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もう一度、あなたを信じる

坂本龍一さんの代表曲と言えばやはり、
「戦場のメリークリスマス」になるのでしょうね。

正式なタイトルは
「Merry Xmas Mr.Lawrence 」と言います。

映画のラストで北野武さんが…いや、やめておきましょう。気になる方は映画をご覧になってみて下さい。

話を「戦メリ」に戻すとこの曲には映画では使われなかった歌詞付きバージョン(って言い方があるのかどうか?)があるのをご存知ですか?

「禁じられた色彩」と言うタイトルで坂本龍一さんとも長く交流のあった、デヴィッド・シルヴィアンさんが歌われています。

「戦メリ」のサントラの最後に収録されています。サブスクでは聴けるのかな?

「禁じられた色彩」と言うタイトルは三島由紀夫の小説「禁色」から取られているらしいですが、まぁそんな蘊蓄はいいです。

「蘊蓄はいい」とか言っておいてなんですが、ググってみると原詞と色々な和訳が表示されます。キリスト教と関係あるとか、同性愛を示唆しているとか?

さらに、そんなことは「まぁいい」のです(しつこいな)。

なんで「禁じられた色彩」の話を持ち出したかと言うと、冒頭の歌詞が今日ふとしたことで頭に浮かんで来たからです。

「僕の傷はきっと消えないだろう」

そんな風に憶えていました。実際は結構違ってました。まぁ、私の記憶がいい加減なのは定評(?)がありますので、いつものことです。

正確な和訳は、繰り返しますが、ググってみてお好きなのを選んでみてはいかがかと。

はい、話を戻します。

「僕の傷はきっと消えないだろう」

私の左手首にも消えない傷があります。正確には傷ではなくて手術痕なんですが…。去年、仕事中に転倒して(ドジですね)骨折してしまい、折れた骨を固定するためにチタンを入れた際のメスの痕です。

大体10㎝くらいの真っ直ぐな線が左手首に走っています。何針縫ったとかではないのですが、それでも今でもハッキリと左手首に残っています。まぁ、一生消えないでしょうね。

手術前、医者からは「手術が成功して、リハビリを頑張ったとしても、怪我をする前と同じ状態(100%)には戻らない」と言われました。

それを言われた時は何せ生まれて初めての骨折で動揺し、混乱し、落胆していたので、随分とショックでした。

医者を恨んでいるわけではありません。手術は成功しましたし、リハビリも(理学療法士さんの励ましもあって)頑張ったおかげで「え?どこが以前と違うの?」と思えるくらいに回復しました。

しばらく痛みは続きましたが、現在は仕事にも復帰でき(これも本当にありがたいことです)不自由ない生活をしています。

ただ傷は残りました。身体と心に。

今でも毎日、自分の身体だから当然ですが、左手首の傷を見ます。見たくなくても見えてしまいます。

機嫌の良い時、悪い時、特になにも考えていない時、寝起き、就寝前、仕事中、読書中、時間が気になった時(怪我の前は左手首に時計をしていました)、楽しい時、辛い時、etc…

傷を見てその度に何か思うわけではありません。ただ「あぁ」、と思うだけです。

「あぁ」

「あぁ、私はー」「私が」「私」「ワタシ」
「私私私私…」

消えないんだな。ずっとこのままなんだな。やっちゃったな。ドジだな。迷惑かけたな、かかったな。

そんな当たり前の事実、感情を受け入れるのにだいぶん時間がかかりました。

いや、まだ傷を見続けているのは受け入れられていないからかもしれません。

いずれにせよ、この傷は消えません。

「僕の傷はきっと消えないだろう」

この言葉が消えてくれないように。

自虐とか美しい(?)謙遜とかではなく、私は碌でもない人間です。聖人でも神様でもないから当たり前ですが、今まで生きてきて随分多くの人を傷つけ、迷惑をかけてきました。

仕方ないと言えば仕方ないのですが…。歩いた跡には踏みつけた草が残るように「生きる」と言うことはそういうことだと思っています。開き直ってもいけませんけれど。

それでも今、左手首の傷を見るたびに思います。自分が今までどれほど多くのヒト、モノを傷つけて生きてきたかを。そのほとんどを回復不可能なくらいに損ない、失ってきたかを。

その結果が今の生活なのだと思い知らされます。左手首の傷を見るたびに。

精神障害、先の不透明な人生、永久に(永久にです)失った友人、修復不可能な家族関係…。

楽しいこと、嬉しいこと、恵まれていること。そういったものと完全に縁が切れたわけではありませんが、やはり私の今の、そしてこれからの人生が険しいモノであることは確かでしょう。

左手首の傷がそれを教えてくれます。忘れさせてくれません。忘れてはいけないでしょう。

辛いですが、まだ生きていきます。やりたいこともありますから。生きていきます。現在と未来に。

村上春樹さんの小説に「人間とは記憶をエネルギーにして生きているのではないか?」みたいな文章があったと思います(「アフターダーク」だったかな?)。

私の過去は酷いモノですが、忘れることも捨て去ることもできません。そして、私に残されたモノはこの酷い過去、記憶しかないのです。

直視するのは辛いですが、目を背けずに見つめて、そこから「何か」をエネルギーとして生きていくしかありません。そして、そうすることが必要なのだと思います。

夏目漱石の「こころ」(愛読書です)の先生も確か「私」に対して、そんな事を言っていたと思います。ああ、また読み返してみよう。

今も左手首に傷が残っています。

消えない傷です。

「僕の傷はきっと消えないだろう」

消えないでください。私と共にいてください。
いつか(訪れるのだろうか?)、あなたを直視できる日が来るまで。

自信を持って左手首をかざせる日まで。

こんな人間で、こんな人生だけど、「そんなに悪くもなかったな」と苦笑くらいはできる日まで。

「禁じられた色彩」のラストはこんな歌詞で終わります(また曖昧な記憶ですが…)。

「僕の生はもう一度貴方を信じる」

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