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藤井風 「Workin' Hard」-ごくありふれた日常は単調な暗さに-

バスケW杯の放送テーマソングに決まったことを伝えるワイドショーで初めて聴いた気がします。
やけに暗い。日本開催のバスケW杯とのタイアップということでお祭り的な明るさを勝手に想像していた部分は大いにありますが、それにしても低音はどよんとしていて、報道中10数秒のたったワンフレーズだけでは耳でキャッチすることも不可能でした。
歌声っぽい声も原稿読みの声に紛れて聴こえはするのですが不明瞭で、なんかぼそぼそ言っているなという印象しかありません。

ぼやけていた音の像が次第にくっきりしてくるのは暗順応に似ていました。
ようやく届いたMVを何回も見ていくにつれ、暗がりがだんだんコントラストのあるモノトーンになってきたのです。
とはいえ、鮮やかな色が出てきたわけではありません。
数十回繰り返して聴いてみましたが、結局わかったのは濃淡だけ。
印象は依然としてダークなままです。

藤井風が久々にリリースした新曲「Workin’ Hard」。
「ダーンダッ」符点八分音符と十六分音符の組み合わせからなるこのリフがまず印象的でした。
細かくてきっぱりしていて、なにより気持ちがいい。
頭を上下に振り、靴のいい音で床を踏み鳴らしながら歩いてみたくなります。

やや牽強付会の感はありますが、バスケW杯のテーマソングを感じさせる数少ない箇所かもしれません。
繰り返し聴いていると、ざらついたボールが床に当たり、厚いゴムの感触とともに跳ね返るバスケットボール特有のあの音が聴こえてくるような気がします。

歩みのリズムにぴたりとはまる点では「きらり」っぽさもどこかにあるのですが、両者は音色の明るさで対照的。
「Workin’ Hard」には「きらり」のような売れ線のコードは見当たりません。
暗闇で位置エネルギーに従い、暗渠に流れていく濁流のような響きが約4分間ずっとあります。

初めて聴いたときに感じた異様な暗さは、聴き続けていくと次第に一定の律動をもって響くようになってきました。
いや、一定というよりは単調さといったほうが正確でしょう。
サビの「Workin’ hard」の一節しかり、先の八分音符と十六分音符の組み合わせでほとんど成り立っていることに気づいたのです。
奏でられる音は入れ代わり立ち代わり様々な高さや音色なのですが、拍子だけ捉えるとどれも同じ。
必ずしもそれは退屈さに結びつくわけではありませんが、それにしても不思議なリズムです。

MVに登場する風は様々な職業になりきっています。
赤い作業着を着てスクラップ置き場でくず鉄にまみれているシーンがあれば、茶畑で踊っていたり、スーパーの棚卸しをしながら台車に乗って同僚に運ばれる場面もありました。
市井の一員として働く姿に成り代わってはこう言うわけです。
「みんなほんまよーやるわ」「めっちゃがんばっとるわ」
ラストのシーンでは布団を叩き洗濯物を広げながら近所の人にご挨拶。

場面転換は頻繁ですが、どの立場においても共通しているのは「ダーンダッ」のリズムに合わせた動作をしているということ。
音ハメに一切のズレがなく心地いいのが藤井風の曲やMV、ひいてはライブにおける所作の特徴だと思っています。
それがこのMVでも発揮されています。
スクラップ置き場ではゴミのリレーをするとき、スーパーでは商品を棚に並べるとき、ラストの主夫シーンでは洗濯物のシワを延ばすとき。
「Workin’ Hard節」と勝手に名付けますが、このリズムに動きがシンクロすることで、視覚と聴覚の回路が繋がり一層の気持ちよさがあります。

見ていくにつれ、はじめは単調や暗さをもたらすとばかり思っていたこのリズムが大きな意味を帯びているような気がしてきました。
「ダーンダッ」のリズムこそ、エンタメの作品として切り取るにはあまりに退屈で味気ない日常そのものなのではないかということです。
昨日も今日も、そしておそらく明日も同じであろう一日。
いつもと変わらず黙々と働いている時間に、ドラマや非現実は生まれないはずです。
入り込む隙間もないはずです。
だから本来はそんな淀みきった毎日を表現する音楽作品なんてありえないのかもしれません。
ところが「Workin’ Hard」はあくびすら出ない、無意識下に追いやられてしまう日常を、単調なリズムとMVの仕草をもってできる限り再現しているように見えます。

画面の風が、なりきっている職業に本当に就いていたらと空想してみました。
やけにしっくりくる気がします。
20代半ばの髪を明るく染めた、ちょっとリズム感の良いお調子者。
ゴミ収集車の後ろにつかまってみるくらいの”おちょけ”くらいはやったりするかもしれません。
失礼かもしれませんが、バレて怒られて肩をすくめながらへの字口をしているところまで浮かんできます。
ラフな格好で青果店の量り売りをしているかもしれませんし、茶畑で年配の女性に息子のごとく可愛がられている画も想像できます。
MVを通して印象的だったのが、アーティスト・藤井風が一般社会に紛れ込んだという感じがあまりしないことでした。
台湾で撮影されたという各シーン、風と一緒になって列を組んで歩いたり同調した動きをしている部分はもちろんあるのですが、場面によっては手を動かしながら歌詞を口ずさむ風に対してまったくの無関心だったりします。
そこに職場体験の趣はなく、いつかも忘れてしまうほど生活に埋もれてしまったとある一日の切り取りという捉え方のほうが適切でしょう。
MVのために上から風が降りてきて少々の異物感とともに撮影がなされたというよりは、風さえも現地で働く若者かのように思わせるシーンがいくつもあるように感じました。

そして、こうは考えられないでしょうか。
「Workin’ Hard節」は劇中で汗水垂らして働く風のなかから生まれたものではないかということです。
曲ありきの映像ではなく、ドラマから生まれた音楽です。
音楽の才をもつもののまだ誰からも認められていない若者が、冷たい日常から拾い上げたリズム。
このリズムにそって動いてみると、退屈は意志をもった律動に変わります。
その変わりようをしてしているのが、「Workin' Hard」なのかもしれません。
曲だけではさほど感じなかったことも、MVに貼り付けてもう一度転写してみるとまた違った見えかたになります。

これまでの風の音楽はどちらかといえば精神世界を映していて、風は我々と高貴な世界との媒介となって自己愛などのメッセージを届ける天上人のような役割を果たしていたように思います。
ところが「Workin’ Hard」ではその逆でした。
ラストのシーン、主夫を演じる風が両手を掲げ、カメラは上空に持ち上がっていきます。
回廊でつながった集合住宅は、日本では珍しいですが台湾ではごくごく当たり前の建物なのでしょう。
カメラがどんどん上空に持ち上がっていくと、道行くほかの人と同じく、風の姿もただ中央にいるというだけで小さな粒となってしまいました。
画面の中央にいるから見分けられるだけで、そうでなければ他の人たちと区別がつきません。
ここが暗示するのは、藤井風もここでは名もなきひとりの市民であるということ。
雲の上で鏡写しの「わたし」と出会った、どこか神秘的な香りすらしてくる「grace」の描写と大きく異なります。
国内のアリーナを埋め尽くし、音楽ライブは初となるサッカースタジアムで大きな花火を打ち上げた藤井風の魅力は、それだけ大きな存在になろうとも飾らない姿や身近っぽさを感じさせてくれるところだと思います。
働く藤井風の姿を通し、風くんも我々と同じなんだという仲間意識はこの曲でより一層高まったのではないでしょうか。

「Workin’ Hard」がテレビ局の放映ソングであることにも納得がいく気がします。
代表選手へのエールではもちろんありますが、それだけがこの曲のメッセージではありません。
我々への応援歌でもあるのです。
テレビの向こうで躍動する才能あふれる選手たちを見て勇み立つ一方で、自分にはなにもないと落ち込みがちな人に向かって「めっちゃがんばっとるわ」と寄り添い認め「ワシかて負けんよーにな」と風が自身を奮い立たせる。
「負けんよーに」する対象はプロスポーツ選手ではありません。
紛れもなくリスナーなのです。

単調だの暗いだの書き並べてしまいましたが、「Workin' Hard」には歌詞以上に、ビートから伝わる共感が含まれている様な気がします。このどんより感も、いるべくしてそこに存在するのだと気づきました。
上も下もないかもしれませんが、「降りてきてくれた」。
新曲のリリースからは遠ざかり、日本にいる機会も少なくなり情報更新も頻繁ではなくなった今だからこそより感じます。
ライブやインスタのストーリーもそうかもしれませんが、藤井風をもっとも近くに感じられるのはかれの作る曲なのだと再認識した1曲でした。

見出し画像:https://japan.focustaiwan.tw/photos/202308275001を改変


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