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金の花天蓋と鏡で飾られた鳳凰堂のキラキラ天井

宇治の平等院は、はるか昔の修学旅行で訪れたのが最初である。
恐竜が生きていたころの話だから、覚えているわけがない。

その後、何度か訪れたのであろうが、やっぱり詳細を覚えていない。
かろうじて記憶に残っているのが、前回、相棒のぴょんた師匠(うさぎ)と一緒に訪問した2021年の秋。どしゃぶりの宇治川をびしょぬれになって渡った記憶がある。

2021年11月豪雨の宇治川にて

驟雨に煙る平等院も美しかった

雨の平等院
鳳凰堂へ渡る橋

この時、鳳凰堂内部を拝観できるらしい、ということを知った。
一定の時間ごとに橋を渡って見物している人々がいたからだ。

私は、ぴょんた師匠に、内部拝観行こうよ、と聞いてみたが、奴は「やだ」という。どうして?

それで、後ろ髪を引かれる思いで、平等院を後にした。

そう、私は、あの橋を渡って見たかったのだ。

そして、満を持して今年の7月初旬、とうとう宇治に再び来ることができた。

湿気と暑さで朦朧とする意識の向こう側に、雲の切れ間から差し込む陽光に照らされた平等院が見えた。

暑さで頭をやられている私は、まるで天女のようだ、と思った。

2024年真夏の平等院
鳳凰堂へ至る橋

「今年こそは・・・今年こそはこの橋を渡るぞ!」
その情熱を思い出したのは、実は拝観料(700円)を払って鳳凰堂を池周りにぐるりと一周してからだった。

あの時できなかったことをしよう。

私は、チケットカウンターにて内部拝観のチケット(300円)を購入した。チケットには内部観覧ツアーの指定時間がスタンプ印字されてあった。
その時間まで、涼しいミュージアム鳳翔館で、雲中供養菩薩像の彫刻を眺めながら待った。

音楽を奏でたり踊ったりして遊ぶこの楽し気な菩薩たちは、高畑勲監督のアニメ映画「かぐや姫」で、奇妙に明るい音楽とともにかぐやを迎えにくる天人たちのようだと思った。

さて、時間が来たので、橋のたもとに並んだ。
各回定員が50名とのことなので、おそらく、来訪したその日に入れない、ということはないだろう。

緑に輝く池を両側に眺めつつ、職員さんに導かれて美しい太鼓橋を渡った。

とうとう渡ったぞ!なんと雅びな眺めだ!

赤い柱に支えられた鳳凰堂の建物に着くと、拝観前にクツを脱ぎ、職員さんから細かな注意事項を聞く。

リュック等の荷物は身体の前で抱えること。

大きな荷物は置いていくこと。
撮影は絶対禁止。

1000年の時を超えた空間を守る努力は、拝観者の協力なくしては完成しないのだ。

いつも対岸から拝観している、本尊阿弥陀如来坐像は雲を突くように大きく、金色に輝いていた。その頭上を、精緻な彫刻の天蓋が飾る。

金の花々が空から降りてくるような天蓋も如来像も菩薩像も、すべて木彫り、というのがすさまじい。

その金の花の天蓋の内側は、格子状になっていて、お花の形のキラキラする飾りが格子に沿って一定間隔で並んでいた。

思えば、京都市内は応仁の乱で平安時代の建築物が多く消失してしまったのだろうから、平安華やかなりし頃の豪華さを伝えるこの空間は実に貴重である。

やわらかな曲線のやさしい阿弥陀如来像と、キラキラと輝く花天蓋、たなびく雲に乗り楽器を演奏したり、歌を歌うたくさんの菩薩像。今はくすんでしまったが、かつて鮮やかに描かれていたであろう壁絵。

平安時代、伝説の仏師定朝によって生み出された極楽浄土は、実に明るく華やかであった。

平安時代、時の権力者が願いを込めた空間が、そこにあった。

内部拝観は映像や写真には残せなかったから、言葉で残そうと思った次第である。

宇治の旅は動画にまとめたので、こちらもよかったらご覧くだされ。


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