挟まるようにそもそもシャドバみたくサクサクプレイするようにはデザインされておらず、そのためデュエマを下敷きにするデュエプレにおいてはある程度のテンポロスは許容するべきだと主張する。
 しかしながらこの主張は”Sトリガーのような相手の行動が挟まることによるテンポロス”と”盾確認のような自分だけの行動によるテンポロス”を混同している詭弁である。「探索」が防ぐテンポロスは後者のものを指しており、Sトリガーによるテンポロスの可能性を指摘して「探索」を廃止した際に生じるであろうテンポロスを許容するように求めることは論理的に破綻している。
 よってデュエプレにおいて”ゲームテンポ”の犠牲を致し方ないとする考えには酌むべき要素はあまりなく、プレイヤーの多くは”ゲームテンポ”が良くあることを期待していると考えて良い。

 以上⑴、⑵より、プレイヤーのニーズに応えてデュエプレ運営は”ゲームテンポ”の向上のために「探索」を導入し、それは一部で成果を上げているが、ある場面ではむしろ「探索」があるゆえにテンポロスを招くこともあるとまとめられる。また、そもそも”ゲームテンポ”を向上させたければゲームの動作性やUIの改善こそが急務であり、「探索」はメリットとデメリットが釣り合っておらず”ゲームテンポ”維持の工夫としては下策だというのが私の意見である。

②「探索」はデュエプレ固有のシステムとして受け入れるべきだ。何でもかんでもデュエマと同じにすれば良いわけではない。(※2022/08/08追記)

 「『探索』はデュエプレ式マナシステムと並びデュエプレを象徴するシステムである」、「『探索』による構築制限もデュエプレの面白みの一つだ」、「『探索』があるからこそ成立している能力もある」、「『探索』が嫌なら紙だけやってろよ。デュエプレはデュエプレ、デュエマはデュエマだろ」などという反応が「探索」肯定派に見られた。

 クロスギアの改良に代表される”デュエマ時代の反省を活かして性能に改良を施されたカードたちを使うことができる”という点でデュエプレに対してデュエマにはない魅力を感じており、この魅力を最大限発揮する上での障害として「探索」というシステムを捉えてこの記事ではやや批判的に記述してきた。
 しかしながら、本文の記述のみでは上に述べたような「探索」肯定派の意見に対して十分に応えられていないように思われるため、以下では⑴「探索」による構築への制約は”面白い”か⑵「探索」があることによりカードパワーが適正に保たれているのではないか⑶「探索」はデュエプレの本質であり、廃止することは不可能ではないかの3点について補足する。

⑴「探索」による構築への制約は”面白い”か

 「探索」は”安定して行動できるが選択肢が狭まる”と”選択肢が広がるがどの選択肢を試合中に取れるかは運による”というトレードオフの下成立しているシステムである。そしてこのトレードオフを前提にデッキを構築することに喜びを覚えるプレイヤーは少なからず存在している。その感性を私は否定するつもりはない。

 「探索」がもたらす構築への制約についてそれが合理的なものである限り私はそれなりの理解を示すつもりである。例えば《ボルット・紫郎・バルット》や《無頼妖精ワイルド・リリィ》などは「探索」であることに不満はない。むしろ「探索」が存在することで「デッキには3種類しか採用しないでおこう」などと構築の方針になりさえする場合もある。

 しかし、「探索」を維持するなら「探索」がカードデザインと衝突しないように配慮すべきである。つまり、具体的に言えば《邪眼皇ロマノフⅠ世》のようなカードを生み出さないように能力を「探索」化するなら細心の注意を払うべきである。
 すでにこの記事の2-①で述べたことなので省略するが、《邪眼皇ロマノフⅠ世》は現在の能力では攻撃時に詠唱したい呪文をデッキに3種類採用することすらできない。「『探索』があっても構築で工夫すれば良い」という話で済まない不合理さを《邪眼皇ロマノフⅠ世》は抱えており、理不尽にも思える構築制限を前にしてはもはや”面白さ”を感じることはできない。このようなカードを生み出してしまうのであれば「探索」を維持するデュエプレが今後新たにカードをデザインすることに対しても不信感を持たざるを得ないというのが率直な気持ちである。

 「探索」がもたらす制約については適度なものであればデュエプレの特徴としてそこに”面白さ”を見出すことができ、それゆえ「探索」を含む能力を実装する際にはそのデザインに理不尽な制約が生じないように配慮する必要がある、と私は考える。

⑵「探索」があることによりカードパワーが適正に保たれているのではないか

 この項目で取り上げるのは具体的には《蒼狼の始祖アマテラス》である。

 本家デュエマではプレミアム殿堂入りカード(=禁止カード)にされているほど強力だった《蒼狼の始祖アマテラス》はデュエプレでも能力が「探索」化した以外に変化はない。それだけの変化であるがこのカードはデュエマで発揮したその最大の強みである器用さを「探索」によって失い、超覚醒嵐舞時点では【キリコ】デッキで《神歌の星域》を唱える機械に留まっている。このような事例を指して「『探索』がカードパワーの抑制に貢献しており、『探索』があることにより許されているカードがデュエプレにはある」と主張し、「探索」に対して好意的な感情を持っている人がいるようだ。

 しかし、《蒼狼の始祖アマテラス》については「探索」がほぼ無修正でデュエプレに能力を輸入する際の唯一の手段であるようには思えない。DCGであるのだから「このカードはコスト4以下の呪文(クロスギア)12枚以上と同時にデッキに入れることができない」といった工夫を施すことでも同様の効果は期待でき、このカードのためだけに「探索」を温存する正当性を見出すことはできない。

 「探索」がカードパワーを抑えていることは紛れもない事実であり、そのことはこの記事でも述べてきたことではあるが、カードパワーの抑制は「探索」以外の手段でも可能であり、さまざまな負の影響を持つ「探索」によって追求すべきものではない、と私は考える。

⑶「探索」はデュエプレの本質であり、廃止することは不可能ではないか

 デュエプレはデュエマではなく、デュエプレがデュエマと異なる要素を持っていたとしてもそれが直ちに改めるべき欠点とはならない、という意見はもっともである。しかしながら、《邪眼皇ロマノフⅠ世》がそのデザイン上のポテンシャルを発揮できずに《インフェルノ・サイン》や《魔弾と煉獄の印》を用いたワンショットデッキでしか活躍できていない状況など「探索」がカードの可能性を抑圧している問題は少なからずデュエプレには存在している。

 デュエプレが「探索」をデュエマとの分水嶺となるゲームの本質として位置付けるのであれば、もっと真摯に「探索」というシステムに向き合うべきである。”攻撃時に唱えたい呪文を登場時に墓地に落とす”というデザインのカードに”「探索」の制約に収まるように攻撃時に唱えたい呪文を3種類デッキに採用したら登場時の「探索」が濁る”といった理不尽な矛盾を抱えながら「探索」はデュエプレの本質だなんて平気な顔をしていては困るのだ。
 「探索」はこの記事で見てきたように本家デュエマにはないさまざまな影響を持っており、デュエプレのカードを作る際には単なるデュエマからの輸入ではなくそれを踏まえた工夫が求められるのである。

③盾確認はできる方がむしろ間違っているのではないか。(※2022/08/08追記)

 「そもそもデッキ全体を見ることができる効果の処理において盾の内容を確認できてしまうことの方がむしろ”バグ”であり、『探索』は最後までトリガーが埋まっているかでハラハラドキドキすることを保障してくれている」という反応があった。

 これは非常に納得できる主張であるだと感じた。山札という非公開領域の情報を非公開のままでその中身に触れることができるという山札への「探索」はDCGたるデュエプレにしかできない芸当である。「シールドゾーンのカードを確認して良い」という効果ではないカードの効果処理の過程でどのようなカードが盾に落ちているかという情報を得ることは半ば脱法行為であり、確かに健全ではない。盾確認にそれなりに無用な時間が割かれてしまうことも加味すれば、山札への「探索」はDCGとしての特性をうまくデュエプレに融合させたシステムとして維持すべきであろう。この点については3-④にて詳しく記述している。

④墓地・マナゾーンの「探索」と山札の「探索」は性質が異なるのではないか。(※2022/08/08追記)

 「山札への『探索』は適正だと思うが、マナや墓地への『探索』はやめて欲しい」、「マナ進化や墓地進化ができるのであれば公開領域への『探索』はやめてくれ」といった類の反応は多かった。

 この記事ではあらゆる「探索」を一括りにして記述してきたが、おそらく公開領域(墓地・マナゾーン)への「探索」と非公開領域(山札)への「探索」はその性質が若干異なっており、分けて考えなければ「探索」の本質には迫れないだろう。

⑤「探索」バグの発生は許容しうるか。(※2022/08/08追記)

 「探索」バグとは「探索」が濁る状況下で欲しいカードが「探索」の結果として提示されず、その場面における最適なプレイングが阻害されることを指す。

 「探索」バグにより勝敗が決するのはやや不健全なように思われるが、本家デュエマでもキーパーツがシールドゾーンに埋まったことにより負けてしまうという現象はあり、許容せざるを得ないのではないかと思われる。

 しかし、本家デュエマでの「盾落ち」とデュエプレでの「探索」バグでは遭遇する確率は後者の方が圧倒的に高く、「探索」バグは単なる運ゲーと割り切るには難しい存在である。特に公開領域を対象とした「探索」バグは理不尽そのものであり、解消へ向かうことの方が好ましいと私は考える。

6.デュエプレ運営の判断について(※2022/09/20追記)

デュエプレ公式YouTubeチャンネルより

 2022年9月19日、デュエプレユーザーに福音がもたらされた。

 勝舞編が終わり勝太編に突入するタイミングで今後のカードデザインからマナと墓地への「探索」が廃止されることが発表された。もともと「探索」がないのが当たり前なんだから「ココがスゴイ‼︎」と威張られても困るけど

 本記事の3-④で示した”山札への「探索」は温存、マナと墓地への「探索」は廃止”という結論が実際にデュエプレ運営の出した結論と同じ方向性であったのは素直に喜ばしいことである。

 この点を踏まえれば、マナゾーンや墓地への「探索」は無くす一方、山札への「探索」は残しておくというのがデュエプレにとって”デュエプレらしさ”と”デュエマ本来が持つゲーム性”をうまく調和できるような「探索」のあり方ではないかと考える。

 本家デュエマにおいて山札全体を見るカードはその効果の処理に不必要な情報まで見てしまうという欠陥を抱えていると捉えることができ、そのあたりをシステムが勝手に処理してくれるという点はTCGにはできないDCGたるデュエプレならではの特徴であろう。山札の中身を見ずに済むということはシールドゾーンに何が埋まっているかを知らずに済むということであり、最後のシールドが割られるまでSトリガーによる逆転の可能性に賭けることができるというデュエマの最大の面白みが十分に活かされるようになる。
 その点を考慮すると山札への「探索」はこの記事で見てきた「探索」についてのさまざまな問題点を差し引いてもデュエプレをデュエプレたらしめるシステムとして維持していくことに十分な意義があるように思われる。

本記事3-④より再掲

 ただ、3-④ではデュエプレの全てのカードからマナと墓地への「探索」を廃止することを想定していたが、実際にデュエプレ運営が下した判断は16弾以降のカードに「探索」の廃止の範囲を限定している。16弾以前のカードの「探索」はどの領域を対象とするものであれ温存するという判断の背景には”15弾までのカードは「探索」を前提に完璧に調整をしてきた”という自信の表れであろう。それはそれで結構なことであるが《邪眼皇ロマノフⅠ世》が墓地で涙を流していることも忘れないでほしい。
 しかしながら、公式チャンネルでのクボ研究員の発言(「今まで登場した探索能力持ちのカードは一旦現状のまま〜」)というところからすると今後新カードで様子を見たのちにマナと墓地への「探索」の全面的廃止もありうるのではないかと密かに期待している。頼むぞ……


 さて、16弾以降のカードからはマナと墓地への「探索」が廃止されることを考えるとこの記事の存在意義はほとんどなくなってしまったように思われる。しかし、単なるカードデザイン上のアクセントという枠を超えてデュエプレというゲーム全体に大きな影響を与えたと考えられる「探索」というシステムの足跡を今後も残していくことには意義があるように考えている。デュエプレがどこまで続くかわからないが、今後「探索」というシステムが既存のカードを含めてゲームから一掃されてしまった時がきたとしても、かつてを振り返って「そういうものもあったな」と思い出す時の縁にでもなれば幸いである。


それではまた次の記事でお会いしましょう。

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