見出し画像

今日のわたしも確かに転んでたけれど、今日のわたしもしょーもないけれど、それでいいのだと心から思えた日

わたしがコミュニケーションについて学び始めたのは、約10年前のこと。

ひとのことが開催していた「未来の人財を育てる親のための勉強会」(通称おやべん)に出会い、わたしが看護を通してやりたかったことはコレだ!と運命の出会いを果たしたかのような衝撃を受けた。

(詳細について語り出すと止まらないので、またいつか。)

その日から、
自分を観察し、自分を感じ、自分に寄り添う。
わたしにゆとりがうまれたら、
相手を観察し、相手を感じ、相手に寄り添う。
相手にゆとりがうまれたら、
わたしが感じていることや考えていることを相手に伝える。

ということを繰り返し繰り返し、繰り返し、繰り返し、そしてまた繰り返しやってきた。
そして今日もなお続いている。
時にはコケて、ぶつかって、すってん転び、そしてまた立ち上がり、また一歩足を踏み出す。

失敗だらけの人間関係。
恥ずかしい話は山ほどある。
それもまた現在進行形。今も続いている。

居心地のいい環境で生きることを諦めきれず、自分を好きになることを諦めきれず、堂々と生きることを諦めきれず、誰かと分かち合うことを諦めきれないわたしは、不格好ながらに今日も学びを実践しながら生きてる。

今日は、積み重ねてきたことがようやくなんとなく形になってきているのだな、と実感した日だった。

今朝、Facebookで昨日のわたしの投稿をシェアされているのを読んで、とても嬉しかった。
シェアしてくれたのは、あっこという人。
彼女はおやべんを通して、ひとの営みについて大切なこと、心理、原理原則を教えてくれた人。
これもまた今も継続中。


投稿に添えられていたメッセージ。

彼女が観察したように、一人でも多くの人が自分や相手に関心を持ったら(愛情)、この世界にどんな変化が訪れるだろうか。
まだ彼女は利用者さんとのやりとりだけだが、職員や施設全体に関心を向けたらどうなるかな。

きっと
言葉や態度だけで理解する世界と目には見えないものもあると信じる世界が調和し、穏やかで自由な世界になるだろうな。

まずはひとりひとりが。
でも必ずそのひとりがどんどん影響し合い、輪になって、内から外へと伝播するはず。

#彼女も最初から福祉の現場に関心があったわけではない
#彼女も最初から誰かに関心をむけていたわけではない
#徐々に関心を持つことで自分も相手も楽になっていくことを
#彼女はあきらめずにやり続けていただけ
#ぜひ彼女の他のnoteの記事も読んでみて

ひとのこと あっこ


添えられたメッセージを読みながら、「あぁ、わたし、利用者さんや入居者さんに寄り添ってるわ。相手に関心を持って関わってる。いつかやりたかったこと実践してんだな。」そう思うと、胸のあたりがじわじわとあたたかくなった。

ようやっと。
ここまできた。
形にしたいものは目に見えないもので、完成形はない。

ただ、目には見えないものだからこそ、紡ぎつづけた先にどんな世界が待っているのか楽しみだ!

正直、今日のわたしもしょーもない。
今日のわたしも転んでた。
あぁ、でもそれでいいんだ。
心からそう思えた日。
しあわせな一日。


10年前に出会った「おやべん」は、進化し続けていて、この春新たなはじまりを迎えるそう。
学びはつづく。
出会いもつづく。
自分を知る喜びを実感する人が増えますように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?