そんな時「情けない」と言う。もちろん持論。

 少し前の話になりますが、主人の具合が悪くなり救急車を呼ぶ、という事がありました。結果、搬送はされず、大事には至らなかったので本当に良かったのですが、その時の救急隊員の方がとても良い方でした。じっくり状況を聞き、様子をよく見て自宅で様子を見るという事でも大丈夫ではと伝えてくれた上で私たちの意向を確認してくれ、自宅での安静という選択をしました。 
  
 救急隊員さんはしばらく居て下さったのですが、段々と体調も落ち着いてきた主人が

「こんな事で来て頂いて情けないです。すみません」

と言うと
救急隊員さんは
「いえいえ、自分が望んでそうなったわけではないので」
と。

どうやら人間は自分が望まずに起こってしまった状況を、でももしかしたら何とか自力が効いたかもしれない時に「情けない」と思うのか。
コントロールの効かない事は「恥ずかしい事」と言えるのかもしれない。

本当に??

「不可抗力」という言葉があるけれど、何かをコントロール出来ないと悩むとき、その事に頑張って立ち向かい過ぎないで、「不可抗力」と「本当にコントロールできる実在的なもの」を小さく分けると良さそうだな、と思いました。
不要に「情けない」と思うと、何だか自分が小さくなるみたいな気がします。
 主人の背中が小さく見えたように。

 
 そうそう、その時に部屋に散らかったブロック(おもちゃ)を見て
「お子さん、まだ小さいんですか?家と同じようなおもちゃだったので」
と救急隊員さんがつぶやきました。
「4歳です。いっつもおもちゃ、そのままで(散らかしたままで)」
と私が言うと
「分かります。うちも今、同じ4歳なんで。片づけても次から次へと出してくる」
と。

これ、めちゃくちゃ嬉しい共感でした。
出かける前でさえ、片づけてもまた出されるというエンドレスゲーム。自分の好む状態が無いままの外出と子どもと私の孤独なこだわり。
分かってもらえて嬉しかったです。

親にとっては不可抗力続きの癖に、子どもは成長してるんだから、なんだか…皮肉ですよね(笑)
 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?