コーチングについて思うこと徒然

今日より5日間、
東京にて出張レッスンです。

飛行機内でネットが使えないので
電子書籍で読書するようにしています。
(たいがいほぼ離陸10分で爆睡ですが笑)

今日はある方のオススメでこれを。

良書だと思います(個人の感想)。

コーチング、って
なんかすごいテクニックとか
特別な技術のように思うかもしれないんですが、
読んでていつも思うのは
「特別なことではないんだな」ということ。

レッスンにおいて

「知らないことを教授する」=ティーチングと
「アイデアを提案する」=コンサルティング、
「一緒にアイデアを探す」=コーチング
のバランスを
念頭におくことを気をつけるようにしています。

ですが

何ぶん未熟ゆえ
このバランスがうまくいかず
時には不満を持たれる方もいらっしゃいます。

「レッスンで何か持って帰ってもらいたい」
という思いが強いあまりに
ティーチングに偏り過ぎてしまったり。

コーチングのやり方(声の掛け方、質問の仕方)が未熟だったり。。

こればっかりは
タイミングとか双方の状況とか相性とか
別の要素も絡んでくるので
一概に自身の未熟さばかりではないと思いますが

バランス取るって
経験と人間力なんだよな(; ̄△ ̄A 

コーチングのやり方についてちょっと勘違いして
ご自身ではコーチングが出来ていると
思っている方がいらっしゃいます(特に地位の高い男性に多い)。

先ほどもちょっと書きましたが

「相手の中にある答えを『引き出す』」
と思っていると、
ともすれば相手には「責められている」と聞こえがち。

「一緒に答えを『探す』」のが
理想のコーチングなんだと、
今読んでる本には書いてあります。

コーチングに興味を持つ前から
相談を受けることが多かったのですが

私自身の中に
「これが正解」って答えがあると、
つい先に言っちゃいがち(本人は親切心のつもり汗)。

これ最悪やな、と
最近やっと気づいたのでした(; ̄△ ̄A

友達から相談を受ける時は
仕事でやっているわけではないので
それでもええのかな、とは今でも思いますが。

関係が近いと
コーチングをなかなかやれないのと、
友人関係において
滅私奉公は何か違う気がするから
あえてやらない時もあります。

仕事モードの時は
「一緒に探す」がベストやな、と思い至りました。

コーチングって
ある意味テクニックなのかもしれないんですが

やはり
人間力が必要なんですよね〜( ´Д`)ハァ~

徹底的に相手軸というか
自我をグッと堪えるとか
丁寧に相手のニーズに寄り添うとか。

相手事を自分事のように考える、って
練習というか鍛錬というか
経験と人間力が必要なんだな、と痛感してます。

長い目で見て
相手の成長のためには
あえてコーチングを無視する時もあっても良いのかな、
と思うこともあります。

私自身
神様じゃないんで
全部を俯瞰で見るなんて事は
とてもじゃないけど出来ないので。

逆に「神様かっ!」
と相手に言いたくなる時もあるし笑。

神様にならんように気をつけなアカンな、
と言い聞かせてます。
(先生、なんて呼ばれてるとついやりがち)

まあでも
「相手に興味を持つ」がテーマかもしれません。

専門的なテクニックは
具体的に言えば
相手に掛ける言葉のチョイスであって、

気持ち的には
興味を持って聞きながら
解決の糸口を一緒に探す、って事なんだろうなー。

話は少し変わります。

こおろぎ個人の話です。

常に脳内ディスカッションしてるみたいに感じていて
「脳みそが忙しい」って感じることが多く

「おまえは人の話をちゃんと聞いていない。
興味がないのか、アホなんか?」
と家族に言われるくらい(←言い方!笑)

たった今の事を
キレイに忘れられる特技(?)があるのですが

興味がないのではなくて
脳内が忙しいのでキャパオーバー気味なのです(;^_^)

何が言いたいかというと

それぞれの価値観やキャパや
得意不得意、性格がある事は
皆、知ってはいるけど分かってはいない
と思うのです。

または

分かってはいても対処・配慮ができない、
という事も起こり得ます。

コーチとクライアントという
ハッキリした関係性ではない場合は特に
お互いに甘えがあるから
「言わなくてもわかってよ」となりがちだけど

お互いがお互いに
相手に興味と愛情を持てたら最高です(^^)

相手から何かもらおうとか
自分の事だけ聞いてもらおうとか
皆、そんなつもりじゃないとは思うんだけど、

結果的にそうなってる事ってないですか?

私は何度も経験あります(; ̄△ ̄A

自分も失敗したことあるし、
逆の立場も多数あります。

Give & Takeの
Takeのみを求めがちな人って
それに気づかない事がほとんどで、

むしろ他人より出来ていると思ってるな、
と感じることが多いです。

そして

かつての自分含め
いつも悩み苦しんでいる人に多いのが、
「ホントに解決しようと思ってる?」です。

「すべての悩みは対人関係である」と
かのアドラーは言い切ってますが、

突き詰めれば
「対人関係イコール自分との付き合い方」
だと思います。

自分のメガネで物事を見ているんだから、
対人関係もすべて
結局は自分の物事の見方考え方に集約されますよね。

つまり

自分とイヤでも向き合わないと
解決したくてもできない、って事です。

他人を変える事は至難の業です。

コーチングも
気づきとなるキッカケ(=言葉)があるだけで
気づくのは本人で、
その人のタイミングもある。

本気で解決したいなら
自分と向き合う以外にはないのに
向き合うってめちゃくちゃしんどい事だから
見ないようにして逃げる人がほとんど。

別にそれが
ダメとか間違いというつもりはまったくなくて
そっちの方が
今抱えている問題よりマシだと思うなら逃げてもOKだし
「今は一時避難」的に逃避もOKだと思います。

私の場合
「逃げてると一生しんどいな、耐えられへんな」
と痛烈に感じたので
向き合う事を選びました。

そんな私から言えるベストなアドバイスは
「一生しんどいより一瞬しんどい方がマシやから、今やっといたら?」
なんですけど、

ホントに解決したいのか?
ただただグチを言ってその時だけスッキリしたいのか?

それ、先に教えといて〜!
って思うこともしばしば笑。

「私のキャパの範囲内までは
グチの聞き役、やります。

キャパオーバーになったら
それ今は無理です、って言います。

ホントに解決したいなら、一緒に探します。」

こんなスタンスです。

かつての自分もそうだったけど

自分が一番不幸で
周りの人は常に安定してると思いがちだけど

逆の立場で考えると
そんなわけないや〜ん( ̄∀ ̄)
ってわかります。

「あんたはいいよねー、恵まれてて」
的なことを、本人に言っちゃう人もいます。

気持ち的には
めっちゃ理解できますが、
たいてい言わんほうがよいことが多いです。

本人以外の人にも
出来れば言わんほうがいいに越したことはないですが、

ガス抜き的に
誰かにグチってしまうことはあるかも。
(^▽^;)ゴメンナサイ

いいよね〜、と言われた本人は
ホンマにどうしていいかわからんし
ただモヤモヤするだけです (#-_-) 

なんで本人に言っちゃうのか?
何をすれば言わないで済むのか?
根本的に何が解決してくれるのか?

てなことに
頭を悩ませる方が建設的な気がします。

「相手だって悪いのに
こちらばかりが努力するなんて損してる」
って言われたことあります。

自分の感情が動いてしんどい、として
(腹立つとか辛いしんどいとか悲しいとか)

相手にぶつけたところで
はいそうですね、と簡単に変わるなら世話ない(;^_^)

そもそもそれは
得とか損とかの価値基準に当てはめて考えるものなんだろうか?

自身の中にも
同じ気持ちが無くはないので
めちゃくちゃ理解はできるんだけど、

やっぱりそれって
何の解決にもならん気がするんだよなー。

『体曲がれば影ななめなり』と
仏法の教えにありますが

こちらの考え方接し方、
具体的には「掛ける言葉」が変われば
相手の言動も変わるのかも。

急がば回れ、で。

そのちょっとの努力を
したがらない人が多いなぁ、と感じる今日この頃。

いや
もちろん

これは自身の戒めとしてもね、言い聞かせてます。

偉そうに、
なんて取られちゃうと
これを書いた意味そのものがビミョーになるのだけど(^▽^;)

・・・本当に
とりとめない文章になっちゃうけど

こうして
脳内ディスカッションに
今日も忙しいこおろぎゆえ

なんかポカミスしてても
そっと見守ってくださいm(_ _)m

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