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三枚起請・改

(古典落語「三枚起請」の後半を違う展開にしたものですが、登場人物や設定の一部も変えているため、前半から書き直しています)


「おい、そこへ行くのは猪之助じゃないかい? おい、猪之助」

「あ、こりゃケチ金さん。すっかりご無沙汰いたしまして」

「ケチ金てお前――裏へ回ってそう呼ばれてるのは知ってるが、昼日中に面と向かって朗らかに云うんじゃないよ。だいたいお前、貸した金がまだ残ってるってえのに本当にご無沙汰しゃがって」

「まあ、ちょいといろいろありますんで、お近いうちにまた――」

「待ちな、待ちな。こうして家の前を通りかかったんだ。利息分くらいは払っていったらどうだい」

「えー、今日のところは急いでますんで、後日、お日柄の良い時にでも」

「急ぐったって、どうせ遊びに行くんだろ。親父に内緒で貸してくれってえから、どうせ良からぬことに使う金とは思ったが、お前この頃、毎晩のように吉原へ通ってるそうじゃないか」

「毎晩だなんて、そんな――」

「違うのかい?」

「昼間っから行くこともちょいちょい」

「なお悪いよ。あたしだって行かないわけじゃあないが、金ェ借りてまで行くとこじゃないだろ。お前がそんな了見だったらこれ以上は待てないね。吉原通いなんぞやめて、すぐに返しとくれ」

「そうはおっしゃいますけどね、花魁の方が離しちゃくれないんで――『若旦那がこうして毎日顔を見せてくれるから、あたしゃ辛い勤めもなんとか堪えていられるんだ。もう若旦那が居なきゃあたしは生きちゃいけないよ。年季が明けたら必ずあたしと一緒になっておくれ』なァんて――あたしは人助けのつもりで吉原へ行ってる」

「なにを逆上せているんだい。こないだまでほっぺたにお飯ッ粒くっつけてた奴が――花魁なんぞ誰にだってそう云うんだよ。みんな勘定の内だ。そんなことも判らないで――よしなよしな。お前みたいな若いのが吉原の花魁なんぞに入れ揚げたって元は取れないんだ。あたしはね、お前ンとこの商売がしっかりしているから用立てたんだよ。これがお前、遊びが過ぎて勘当にでもなってごらん、こっちまで元が取れなくなっちまうだろ」

「吉原行って元を取ろうなんて、そんな――ねえ。飲んで食べてワッと騒いで、明け方花魁に『若旦那、また来てくんなまし。浮気なんぞしちゃあ嫌ですよ』って膝かなんかキュッとつねられて――へへ、あと、なにが要る?」

「馬鹿だね。金払って膝つねられて喜んでやがる。あたしが元と云ったのはな、つまり……金を使ったら使いっ放しじゃなく、ちゃーんとその分、手元に戻るってことだ」

「そりゃあ良くない――良くないよ」

「なにがだい?」

「払った分だけなんか盗んで来るってんでしょ。布団かなんかこう担いで――」

「そうじゃないよ。売り物買い物で銭を払ったら、払った分の品はこっちに来るだろ。女郎屋だってそうだよ。いい女だなっと思って金を使って、ただそん時だけじゃあ元は取れない。ちゃあんと後で、その女が家ィ来るようじゃないと」

「女、担いで帰るの?」

「降ろせ、降ろせ――あのな、女の方からちゃんと二本の足で歩って来るんだ。年季が明けて、やっとあなたと一緒に暮らせるようになりました――って」

「へへ、あたしと同じようなこと云ってる」

「なにがだよ」

「だから、ケチ金――いや金兵衛さんも吉原行って花魁に、『年季が明けたら一緒ンなろう』って云われて逆上せてんでしょ。そんなのは勘定の内――」

「お前と一緒にしないでおくれ。あたしゃ金貸しだよ、口約束で金ェ貸したこたあないんだ。ビタ銭一枚だって証文は取るよ」

「そいじゃ花魁からも証文もらったんで?」

「まあその、証文てわけじゃあないが……堅い紙だな」

「鼻もかめない」

「そうじゃない、起請文だよ、起請文。来年三月年季が明け候えば、あなた様と夫婦になること実証也と――こういう堅いものをもらってこそ、元が取れるてえもんだ」

「へえ、本当に金兵衛さん、花魁と夫婦になんの――いい歳して?」

「いけないかい。あたしだって独り者だよ、嫁をもらってなにが悪い」

「悪かないけど、あんまり喜んでるってえとねえ、来年三月ンなってガッカリしていっぺんに歳とっちゃうといけないから」

「だから、ちゃんと堅いものがここに――」

「あれ、懐に持ってんの? ねえ、ちょいと見せて下さいよ」

「だ、だめだよ、おい――無闇に他人に見せるもんじゃ……二人っきりの内緒事だって喜瀬川が……」

「喜瀬川? 喜瀬川って朝日楼の……あの喜瀬川花魁?」

「気安く呼ぶんじゃない。来年三月にはあたしの女房だよ」

「ちょ、ちょ――本当に? 喜瀬川が金兵衛さんに渡したの? それじゃ来年三月から、三人で暮らすことンなりますよ」

「なにが三人だよ」

「だってあたしも――ほら、こんなのもらってんですよ」

「起請文かい? ちょ、ちょっと見せてごらん。ええ、『一つ 起請文の事也。私こと来年三月年季が明け候えば、あなた様と夫婦になること実証也。新吉原江戸町二丁目朝日楼内喜瀬川こと本名みつ』――喜瀬川……あ、あたしのは『一つ起請文の事也』だろ、で、こっちが『一つ起請文の事也』。あたしのが『私こと来年三月年季が明け候えば、あなた様と夫婦になること実証也』。こっちが『私こと来年三月年季が明け候えば、あなた様と夫婦になること実証也』――『新吉原江戸町二丁目朝日楼内喜瀬川こと本名みつ』――『新吉原江戸町二丁目朝日楼内喜瀬川こと本名みつ』――こ、これ……気のせいか、似ちゃあいないかい?」

「ちょいとあたしにも貸して下さいな。こうしてふたつ重ねてお天道様に透かして見れば……あ、ぴったり」

「そ、そんな馬鹿な……あたしがもらったのは朝日楼の喜瀬川だよ」

「ええ、あたしも生憎、朝日楼の喜瀬川なんで」

「もと品川にいた喜瀬川だよ」

「ええ、もとは品川で」

「年は二十五で、色が白くて、目元にほくろのある喜瀬川だよ」

「二十五で白くってほくろあります」

「あたしのことを愛しの金さんて呼ぶ――」

「ああ、じゃあ違う。あたしは麗しの猪之さんて呼ばれてますから――」

「違やしないよ。なんだい、馬鹿にしやがって――こりゃあただの紙切れじゃないんだよ、起請文だよ。熊野権現様の牛王宝印が押されてるんだ。嘘偽りを書いたら権現様のお遣いのカラスが熊野で三羽死ぬというくらいのもんだよ」

「そいじゃ喜瀬川はカラスになんぞ恨みでもあって、それで――」

「カラスのついでに騙されてたまるかい。とにかくね、あたしは黙ってませんよ。あの女にはそんだけの金を注ぎ込んでるんだ。このまま取られっぱなしじゃケチ金の名がすたる」

「へへ、自分で云うようになったら本物だ」

「おい、猪之助。お前だって悔しいだろ、こんな偽の起請文なんぞ渡されて」

「いやあ……でも折角もらったもんだし……」

「なにが折角だよ。さあいいから、お前も一緒についておいで」

「へ? どこへ」

「決まってるだろう、喜瀬川のとこだよ」

「なにしに行くんです?」

「なにしにってお前――起請文二つ並べてあの女に突きつけてさ、さあどうしてくれる、なんでこんなものが二枚もあるのかと――」

「よしましょうよ、みっともない。そんなことしたら明日っから胸ェ張って大門くぐれない」

「みっともなくて結構、野暮がどうした。そんなこと気にしてたら金は溜まりませんよ。ともかくね、二枚並べなけりゃあ話にならないんだ、さっさとおいで」

「あのぉ――こんちは、金兵衛さん」

「ん? なんだ、清造じゃないか――ああ、家の木戸の修理のことかい。今は忙しいからまた今度にな」

「いえ、あっしの仕事ンことじゃなくて、その――金兵衛さんの御商売のことで」

「あたしのって……ひょっとして金を借りに来たのかい」

「ええまあ……」

「珍しいじゃないか。物堅いお前が金を借りたいなんぞ」

「それがその……牛を――」

「牛?」

「ええ……牛を買いてえと……」

「しっかりおしよ、お前さん大工だろ。大工が人に金借りてまで牛を買って、どうしようってんだい。牛を買ってモウかったなんてくだらないことは――」

「話せば長えことですが、ちょいと入り用な金がありやして――まあ、あっしが二タ月、三月がんばりゃあなんとかなる金なんですがね、よしッてんで気合を入れて働こうとした矢先に――ドジな話で、釘と一緒に金槌でてめえの手ェ叩いちまってそれっきり。期日は迫る、仕事は出来ねえで、どうにも仕方ねえンで棟梁に泣きついたんですよ。そしたら棟梁はああいう人だ、オレがなんとかしてやらあッて胸ェ叩いてくれました。ところがほら、こないだ棟梁の娘さんが男の子を産みましたでしょ。初孫だってンで棟梁、大喜びしちゃって、隣近所集めて大盤振る舞い。気がつきゃ明日喰う米もねえッてくらいで、とてもじゃないがこっちに回せるような余裕は端からねえ。安請け合いしちまったッてんで、今度は棟梁がおかみさんに泣きついた。

 泣きつかれたおかみさんだって財布は棟梁と同じですからね、どうもこうもできゃしませんが、亭主の顔を潰しちゃあことだってンで、そいでおかみさん、川越の御実家の方へ相談しに行く。それがまた間が悪いことに、親父さんて方が畑仕事で腰ィ傷めたか床に伏せってたところで、娘に心配かけたくねえッて内緒にしてたン。そこへひょっこり顔を出したわけですからおかみさんも、本来ならばこちらから、お見舞い持って伺うところへ、金の無心に来るなんて、ヨヨ、ほんに親不孝な娘でございます~」

「チチン、チン、トーン」

「なにやってんだよ、猪之助」

「いや、いいところなんで、三味線をちょいと」

「親父さんて方も気が弱くなってたンでしょうかね、娘にこんな様ァ見られて面目ねえ。俺ももう歳だ。この際、なにもかも売っ払っちまって細々と余生を暮らそう。ついちゃあ、長年可愛がってきたあの牛だ。もう家には置いとけねえが、売るとなると――くく、不憫じゃなァ」

「よぉー、待ってました――牛」

「やっと出て来たね。それでその牛を?」

「ええまあ、元はと云えばあっしの所為ですからね、せめてその牛、あっしが引き取ろうかと――」

「ふうん。それじゃまあ、あたしがお前さんに牛の代金を貸すとするわな。その金はどうなる?」

「あっしが向こうの親父さんに払いますでしょ。で、親父さんからおかみさんに行って、おかみさんから棟梁に渡って、そいで――あっしンとこへ」

「お前ンとこで止めるなよ。ちゃんとあたしに返しな」

「ああ、そりゃそうで……あれ? てことは、金がぐるっと回っただけで……牛はどこ行きました?」

「お前ンとこだよ」

「ああ……で、この牛、どうしましょう?」

「あたしが知るかい。元々はお前がなんか、入り用の金があるって云うからこういうことになったんだろ」

「そうそう。じゃあ金兵衛さん、この牛、二十円で買って下さい」

「いらないよ、そんなもなァ」

「頼みますよ。二十円て金ができねえと、あっしは喜瀬川に合わす顔がねえ」

「今なんてったい? 喜瀬川とかって――」

「あ、いやいや、そりゃこっちの――しーっ」

「なにが、しーっだよ。じゃあなにかい、お前、喜瀬川に頼まれて――」

「だから、しーって……あのね、そうやって他人の口からその名前が出てくることさえ勿体ないン。出来ることなら飛び出た名前を両手ですくい、こうしてぐっと一呑み――」

「馬鹿だね、こいつは。腹ァ壊すよ、そんなもん飲んだら――毒だ、毒」

「冗談じゃねえ、毒どころか薬でさァ。喜瀬川に書いてもらったもンをね、腹が痛い時にゃ腹に貼り、頭が痛ェ時にゃあ頭に貼り、虫歯ン時は奥歯でキュッと噛むてえとたちどころに痛みが治まるってえありがてえ――」

「おい、ちょいと待ちな。お前、喜瀬川に何を書いてもらった」

「それは……へへ、来年三月までは云えねえ――ちょ、ちょ、なんですよ、人の懐に手ェ入れて――」

「いいから出しな――ええ、どこに隠した」

「金兵衛さん、金兵衛さん。そっちの、ほら――ププッ――金槌で叩いたって方の手」

「なに――あっ、本当に膏薬代わりに貼ってやがる。呆れたね、こいつは。ちょっと貸してみろ――えー、『一つ起請文の事也――朝日楼内喜瀬川こと本名みつ』と――ふん」

「ちょ、ちょっと、放り投げないでくださいよ、罰当たりな」

「罰当たりはあの女だよ。そんなもんがありがたかったらな――ほら、あと二枚あるよ」

「えっ? えーと、この、歯形のついてンのがあっしのですからね」

「誰もとりゃしないよ、そんなもの。なんの御利益もありゃしない」

「だってこれ、喜瀬川が――夫婦ンなるって――き、起請文――あっしに――熊野でカラスが死にますよ」

「いいよ、死んだって」

「ちくしょー、死ぬ、死んでやる。金兵衛さん、軒先を貸しておくんなさい」

「お、おい、なにするんだい」

「首ィくくるんですよ」

「お前が死ぬこたぁないじゃないか」

「だってね、このままじゃあ棟梁に申し訳が立たねえ。いや棟梁だけじゃねえや、棟梁のおかみさんにもすまねえし、棟梁のおかみさんの親父さんにも――ついでに棟梁のおかみさんの親父さんの牛にだって――」

「牛にまで義理立てすることはないだろう。よしなよしな、死んだって一文の得にもならないんだ。それよりな、こうして三枚も起請文が揃ったんだ。これを喜瀬川ンとこへ持っていってな、詫びだけじゃあすませないよ、場合によっては見世に掛け合って、お前のとこじゃあこんな女狐を飼っているのか、どういう商売をしてるんだって――この見世の評判を落としたくなかったら、あたしが喜瀬川につぎ込んだ分に利息をのせてそっくり払えと――」

「金兵衛さん、それじゃ強請だ」

「強請だろうがなんだろうがね、ええ、あたしは元は取りますよ。さあ二人とも、ついておいで」


「へへ、同じ町内に住んでいながら、こうして三人揃って吉原へ繰り出すなんてのは初めてですね」

「なにを呑気なことを云ってるんだ。遊びに行くんじゃないんだよ」

「どうです、折角ですから、振られ三羽ガラスってな名前にして――」

「どこが折角だい」

「ヨッ、振られ三羽ガラスのお兄いさん――なァんて……あ、ねえねえ、金兵衛さん」

「なんだよ」

「嘘の起請文書いたらカラスが三羽死ぬってますが――ちょうど数が合ってる」

「うるさいよ、黙って歩きな。まったく――さあ、ここだ。あたしの馴染みの茶屋だからね、ここへあの女を呼んで起請文叩きつけて、それでもなんだかんだと云い逃れしようもんなら、いよいよ見世へ乗り込んでって――」

「あの……金兵衛さん」

「なんだい、清造。さっきからやけにおとなしいじゃないか」

「あのね、喜瀬川もその……悪気があってしたとは限らねえですし……」

「悪気がなくって二枚も三枚も書くかい。目ェ覚ませ、本当に。どいつもこいつも――ちょいと待っといで、あたしが話をしてくるから――おい、邪魔をするよ」

「はぁい――はい……あら、旦那、お久しぶりで。どこ行ってらしたんですか、このところお見限りで……可哀相なことしちゃいけませんよ、あの妓が寂しがってるじゃあありませんか」

「さあて、どうだかな」

「あら、つれない。こっちから逢いに行けないんですから、旦那の方で来てくれなけりゃ――いくら堅いものをもらったからって、ほっぽっといちゃあいけませんよ」

「なあにあんなもの、堅くもなんともありゃしない。よく云うだろ、一本の矢は折れやすくとも三本束ねりゃ頑丈で折れないなんて――こっちはね、一枚なら堅い紙も三枚重ねたらグニャグニャだ」

「三枚って――あら、旦那だけじゃなく他にも――あらま、大盤振る舞い――いいえねえ、ホホ――ええ、ええ――でもまあ、あの妓にだって――いえ、そういうわけじゃ――まあ、いらっしゃってるんですか? あとのお二人も? 何しに? ――あらやだ、本当ですか? ちょっとあんまり無茶なことは――」

「ええ、こんばんは」

「こんばんは」

「まあまあ、そんなところに立っていないで、どうぞ中へお入り下さいな」

「へへ、どうも。振られ三羽ガラスでござい」

「よせってえのに――さあさ、上がらせてもらうよ。ああ、部屋はひとつでいいんだ。今日は三人掛かりで喜瀬川を締め上げようてつもりなんだから」

「あの、旦那。余計な口を差し挟むようでなんですけど――お三人揃ってというのは、ちょっと……」

「いけないのかい」

「いえね、その……あとでお客さま同士、喧嘩にでもなりましたらねえ……同じご町内のお方でしたら、これからもお顔を合わせることも多ございましょうし」

「なんだい、三人一緒だと喧嘩になるって云うのかい」

「そりゃあ花魁だって、一時に責められれば本音も出ましょう。そうなれば三枚書いた内の、本当の一枚はどれかってことも……あとのお二人の前で口にすることになりゃしませんか」

「な、なにかい? この中に本物があるって云うのかい」

「わかりませんよ。あるかも知れないし、全部嘘かも知れません。けど、あったとしましょうよ。そしてその一枚が――たとえば旦那のだとしましょうか」

「えー、できましたらその役はあっしに」

「あら、そうですか――ええと、清造さん? じゃあ本物の一枚はそちらの清造さんのだとして――」

「こらこら、横から口を挟むんじゃない。たとえなんだから誰だっていいだろう。それであたしのが本物だとしたら、どうだって――」

「ちょ、ちょ――金兵衛さん。今、女将はあっしのが本物だって――」

「うるさいよ、お前は。最初にあたしのと云ったんだから――」

「なァるほど、こりゃ確かに女将の云う通りだ。あたしだってねえ、もし金兵衛さんのが本当ってことになりゃ、ばかばかしくって借りた金なんぞ――ハハン」

「おいおい猪之助、それとこれとは――」

「ですからね、旦那。三人一時になんてことはしないで、一人っつ――ね、花魁と話をしてみて、それで埒があかない時はそれはもうしようがないですから、皆さんで煮るなり焼くなりするとして――それじゃちょいと、あたしが迎えに行ってきますから、皆さんは二階でお待ちになってて――すぐ戻りますから」

「――いい女ですねえ……あれ、ここの女将? 器量が良くって如才がなくって――色気だって若い花魁なんかとは違ってこうしっとりして……」

「あれはお前、元は出てたからな」

「化けて?」

「ばかだね、出てたと云えばわかるだろう、吉原の芸者だよ。腕のいいのが揃ってる中で、あれが一番の売れっ妓だったてえが、旦那がついて落籍されて、この茶屋を買ってもらう。途端に旦那がポックリいって、今じゃ女手ひとつでこの茶屋切り盛りしてるんだ」

「女手ひとつ? あれ独りもンですか? うわぁ、どうしよう」

「なにが?」

「喜瀬川と女将、どっちを選ぼうかと――」

「お前の天秤なんぞに乗る女かい、ばかばかしい――さあ、どうする。一人ッつ話しをするたって、残りを部屋の外に立たせておくわけにも行かないし――そうだな、猪之助、お前、その押入れ開けて……座布団あるだろ、それをズーッとこっちへ寄せてな……どうだ? 二人は無理か? じゃあ猪之助はそこへもぐり込んで――清造はそっちの屏風の陰にでも引っ込んどきな。頭を低くしてな」

「金兵衛さんはどこへ?」

「皆でかくれんぼしようてンじゃないんだ。いいかい、まずはあたしが喜瀬川に掛け合ってな、起請を一枚見せて、これが堅いものかそうでないか問い詰めるよ。そうすりゃ向こうだって、他にはありゃしない、これ一枚っきりとか云うだろうさ。そこを念押しをして、まだ白を切るようだったらあたしが合図をするから順繰りに出てきて、もうどうにも言い逃れできないようにしちまおうって段取りだ――いいかい、わかったね。あたしが云うまで出てくるんじゃないよ」

「ええ、金兵衛さん」

「なんだい、清造。頭を引っ込めておきなって――」

「あのね、もし話をしてえて、向こうがなんか云ったからって、カーッとして手ェ上げたりしちゃあいけませんよ。相手は女なんですから乱暴なこたぁ――いざとなったらあっしはね、喜瀬川の加勢に回って金兵衛さんをポカポカっと――」

「いいから黙って引っ込んでろ――ほら、喜瀬川が来たぞ」

 トントントンと二階へ上がる足音が、これも花魁の手管なのか、間夫の元へとはやる心を表すようにことさらの急ぎ足。ガラッと障子を開けるなり、

「旦那ッ――」

 身を投げ出すように相手の懐へ飛び込むと、両腕を首へ回して上目遣いに、

「薄情な人……」

 白粉の匂いがプーンとして、思わずクラっときそうなのを、

「あ、あのな……いいからちょっと、そっちへお座り」

「長いことお顔も見せてくれないで、こうしてやっと逢えたっていうのに、もうあっちへ行けと云うんですか」

「そうじゃない。そうじゃないが、このままだと話がしづらいだろ。今日はな、ちょっとお前に云っておかなけりゃないないことがあるんだ」

「そうですか――わかりました……はい」

「なんだ、やけにしおらしいじゃないか。だったら話は早い。ここにあるこれな、お前の書いた起請文だが――果してこれは、堅いもんかい? それとも柔らかいもんかい?」

「堅いものと――決まっています」

「そうだろうな。なにしろ偽の起請を書けば、熊野でカラスが三羽死ぬという代物だ。よもやお前、そんなものを他に書いたりはしていないだろうね」

「……」

「どうしたい、なにを黙っている。よもや他にはと、あたしは――」

「ごめんなさい……旦那には知られたくなかったけれど、他にも――他にもたくさん書きました」

「たくさん? おい、たくさんて――三枚だけじゃないのかい」

「旦那にお渡ししたのが三年前。年季が明けたら一緒になると誓いながら、今日までそれが果たせずにいるのも、みんなあたしがいけないんです」

「あのな、たくさんてのはお前――」

「旦那の持っていらっしゃるのが、あたしが書いた最初の起請――そりゃあ堅いものでした。けれどそのあと、田舎のおっ母さんが病気になって人参という高いお薬を飲むようになり、お金に困ってつい借りてしまったのが質の良くない高利貸し――カラス金って云うんですか、烏カァで夜が明ける度に利息分だけでも払わされ、いつまでたっても元金は減りゃしない。お蔭で年季が明けるどころか、この先まだまだつらい勤めをしなくちゃならない。そう思うと、早く旦那のとこへ行きたいばっかりに嫌な客にも起請を書いて、なんとかお金を返そうと――ついでに烏も死んでくれれば、これ以上利息も増えなくなりゃしないかと……」

「そ、そうかい……いや、いつまで経っても年季が明けないから変だ変だとは思っていたが――だけど、なんであたしにそう云わない。他の金貸しに頼むなんぞおかしいじゃないか。お前が本当にあたしを頼りにしているのなら、そんな時こそ――」

「とんでもない。旦那とはそういう間柄にはなりたくなかったんですよ。年季が明けて旦那のとこへ行く時に、ありゃあ借金のかたに落籍されたんだなんて、そんな噂が立ったりしたら、旦那のお顔に傷がつきますし、あたしの気持ちにも傷がつく……あたしはきれいさっぱりとした身体で、一緒ンなりたいんですよォ」

「そ、そうかそうか……いや、悪かった。そんなこととは知らなかったものだから――じゃあな、あたしも早くその金を返せるように、これからはもっと足繁く通うようにするから――」

「よかった……」

「ど、どうした――なにを泣いてる?」

「さっき旦那から話があるって云われ、起請文をだされた時は、てっきり別れ話だと覚悟を決めていたんですよ。こっちは勤めの身、今度こういうわけで所帯を持つことになったと云われりゃあ、否も応もありゃあしない。捨てないでなんて、云える立場じゃありませんもの」

「ばかなことを云うな。あたしがお前を捨てるわけがないだろう。こ、こ、こんな堅いものを交わしてる仲だ。あたしゃ絶対――」

「ありがとう――愛しの金さん」

「き、喜瀬川――」

「グスン――グズグズ……」

「あら、なんの音です?

「清造が――あ、いや……」

「どうしたんです? やけにキョロキョロなさって――今日は久しぶりにゆっくりとしていって下さるんでしょ」

「い、いや、それがだな、今日はその……いいかい、あたしのが本物ってことは内緒にしとくれ。他のに知れるとうるさいから――それと、このあと、ちょいと面倒をかけるが、なに、あんなもなァ適当に転がして……じゃ、じゃあ明日な、明日また来るから――その時はゆっくりとな、お喜瀬や」

 バタバタっと慌てて金兵衛は帰ってしまう。それを座ったまま見送った喜瀬川は、ちょいと居住まいをただすと、

「清さん――いつまで泣いてんのさ」

 きつめの声を屏風に向ける。その後ろから転がるように清造が這い出てきて、

「お、花魁……」

「どうしたって云うんだい。金兵衛さんがお客かと思っていたら、屏風の陰からお前はんの洟ァすする音が聴こえるし――脅かしっこでもしようてのかい」

「い、今、金兵衛さんに云ったこたぁ――ありゃ本当かい」

「嘘に決まってるだろ。ああでも云わないことにゃおさまらないから……こっちだって、お前はんが聞いてるかと思うと、気が気じゃあなかったよ」

「で、でもよ――この起請文だってたくさん書いたって……」

「しっかりしなね。お前はんあたしの間夫だろ。もっとドーンと構えておいでよ。まあね、こんなとこを見られちまったんだ、清さんには正直に云うけどね、起請文書いたのは三枚だけだよ」

「三枚……」

「金貸しの金兵衛さん、唐物屋の若旦那の猪之助さん、それに……間夫のお前はんとね。さっきの話、おっ母さんが病気になったってのは本当さ。だからお金がいるって……けれど清さんには無理は云えないだろ。だから、お金を持ってる金兵衛さんと金離れのいい猪之助さん、この二ァ人は捕まえておきたかったんだよ。それが狡いの卑怯のと云われりゃあ仕方がない。お前はんが見限るってえなら、すっぱり諦めるよ」

「い、いや、なにもそんな――」

「それより清さん、お前はんこそどうしてあたしに本当のことを云わないんだい」

「へっ? な、なにを――」

「こないだあたしが二十円て金を頼んだよねえ。ありゃあ無理な金かい」

「そ、そんなこたぁ――」

「そうだろ。お前はんが真面目にがんばりゃあなんとかなると踏んだんだ。年季が明けて一緒になると決めたからには、お前はんが本気であたしのために働いてくれるかどうか、それが知りたかっただけなんだよ。だってのに――」

「待ってくれ、花魁。作らねえわけじゃねえ。ただ、ちょいと手を――」

「わかってるよォ、あたしはそのことを云ってるんだ。どうしてこれこれこういうわけで、怪我ァして作れないって、正直に云ってくれないんだい。あたしは朋輩から聞いたよ。お前はんの職人仲間が遊びに来てさ、清さんが怪我をしたって……あたしがお金なんかより、お前はんの身体の方が大事だってことぐらいわかってるだろ。顔を見せておくれよ、傷の具合はどうなのか教えておくれよ。あたしは心配で心配で……心配で……」

「わ、悪かった、花魁。おれァどうも、極まりが悪くッて足が向けられなかったんだ」

「そんなこと、気にするこたぁないんだよ。世の中、見栄を張ったり金ェ遣ったりしなけりゃもてない男も居るけどさ、あたしゃお前はんの実に惚れてんだ。しっかりしてくれなけりゃ困るよ」

「すまねえ。花魁にそう云われて目が覚めた。おれァこれっぱかりでも花魁のことを疑ったことが恥ずかしいや。穴があったら入りてえ、なかったらこの畳上げてもぐり込んじゃう」

「いいんだよ、もう。それより今日は、ゆっくりしていけるんだろ」

「それがそうもしてられねえ。今の花魁の話ィ聞いたからには、先に棟梁ンとこ行かねえとね――ぐずぐずしてると牛が売られちまう」

「牛?」

「細けえ話はまた今度――そいじゃ花魁、今日ンとこはこれで――」

 階段を転がるようにして清造が帰ってしまうと、喜瀬川は傍らの煙草盆に手を伸ばして一服つけ、ふーっと天井に煙を吐き出すと、今度は蓮っ葉な口調で、

「さあて――猪之さん。居るんだろ、猪之さん。出といでな、ちょいと――麗しの猪之さーん」

 押し入れの襖が開いて、猪之助が顔を出し、

「へへ、見つかっちゃった――今度はあたしが鬼だ」

「なに云ってるんだい、押入れの隙間から着物の裾が覗いてたよォ。なんなんだい、今日は? 代わるがわる出てきてさァ……あと何人いるんだい」

「いやあ、あたし一人で押入れは一杯。このまま放っとかれたら、座布団に潰されて漬物ンなるかと思った」

「それで――今日の趣向はなにかい、起請文もらったもン同士、みんなで寄ってたかってあたしを責めようって――」

「まあまあ花魁、そう怒らないでさ。あたしもね、端ァ断ったんだよ、そんなみっともない真似ができるかぁ――って……そしたら清さんが来てさ、牛を買いたいだのなんだの云ってる内に三枚目が出ただろ。見たらこれが、あたしや金兵衛さんのと判で押したようにおんなじ――花魁は筆跡がいいね。あたしに書いてくれた時もさ、文机に七三に向かって、半分はこっちを見ながらスラスラっと――筆に迷いがないや。それでね、せっかく三枚揃ったんだから三人で乗り込もうって話が決まって――」

「なにが折角なんだか……でもまあ、最後が猪之さんでよかったよ。野暮な客にゃあ見せられない」

「なにが」

「なにがって――聞いてたんだろ、あたしが金兵衛の旦那や清さんを言いくるめるとこをさ」

「そうそう――さすが花魁、見事なもんだ。あたしもあんなふうに騙されたい」

「よしとくれよ。こっちは手の内、みんな見せちまったんだ。女郎にとっちゃあ、化粧落とした顔を見せるようで、極まりが悪いんだよ」

「へえ、そういうもんかい」

「あんまり見ないでおくれな――ねえ、猪之さんてば――およしよ、意地の悪い……口じゃとぼけているけれど、腹ン中では呆れ返っているに違いないよ――喜瀬川はこんなふうに男を騙すのかって」

「いやあ、金兵衛さんも清さんもあんなに喜んでんだ。騙されるのも勘定の内って金兵衛さん云ってたけど本当だよ。これなら金ェ払って惜しかない」

「そうかい……ふふ、猪之さんだったらそう云ってくれると思ってたよ。あんたって人はさ、とぼけたように見えるけど、本当は粋な遊びをする人なんだと睨んでたんだ」

「あたしが粋? へへ、やっぱり花魁は見る目が違う。それじゃ今夜はわーっと騒いで、そのまま粋に二、三日、居続けちゃおう」

「待って。今日は――堪忍して」

「へっ? だ、だって金兵衛さんも清さんも帰ってさ、あとは間夫のあたしだけ――」

「ううん……猪之さんに手の内すっかり見られたお蔭でさ、あたしゃもう、どうしていいかわかンないんだよ。今日ばかりはなにを云っても嘘に聞こえちまいそうで、甘えても拗ねても、その度に猪之助さんの顔色を窺って……とても喜瀬川じゃあいられない」

「い、いいよォ、喜瀬川でいられないって云うなら、本名の方でさ」

「猪之さんにその名で呼ばれるのは、来年三月、年季が明けてから……ね、それまでは……今度来てくれる時にはさ、ちゃんと喜瀬川に戻ってるから」

「じ、じゃあ、明日また――」

「えーと、明日は金兵衛さん――いえいえ――明後日、ね、明後日また来て――お願い、猪之さん。そン時はゆっくりと――ね」

 軽く背中を押して送り出す。振り返りふりかえり階段を下りる猪之助に、喜瀬川は障子にもたれて小さく手を振ると、そのまま足音もすっかり消えるのを待ってから、ほっと小さくため息を漏らし、肩でも凝ったか、首を回しながらトントンと階段を降りると、

「女将さん、女将さん――三人とも帰りましたよ」

「はい、ご苦労さん。ちょいとお茶でも飲んでおいき」

「ありがとうございます――あら、塩昆布? ひとついいですか――おお、塩っぱい」

「大変だったねえ、三人も相手してさ」

「ええ、まあ――でも、女将さんに先に教えてもらったお蔭で、どうにかこうにか納まりましたよ。ありがとうございました」

「礼には及ばないよ。家だってせっかく付いた客を逃がしたくはないんだし……でもね、あんたほどの腕がありゃあ、もうちっと違うやり方もあったんじゃないかねえ。この里へ浮かれ出てきて、いまさら堅いも柔らかいもないけどさ、紙切れ一枚とはいえ信じる人がいるんだから、軽々しく扱っちゃあいけないもんだよ。もしも受け取った相手が本気で思い詰めてごらんな。向こうッ岸のない一本橋を渡らせるようなもんだ。脇へも行けず、戻るにゃ行き過ぎたとなると、あとは落っこちるだけ。そン時へたすりゃあ――相手はあんたの袖を掴むよ」

「――はい……」

「あたしもいろいろ見てきたからね。まあ……騙す方も騙される方にも、少しは逃げ道のあるやり方でおやんなよ」

「……はい」

「ええ、こんばんは。ええ、こんばんは」

「あら、またお客だ。はい、はい、ただいま――はい? ええ、ええ……まあ? あの……少々お待ちを――ちょ、ちょっとあんた、また二ァ人来たよ。あんたに起請文貰ったって――どうして家にばっかり来るのかねえ」

「誰です?」

「誰って――ああ、なんて云ったっけねえ。伊勢屋のお大尽のお供で来たことがあったけど……一人は白塗りの役者みたいな二枚目で、もう一人は黒塗りの草履の裏みたいな面白い顔した――」

「役者と……草履の裏?」

「しようがないね。起請文渡した相手くらい覚えておおきな。ほら、障子の隙間から覗いてごらん。あすこに立ってるだろ、二枚目と三枚目の二人連れが――」

「ああ――あれは四枚目と五枚目」

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