|絵画・社会の批評|アーティスト・バンクシーの世界的な位置取り。
英国、イギリスのブリストル出生、ストリート・アーティストでありその存在をおおよそ明らかにしていない謎の画家、バンクシーの世界的な位置付けを今回は試みたい。
彼の作品は全て、いわゆるゲリラ的に世界各地の壁、ビルの外壁、等にステンシル・スプレーや落書き的な手法による絵画を描き、社会に対する一種の皮肉にも似た、そして対峙する姿勢・スタンスを見せる社会性を見せている。
この記事の壁紙にもある、彼がスキャンダル
なパフォーマンスをオークションのサザビーズ会場で見せた、画題 Girl with Balloon の絵画をゲリラ的にシュレッダーにかけて切り刻み客達にショックを与える所に、紙くず同然でしかない絵に対して高値を付けて金を競り合う者達の欲深さ、愚かさを嘲笑う、典型的な冷酷な皮肉屋の英国人の姿勢が見て取れる。
だが、その皮肉をも飲み込んでいく人の欲望のきりの無さ、果てしの無さを、バンクシーは予測、理解していたのだろうか。
また、ヨルダン川西岸の世界最大の壁に描かれた、ステンシル絵画 画題 Love is in the Air ……………。イスラエル・パレスチナ問題において、パレスチナを世界最大規模の野外刑務所にしたベツレヘムの高い壁に彼、ことバンクシーは描いた………。
手榴弾を投げようとする若者、だが、それは
手榴弾ではなく花束………争いの無意味さ、それをユーモアにしつつも、それを包み込んだ
、チョットした愛情の表現……………。
世界各国のテレビ局、ネット、新聞、雑誌、ありとあらゆるメディアが戦争の強烈さ、悲惨さを、毎日の様に伝え続ける……確かにメディアの戦争報道の必要性は、ある。それを見る人々も、いる。バンクシーの絵画 Bomb Hugger は爆弾を愛情いっぱいに抱える少女の絵、それは戦争報道の必要性はあるが、それらに対する少女のたっぷりな愛情がそれ自体歪んでいるのだと言う皮肉なメッセージ…
…………………………。
バンクシーは基本、顔出し無しで、ギャラも
作品の発表後発生し、名声を求めずテロリズムにも似た突発的な表現行動をテロ的にやり続けている。大体、こういう表現は政治的なプロパガンダが伴うものだが、バンクシーはそこからもフリーな、自由な姿勢・スタンスを保っている。
それは表現者というより、世界のさまざまな
金銭的な欲望、戦争の愚かさ、また、画題 Game Chenger では、コロナウイルス禍で困難だった期間の本当の英雄は、アメリカン・コミックのスーパーヒーローなんかじゃなくて、看護婦さんに代表される医療従事者なんだよ! と。そうやって世界的な最小の、それも見返りを求めない、横から目線で文物を批評しながらも一定の距離を持ち逃げる批評家としての目線でもない、一個人としての少市民の視点からの皮肉な批評家、としてのバンクシーの社会的存在のスタンス・立ち位置が見えてくる。
個人的な朴とつ的な感想だが、バンクシーの
壁に描かれたステンシル絵画、落書き的スプレー殴り書き的絵画を見ていると………………
中国の南宋時代の水墨画にも見えてくる。
中国ってハッキリ言って理解不能な国。中国と言う砂漠地帯がある。中国十数億の膨大な
人口。一人ひとりは繋がらす、中国人一人は砂漠の砂の一粒でしかない。砂漠の蟻地獄である。そんな人達が受け入れ食い潰し続けて来た外来政権、それが秦や随、唐、元の歴代の、要はイラン人、トルコ人、モンゴル人であり………だった訳で。
そこから産まれる中国の文化はハッキリ言ってオリジナルな訳がない。全て外来文化を食い尽くした果てのクズでしかない。水墨画もそのうち、という事で。墨筆の一本の墨の線で描かれた中国人達に食い尽くされた砂漠の一本の棒で書かれた線。墨の線、絵。それは幼児の落書きにも似た、物と言う事で。
私的に見てみればバンクシー絵画の世界的な位置付けは、金銭的な欲望で支配され食い尽くされていくかなり前から、そしてこれからのボロボロな世界に落書きされていく水墨画の様に見えてくるし、そう、ダブって見えて想えてくる……………………。
これからもバンクシーに続く、経済だけで砂漠の楽園になってしまう全世界に対して、水墨画の様な落書き的なアート。批評家的なオリジナルな特異な創作姿勢を創り上げていく、表現者達が世界各地にゾロゾロと出現していくかも知れない…………………………!!
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