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「わたし、あんたが羨ましい」と告白してみた

昨夜、ひとのことアカデミーの《応用・発展クラス》での学びの記録。

テーマは、「自信がある・ないとはどういうことなのか」

わたしは、「自分の欲求がはっきりしていて、たのしむことに貪欲な人」に羨ましさを感じる。
それも子どものように夢中になっている姿を見ると、なおのこと。

身近にKちゃんという50過ぎの男性がいるのだけど、彼はまさにわたしが羨ましいと感じる人。
今日会ったので、
「わたし、そうやってたのしんでるKちゃんが羨ましい。」
と告白すると、
「うん。たのしいもん。」
のひとこと。
彼にとっては標準。


わたしに、たのしく生きたいという欲求があることは知っているけれど、自分にとっての「たのしい」が変化していることに対する関心が薄い。

振り返ってみると、子ども時代は友だちと遊ぶことに夢中だった。毎日のように外で走り回っていたし、あちこち行くのが好きだった。
休日は、友だちと電車に乗って遊びに行くのが楽しかった。
中・高時代は、部活が中心だったけど、友だちの家に泊まりに行って、おしゃべりに夢中だった。
看護学校から社会人になって結婚するまでは、思いっきり遊んだ。旅行もよく行ったし、スノボにもはまった。サーフィンにもチャレンジしたな。

結婚してからは、元夫と毎週のように温泉に行ったり、あちこち出かけるのは楽しかった。友だちと遊ぶことも、子どもを連れて出かけることも。
だけど、だんだんとおしゃべりがたのしくなくなってきて。
ひとり活動が増えていったな。

そして、ここ最近を振り返ると、仲間と過ごす時間をたのしんでいるわたしがいることに気づいた。食卓を囲んで語り合うこと、ドライブしながらのお出かけ、仕事を終えてシェアハウスで語り合うこと、映画を観て感想を語り合うこと、そうやって過ごすことに充実感を感じている。

だけど、積極的に自分から声をかけてその機会をつくっているかというとそうではなく、ひとりで過ごす時間が多い。

他にも振り返って自分を観察すると、髪型を変えたいと思っていたり、雑貨屋さんでピアスを耳にあてていたりして。あぁ、お洒落をたのしみたいわたしもいるなぁ、とか。
1週間で20種類以上の野菜を取り入れると、腸内環境がよくなる話を聞いて、早速試しているわたしがいたりして。あぁ、もちもち肌になるって宣言した自分の欲求に応えたいわたしおるなぁ、とか。

ちゃんとある。笑

自分に関心を持つことが課題。
自分に関心を持つことは、わたしがわたしを愛でること。
欲求が明らかになると同時にエネルギーが湧いてくる感じがする。
確かにわたしが羨ましいなぁと思って見ている人は、エネルギー溢れてるな。

ひとり時間も満喫しながら、人と過ごす時間が増えていくだろう。
アイデアも湧いてきそう。

人に対して羨ましいと感じることは、自分の中にもあるもの。
自分の欲求に気づくために湧いてくる気持ちだと知った。

「羨ましい」と感じる機会があればあるだけ、自分の欲求に気づく機会になる。

今日は、仲睦まじいカップル(のようにみえるふたり)をみて、羨ましいと感じた。
あぁ、そうそう。
わたし、ドキドキしたいとかそんなんじゃないのよ。
ある夫婦と一緒に過ごしているときに、「ほぉ。ひとりでいるよりふたりでいる方がラク、安心ってあるんだぁ。」と身体で感じた日があって、そのときのことを思い出した。

条件とかじゃなくて、ただただ安堵する感覚がある人と出会いたいという欲求があることを知った。

あと、30代前半の若い子たちを見て、体力あって羨ましいと感じた。身軽さが羨ましい。
気持ちばかりが先を行って、身体が追いつかないと感じることが多い今日この頃。
もどかしく、焦れったい。

こうやって、自分に関心を持って、自分の欲求を知るのね。そして、どうやって叶えるのか?わたしがわたしに協力する。それも人を巻き込んでたのしみながら叶えていこう。




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