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無理なものは無理!

仕事とかで、
いくら「与える人になりたい」
「いつも人に優しくできる人格者になりたい」
と思っていても、

今の私は、本音をぐにゃぐにゃに曲げて、
無理やり
「与える人になろう」
「優しい人になろう」
としている感じがする。

どんなに、そう思おうとしても
本音がそうじゃないから
表面的に装っている感じになる

どうしたらいいんかなぁ

ほんとうに、その考え方が腑に落ちる
っていうくらい、
ストンと自分の腹に落ちていないと、

腹黒になってしまう笑

そうだよな。。。

わたしは、どれくらい表面とは違う本音を持っているんだろう。

腑に落とせていない考え方は何があるだろう。


仕事で、苦しさを感じることは多々ある。
わたしが、いちばん大切だと思っていることは「平等」なんだと思う。

それは、仕事量や、精神的苦痛さ、それに見合ったお給料という意味での平等。

だから、忙しくないのに、辛くないのに、周りに助けてもらってるのに、
誰にも何も咎められない、
お給料ももらっている、

という人を見ると、
苦しくて仕方なくなる。

わたしは、こんなに忙しいのに。
こんなに辛いのに。
周りに助けてもらえなくて、こんなに孤独なのに。

って。

そっか、苦しかったね。
ほんとうに苦しかったね。

自分の本音が見えた。

忙しくて、辛くて、孤独なんだ。
寄り添ってあげられなくてごめんね。

無理やり、良い人になろうとしてごめんね。

そうなるしかないと思った。
我慢して我慢して、それを我慢と思わないくらいの善い人になれば、
きっと周りも笑顔で、私も笑顔で幸せだと思った。

だけど、限界が来たみたい。

わたし、どうしたい?

まず、ひとつ実践できそうなことがある。

「無理なものは、無理」精神を持つこと。

例えば、
お客さんに無理な要求をされて、
それを断ってお客さんが怒ったとしても、

無理なものは、無理。

お客さんの気持ちも分かる。
でも、どうしようもないことってある。
そこは、ごめんなさい。って言っていい。


職員の方に何かを頼んで、
それで職員の方が嫌そうな顔をしても、

無理なものは無理。

だって、わたしはその職員の人の役職じゃないんだもん。
役割が違うんだから、私がやろうとしても余計にややこしくなるだけ。
全部を背負おうとしない。全部代わりにやろうとしない。

たしかに、今の状況は、
誰かが自己犠牲をしなければ、
回らないのかもしれない。
みんながご機嫌で仕事できる環境じゃないのかもしれない。

だけど、それをどうにかしようとすることこそ、
「無理なものは無理」なんだよな。


いいんだよ。
不調和はどうしたって生まれるものだから。
どんなに気をつけたって、
私がどんなに自己犠牲したって、
誰かは不機嫌なままなんだから。

それは、わたしのせいじゃない。
周りの人のせいでもない。
そんなもんなんだ、って思うしかない。

アドラーの嫌われる勇気の本に、
「課題の分離」っていう考え方があるように、

わたしは、誰かが不機嫌だろうと、
職場に不調和が生じていようと、
それを背負うことやそれに介入することは
私の課題ではない。


でも、きっとすぐにはそう思えないし、
誰かが不機嫌になると、
私のせいだってきっと反射的に思ってしまうと思う。

だから、少しずつでいい。
無理なものは無理。
私の課題じゃない。

って心を強く持つことを心がけるだけでいい。

そしたら、少しずつ心が、
当たり前にやってた自己犠牲を違和感として捉えてくれるようになるはずだから。


そして、大切なのは、
じゃぁ、私はどうしたいか?
っていうことだね。

わたしは、、、

課題の分離をしたうえで、
自分のできる範囲で、人に与えられる、
優しさを溢れさせられるひとになりたい。

難しいかな。

でも、ちゃんと私の本音を大事にするって、
私が決めたから。

すごく怖いけど、
明日はちゃんと、
「無理です、ごめんなさい(´∀`)」
を心の中の合言葉にして、
しっかり割り切ることを心がけてみよう。

職場の雰囲気は、
職場の不調和は、
誰かの機嫌は、

私が背負い込んだってどうにかできるものではない!

それを肝に銘じて、

よし。明日も自分に出来ることをがんばろ(*ˊᵕˋ*)

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