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じんわりと解けていく
満足することを見出さなかったことを許す
父に対する見方が変わった瞬間、父を責めたり恨んだりしていた自分が嘘のように変化した。
わたしから見て退屈そうに生きていた父は、わたしが自分の満足を見いだすことなくドラマを見るように、パチンコに行っていたのか。なんなら、父にとってはそれが本当に満足することだったのかもしれない。
許せなかったことは、「満足すること」ではなく、「満足することを見出さなかったこと」だというのが今はしっくりくる。
しりとりとかやってみる
今日、グループホームにて。
こちらから何か影響を与えなければ、ただ椅子に座って過ごすだけの入居者さんたち。彼女たちがどうこうとかいうことではなく、わたしが退屈で不満足なのだ。
パズルやらなんやら、あるもので遊ぶことに飽きているのもわたし。
今日は、Sさんを居室に迎えに行った際、カレンダーが1月のままになっていることに気づいた。
「これまだ1月のままだよ。」と声をかけると、「あら、ほんと。もう5月なのにねぇ。」とSさん。
剥いだカレンダーを見ながら、「これ、何か使う?」とSさん。
思い浮かんだのは、別の老人ホームでホワイトボードを使いながらしりとりをしていた光景。
3文字しりとりをみんなでやった。
まぁまぁ盛り上がる。
みんながそれぞれにヒントを出し合ったり、思いついたらノリノリで答えていたりと生き生きとしている様子を見て、嬉しかった。
許し、癒す
わたしが父を許したと同時に起きたことは、父のしあわせを心から願ったことだ。
家族で出かけたときの父のことを思い出すと、穏やかだったし、一緒にいろいろ楽しんでいた。父は自分の両親や兄弟とはやってきていない体験をわたしたち家族と体験したのだと思うと、娘として役に立ててしあわせだ。
今日の仕事帰りにそんなことを思い返していたら、わたしの頑なに凝り固まっていた一部がじんわりと解けていくのを感じた。
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