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認知することで「足るを知る」

今日は、友だちの赤ちゃんに会いに行ってきた。
赤ちゃんはみんなかわいいけど、新生児は特別だ。
フォルムといい表情や仕草と言い、なんとも言えない可愛さがある。抱っこしたときの、軽いのに重みがある感覚もこの時期だけのもの。

赤ちゃんをたんまりと抱っこして、友だちと一緒に豚汁食べて、ハーブティー飲みながらいろんな話をした。楽しくて心地よい感覚に、わたしがまどろみはじめていた。
雪がチラつきはじめたので、おいとまする。

わたしはこの時点で、心も身体も満たされていた。
豚汁だけじゃ少ないかな?という思考の裏には、満足するくらい食べたいという欲求があった。だから、具だくさんの豚汁にしたのに、「もっともっと」と欲張っていた。

そして、帰り道に本屋に寄る。
読みたい本を1冊見つけて、満足していた。
だけど、「もっともっと」と欲張って本屋さんの中をウロウロ。途中、ワクワクしていないことに気づき、店内にあるカフェへ。
買った本を開くも、集中することもくつろぐこともできずに居心地が悪い。

帰り道、塩麹を作るための麹とおでんの材料を買うためにスーパーへ寄る。たまに行くスーパーは楽しくて長居する。この時間は楽しかった。

そしてまたその帰り道。 
どこか不満足な感じがして、これってなんなんだろう?と1日を振り返ってみた。
「あぁ、わたし赤ちゃん抱っこして、あすか(友だち)とお昼ご飯食べて、たくさんしゃべって満たされてたんだ。本屋さんも1冊読みたい本があって嬉しくて十分だったんだ。」
そうだと知ってやっとほっとした。

そして、寂しさも感じていた。
「フラフラと寄り道しながら帰ってきたくてひとりで行ったけど、道中誰かと一緒だったらもっと楽しかっただろうな。」
と。

「足るを知る」
過去のわたしにとって満足だったやり方を採用しても今のわたしには不満足だったり、派手なことをしなくてもお金をかけなくても十分満足だったり。
「もっともっと」ってなってるその瞬間こそが1番物足りなくて心地悪かったなぁ。





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