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4.半吉、回復期病棟へ行く

退院日が5月17日に決まった。
退院といっても急性期から回復期への転院だった。リハビリのセラピストさん達は早く決まって良かったね!と言っていたが、僕は知らない場所に行くのが怖く複雑な気持ちだった。

5月12日 
土日はリハビリが無いので、トイレと食事以外に病室のベッドから出ることはない。僕はひたすら言語のリハビリでもらったプリントをやっていた。漢字で書かれた簡単な文章を、ひらがなで書く、といったものだった。簡単に思われるかも知れないが、半分も正解できなかった。

このときからわからない言葉や出てこなかった言葉を、看護師さんやセラピストさんに手伝ってもらいスマホのメモに保存して、見返すようにした。
今見ると、
右みぎ
親おや
落書きらくがき
注意ちゅうい
といった簡単な言葉がわからなかったんだと気づく。

この日は子供達とビデオ通話で話すことができた。急性期病院では子供は面会できなかったため、画面上でも約一週間ぶりだった。
安心なのか寂しさなのか、上手く話せないからか、情けなさなのか、何かわからない感情が溢れてきた。涙がどっと出てきたが、子供が心配させちゃいけないと思い、結果笑いながら泣いていた。

その後LINEでお金や仕事についての心配事を妻に相談したりしていた。当時のLINEでもまだまだ日本語はおかしいが、妻が気を回してくれたおかげで会話が成立していた。

5月15日
装具と呼ばれる関節の動きを補助する道具を付け、支えられながら、手すりを持って歩く事に成功する。腕は電気刺激を与えてもらうも、無反応だった。
この日は子供たちの運動会があり、写真を見ながら号泣していた。恐らく子供達より僕の方がめそめそして寂しがっていたに違いない。

5月17日
看護師さんやセラピストさん達に挨拶をして、急性期病院を退院した。二週間近くお世話になって、色々話したはずなのに一人も名前を思い出せなくて、移動中の介護タクシーの中で凹んだ。これから会う人は、メモに残しておこうと決めた。

顔はしっかり覚えてるので、落ち着いたら必ずお礼に行こうと思う。

15分ほど介護タクシーで走った。二週間ぶりの外はいい天気で、暑く眩しかった。ほんの二週間前まで、子供と散歩した道、歩いて飲みに行った店、よく行ったコンビニ、何もかもそのままなのに、自分だけ変わってしまった。そんな事をぼんやり思っていた。

この体が今後どうなるかわからない。ただ今はこの回復期病院でリハビリするしか道はない。

急性期病院の皆様、本当に、本当にありがとうございました。

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