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オトン☆伝説

あり過ぎてwwww
戦後のギブミーチョコレートの時代の人で
本当に凄い時代を生きた人よ。

友達と「パチンコ」作って撃って
鳩捕まえて焼いて喰ってたらしいよ。
お腹空き過ぎて毒草・毒キノコ食べたり🤣
青梅腹いっぱい喰って
中毒起こして何度も死にかけたんだって。

そんで少年期の家は馬小屋。
キリストか。


当時、祖父と離縁した祖母が辿り着いた今の
私の地元のお大臣さんみたいな方の敷地にある
馬小屋にしばらく仮住まいさせてもらったらしい。
(婆ちゃんは相当美人だったらしいです🤣)

だからスーパーセレブのおぼっちゃま君と
うちの父は竹馬の友で、いつもお腹を
空かせてる父や叔母に、芋とかお餅とか
珍しいお菓子も沢山恵んでくれたんだと。

おぼっちゃま君、ちょっと吃音があるのよ。
それで子供の頃は虐められてたみたいだけど
お父さんが用心棒みたいになって
からかってくる自分よりデカい
中学生もボコボコにしたんだって。
あ。なんか。やっぱり私のお父さんだわw

だからおぼっちゃま君は大人になって
地元の名士になってからも、お父さん
大好きだったみたいで、よく父の営んでた
割烹料理店によく顔だしてくれたっけね。

そんな訳でお父さんはどんどん腕っぷしが
強くなり、ボクシングも習ってたんだって。
別に才能があったわけじゃないらしいんだけど
そりゃ、普通の人よりは強かったみたいよ。
(それは私が体感しまくってますw)

何よりやられてもやれてもゾンビみたいに
立ち上がってくるから相手(プロ)も
怖がって逃げ出しちゃったんだって。
あ。やっぱりrywwwwww

中学の頃はもうあちらの世界の方からスカウトされてたんだけど「鈴公(すずこう)」と
※のちのダンプ屋の社長の友達
どこの事務所にも属さず「風天」といって
2人でやりたいようにやってたんだって。

もう本当に人道に反する鬼畜だけど
当時は日本にも人身売買がくあって
連れさられた女の子たちを
コンテナに運ぶバイトとかしてたみたい。
信じられないけど、たった60年前の
日本、そんな治安だったらしいよ。
でもお母さんや妹の為に何でもやったんだって。

しかし、お父さんの若かりし頃の写真みると
「コブラ(外車)」とか乗っちゃってんの。
絶対、買えないじゃん。普通。
なにこれ、盗んだの?wって聞いたら

へへへ…

って、テレながら十八歳の頃から
裏カジノ経営してたんだ。ってボソッと。

パパ反社じゃん🤣

テレながら、話す話しじゃないよ。

私、中学ぐらいから同級生より
隣町の子達と気があって遊んでたんだけど
ある日お母さんに「流石あの人の子ね…」
って言われたんだけど、何故なら
お父さんこの町でカジノやってたみたい。
(今、その町に私の家があります🤣)
不思議と惹かれて落ち着くんだよねぇ…w
血って恐ろしいわね。

今は落ち着いた普通の住宅街、有名大学もある。
だけど昔は繁華街でガラ悪くて
ヤクザの事務所もあったんだって。
18歳年の離れた腹違いの兄が言ってたんだけど
その頃は、もう土建屋の親方やってた
お父さんの家に黒塗りのベンツがドアーッ‼️
って、ある日押し寄せて来たんだと。

お兄ちゃん(腹違い)はまだ子供だったけど
組長が抗争で亡くなった翌日
跡目を継いで下さいって、
幹部達が父に頭下げにきたんだってさ。

俺はもう足洗ったんだ


って断ったらしいんだけど、
もう普通の人じゃなかったのよね。

…なんでも、真っ当に働くんだって決めて
土方のバイトから始めてスコップで
ガシガシ穴掘ってると、そこの組長がきて
「お前、何やってんだよ~。俺んとこ
 くれば汗かいて泥だらけになんなくても
  もっと良い生活できるんだぞ~」って
毎日のように父を勧誘に来てたんだって。

そうやって目を掛けられてたから
白羽の矢が立ったみたい。
でも子供が生まれてから真っ当な賃金で暮らす
って決めてお金貯めて、その時の奥さんと
おばちゃんと小さな小料理屋も始め
昼は土方で働いてお金貯めて独り立ちして
どんどん土建屋の会社を大きくしてったみたい。

私が生まれた頃は、家の敷地内に宿舎があって
何人も住込みで働く人たちと「食堂」でご飯食べてた。
冬になると普段は漁師の熊みたいに
大きなおじさん達が出稼ぎにやってきた。
(真冬になると流氷で漁が出来なくなるんだって)
幼稚園の私には巨人に見えたね。
あと、訛りが凄くて何喋ってるか分かんなかった🤣

だから我が家の食卓は
食堂のおばちゃん雇うくらいの規模で
寸胴で味噌汁やら業務用のでっかい
ガス炊飯器でお米炊いてた。
一升瓶のお酒がでん‼️って並べられて
飲み放題、食べ放題。
食費、とんでもなかったと思うwww
バブルだねぇ。

そんで漁師のおじちゃん達が帰って行くと
それはそれは築地でも上がらないような
海の宝石達がお礼にドカドカ贈られてくる。
父は日本刀みたいな包丁で
私よりデカいマグロ捌いてたわwww
👆🏻私の舌の👅の英才教育

今もよく行くお山の散歩の頂上から見える
山の工事にも連れてかれた。

天使だったあの頃…
父のこのジャンパーの中にカンガルーの
子供のように入ってた記憶

父は市の山の工事を入札したけど
この頃、お母さんは育児ノイローゼで
2人(兄と私)を置いてったら殺しちゃうな。
って思ったんだって。
だから写真見ると私、2歳くらいなんだけど
子供連れてく事にして3ヶ月くらい
プレハブで父と兄と私で山の中で暮らしてたみたい。
そんな子煩悩な面もあった。

うん。「アライグマ」飼ってたのは覚えてるw
これは覚えてないけど、この山小屋暮らしでは
本当にドカンでお湯沸かして薪に火を起こし
五右衛門風呂に入ってたらしいよꉂ🤣𐤔

あとお父さんが運転する「ユンボー」の
膝の上は最高のアトラクションで
兄も私も大興奮してた記憶がある。
(今の時代だったら法的に絶対アカンよねw)
ガシャーン!ガシャーン!
…って、穴掘るの自分が
恐竜にでもなった気分だったわ。

因みにそんなお父さん、
「死にかけたことある?」
…って聞いたことあんだけど
婆ちゃん、スーパーメジャーな
あの組の偉い人の妾だったのよ。

ただ、ソイツ、ポン中で……
16歳の時、家に帰ってきたら
いきなり押入れから飛び出してきて
ドスで襲いかかってきたんだって🤣
(ポン中は末期になると狙われてる
  みたいな妄想に苛まれるらしい)

あれは危なかったなー


…って、本当に漫画みたいな人生の人よね。
因みに、オトンめちゃくちゃイケメンでした。
特に若い頃なんて、俳優みたい。

私の親権が父に渡ってしばらくして
連れて来た宮沢りえ激似の彼女。
なんと、ハタチに成り立てだったそうで。
本当に元はガチのお嬢様だったんだけど
彼女のお父さんが何らかの連帯保証人になってて
債務を負うことになり、お家は没落。
ホステスとして家計を支えてたんだけど
父が彼女の健気さと境遇に同情して目を掛けてらしい。

そしたら当時48歳の父にガチ惚れした
「お姉ちゃん」は、父の本カノになると決め
うちに押し掛け(?)てきたのだw

その彼女に初めて掛けた私の言葉

「へー。今度の彼女
  なかなか可愛いじゃん。」


お父さん、一瞬で顔、真っ赤🤣
…で、「お姉ちゃん」大爆笑。
この子、本当に小学4年生⁉️
さすが、あなたの子だわ。
…って言ってくれたお陰で
お仕置されずに済みました🤣
※多分、彼女連れてきてヤキモチ
妬いてたんじゃないかと思われる

お姉ちゃんは、掃除・料理・裁縫・言葉遣い
完璧で、賢くて、教養もあって、我慢強くて
おしとやかで本当に当時二十歳とは思えない素敵な人だった。

私にある「女らしさ」は全てこの人から
教わったと言っても過言ではない。
2人は籍を入れなかったけどそれぐらい長く
居たし、父が亡き今も年に数度、連絡取り合ってます。

あとは、名探偵コナンかよ🤣
…みたいな話しなんだけど。
私が中学生の頃には会社も市でAクラスに
入るほど立派な土建屋になっていて
大きな公共工事も手掛けていた。
今でも父の作った駅とか通ると懐かしくて胸がキュンとなる。

そんなんだから、地元の人たちに頼られて
ある日、ひとりの老婆がやってきた。
父に子供の頃からよく連れていかれた
行き付けだった寿司屋の大将のお母さん。
大将、借金作って嫁・子供捨てて
行方不明になっちゃってウン十年。
死亡したことになっていた。
余命宣告を受けたお母さんが、ひと目
息子に会いたいんですと父に相談にきたらしい。

父は、興信所を雇って大将を探し出した。
市長とも仲良かったから手を尽くして
死んでた事になってた大将を蘇らせ🤣
その間の年金や税金も全て納めてやったらしい。
興信所含め一体、何百万掛かったんだろう。
見返りで父は兼業で寿司割烹を開業する事にし
そこに大将をおいて働いて貰うことになった。

こんな話しもある。
父は動く家みたいな価格の
ボンドカー乗ってたけど
後ろから軽自動車に突っ込まれた🤣
相手、無保険、、、。
仕方ないから自分の車両保険で直したけど
後日加害者が会社を尋ねてきた…
お詫びかと思ったら

お金貸してください


だって。
私、それ聞いてブチ切れたけど
100万あげあんだって。

そんな、父でした。

因みに幼稚園の頃、友達の家で遊んでたら
遠山の金さんが放送された。

あ!お父さんだー‼️


…って言ったら理由を聞かれたので
刺青の話しをしたら友達のお母さん(||゚Д゚)ヒィィィ!
ってなってた。

これは、我が家の秘密なんだ💦

…ってオトン、困ってたけどそんな親子でしたw

おしまい☾ᐝ

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