缺(かける)

結構面白いこと書いてると思う。 25卒で戦略コンサルに入社する大学生。 スポーツとか学…

缺(かける)

結構面白いこと書いてると思う。 25卒で戦略コンサルに入社する大学生。 スポーツとか学問とか、ろくにわかりやすい実績を残したこともなく、自意識の赴くままに自分の世界に閉じこもって頭だけ回してきた。 新しいことに挑戦しているが、自分の思考を保っておきたいのでここを使う。

最近の記事

クソみたいな信念を俺にぶつけてくるなよ、という話

面倒なデータ処理や整形など、実際に手を動かす研究をゼミで行なっているからか、「現場」を尊重する意識が強い。 ※上流の作業よりも下流の作業を重視する、という意味ではなく、上流の作業のうちで抽象性の高い概念を用いてなされる仕事と、実際にコンピュータや現場の様子と向き合って現実(それは定量データでも人の声でも、比較可能性とそのデータの限界の提示があればあまり変わらない気がする)を集めて次に繋げる仕事があって、俺は後者の方に惹かれる、という意味。 だからか、自分の信念的な物を他人

    • 偶然かけられてしまった客観性の呪い

      自分を客観的に見なさい と言われた事が多い人間と少ない人間がいる。 多い人間は、初めから社会、というかその人が幼少期に多く接することを強いられた集団の規範から外れていた人だ。 少ない人間は逆に、外れ度が少なかった人だ。 その集団の哲学は様々だろうが、ある人が集団から外れていることを「その人元来の性向が所与としてあり、偶然それがこの集団から離れていた。だから、それはその人の能力の問題ではなく、単に性向の方向性の違いとして物理的に解釈できる」と解釈する集団は経験上少ない。 (わ

      • 自由意志概念を都合よく利用する派閥との渡り合い方

        自由意志貫徹モデルがあったとして、多分平均値の人間はそれを完全には信じていない。というのは、自分の利益になる場合にそれを主張し、損すると感じたらそれを否定するからだ。 それに怒りを覚えていても仕方ないので、それを模倣する実践的なテクニックを考えようと思う。なお、「本当のところ」は自由意志不在モデルが現実に近い、という想定で以下は書かれる。 目標 ①自分が得をする場合に自由意志貫徹モデルを主張できるようになる[相対化の次元を「超えて」、相手に自分がそれを信じていることを信じ込

        • 2023年のメモ帳を、適当に選んで垂れ流す

          理由のなさ(2023/06/16) 物事に理由がないという考えを貫いたところで、それが生み出せるものは少ない。肝要なのは、その場においてどれくらいの無根拠性なら許容されるのかを見極めることだ。最も厄介なのは、自分がその無根拠性の審判に立った時だ。このような問題を考える時点で、究極的に無根拠であることには自覚的である。だから無根拠性を許すには、自分自身で線を引く必要がある。それができないから人は自分が空っぽなように感じるのだ。 考えすぎ、という言葉について7/16 考えすぎ、

        クソみたいな信念を俺にぶつけてくるなよ、という話

          死刑囚エンドの可能性を自覚しながら生きると言うこと 1

          ニュースで死刑判決を下された被告人の話が出る。大抵は複数人の殺害容疑である。 コメント欄では「税金の無駄だから早く殺せ」「被害者の痛みに釣り合わない」などの定型分が並ぶ。誰かがすでに言っているコメントだから、言ってもしょうがないのだが、とりあえず言いたいから書いたのだろう、と思う。 ところで、私は自分が死刑判決を受ける可能性を否定できない。あなたも否定できないはずだが、多分そうは思っていない。(思っているのだとしたら、このノートを読んでも刺激がなくてつまらないかもしれないこ

          死刑囚エンドの可能性を自覚しながら生きると言うこと 1