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キャリアバラエティ Vol.41 新留宏昌さんの場合

キャリアバラエティ、今回ご紹介するのは、webサイトの制作や管理を手掛ける傍らで、子どもたちにプログラミングの楽しさを伝える活動をされている新留宏昌さん。プログラミングに出会ったきっかけや今の仕事や活動に至った経緯など、これまでのこととこれからについてお伺いしました。


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【新留宏昌さんのキャリアバラエティ 1/4】
  鹿児島市で生まれ、祖父母や兄弟に囲まれ賑やかな8人家族の中で育った新留さん。小さい頃は争いごとが苦手で、幼稚園時代の運動会では、新留さんの後ろを走る友達に「どうぞ」と先を譲ったという逸話も。
 中学は14クラスもあるマンモス校。中にはヤンチャな生徒もいたようですが、絵を描くことが得意だった新留さんはガキ大将から気に入られるタイプだったとか!放課後は気の合う友達と、マンガを描いたり、ゲームをしたり、プラモデルを作ったりして過ごすことが多かったそうです。静かに何かを作っていることが好きだった新留さんは目立たないくらいの方がいいや、と静かに過ごしていたそうです。
 高校は新設の学校に進学します。転機は2年生の時に訪れます。数学の先生がとにかく厳しく、先生から出される宿題を必死でこなしていくうちに成績が急上昇します。



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【新留宏昌さんのキャリアバラエティ2/4】
 もともと家業を継ごうと、地元の大学の建築科に進学するつもりでいましたが、成績が上がったことで選択肢が増えます。福岡にある芸術系の大学には室内設計を学べるコースがあり、家業にも直結し、尚且つ芸術も学べる!と受験。無事に合格し、福岡での大学生活をスタートさせます。
 大学時代は、大学近くのゲームセンターに入り浸る日々。ちょうどゲーム業界も様々な機器やソフトが開発されている時期でもあり、ゲームに興じながらもゆくゆくはゲームに携わることができるといいな、と考え始めていました。
 卒業を迎え、就職を考え始める頃は正にバブル崩壊後の就職氷河期。就職が難しかったこともあり、そのまま大学院に進みます。大学院ではCG(コンピューターグラフィックス)を取り扱い、2年間ほぼ毎日CG制作に明け暮れていたそうです。ちょうどその頃、ご実家の家業をお兄様が継ぐことになり、いずれ家業を継ぐつもりでいた新留さんは進路選択を迫られることになりました。
 就職先を探すものの、なかなか見つからずにいましたが、あるとき東京のCG制作会社の求人に出会い、応募。新卒採用は初めてというベンチャー企業で、しかも東京の会社。新留さんは直感的に「ここにしよう!」と入社を決めました。



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【新留宏昌さんのキャリアバラエティ 3/4】
 入社後、VR研究室に配属され、展覧会などの展示映像の制作をプログラマーとして担当していました。忙しい毎日で会社に泊まり込むこともあったそうですが、学生時代の研究室にいるかのように楽しく、ストレスも感じずに働いていました。
 福岡から東京に出てきて驚いたのは、とにかく優秀な才能あふれる人がたくさんいるということ。そうした人たちと比較して落ち込むことも多かったそうです。そんな頃、福岡にデジタルクリエイターを養成する専門学校が開校、請われた新留さんは福岡に戻り、システム管理を中心に学生のサポートを行うようになりました。仕事は楽しく充実していましたが、クリエイターとして世に出て行く学生たちを見ているうちに、自分も何か作りたい!という欲求がむくむくと湧いてきます。
 就職先も決めずに、制作をやりたい思いで再び東京へ。就職するつもりで上京したそうですが、前職の同僚の紹介などの縁で、携帯サイトの構築や、テレビ局の番組サイトの制作などの業務に携わり、気づけばフリーランスとして活動していました。
 仕事は楽しかったそうですが、とにかく忙しく、休みもなく働いていたこともあり、自分たちのペースで仕事をしたいと思い始め、若いうちにしかできないことをやろう!と仲間と会社を設立します。



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【新留宏昌さんのキャリアバラエティ 4/4】
 会社を設立したものの、忙しさは今まで以上。体調を崩してしまいました。1年ほど仕事を休み、体を休めながらもwebサイト制作の勉強をしたりと自主的にさまざまなチャレンジをしていました。
 その後、いつも一緒に仕事をしていたそれぞれの役割・職種が被らず、活動拠点も違う3人で会社を設立します。このままずっと東京にいるつもりでいましたが、お子さんが生まれたことで、子育てに最適な場所を探し始めます。福岡に移住するにあたって、仕事の内容も見直し、また、ご家族がスムーズに生活できるようにと、福岡への移住は3年がかりで計画されたとか。
 コロナ禍での休校期間に、福岡移住後に入居したシェアオフィスの入居者と一緒に小学生を対象としたオンラインスクールを企画、運営。新留さんはプログラミングを子どもたちに教えることになりましたこの経験がとても楽しく、子どもたちが次々とプログラミングをマスターし、楽しそうに取り組んでいる姿に心を動かされた新留さんは、現在は定期的にプログラミング講座を開講しています。 
 作ることが好きだった新留さん。今は、作ることを楽しむ子どもたちを「育てる」ことに楽しさを感じていらっしゃいます。きっと新留さんの周りからは、作ることを楽しむ子どもや大人がどんどん増えていくことでしょう。今後の新留さんの活動がますます楽しみです。

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