「足枷」

私は…とある体質持ちだった。
というより今でもそうなのだ、
この体質が7から8割を占める内向的に
なってしまった大きな要因になる。

ではその体質とは何なのか?
「PATM」という体質だ。

大まかな症状としてはその体質の人が
電車、エレベーター、抗議室、ライブ会場
などに居ると周囲の人には
目が痒くなる、鼻水が止まらないなどの
症状を引き起こさせる訳だ。

こう言われると体臭の悩みのように
思われるが、体臭の場合だと鼻を手で
抑えたり鼻をすするなどの行為が
あったりする。

そして私は「ストレス臭」も持っている。
この2つによって私は大きく人生を
狂わされたのだ。

私は恐らく元々神経質な性格は
持っていたのだろうと思う。
それが千葉に引っ越して来てからだ、
最初は悪い宗教に入っている親の子と
仲良くなったのが大きな原因。
それから運の悪いことに中学で2年間
一緒になる肩に三角定規を刺した
マイルドヤンキーに転校早々に目をつけられ
傘で顔をつつかれたりもした。

それと変に社交的でおおらかだったのが
災いして家をたまり場にして友達を
よく呼んだ、それも大きな要因。

家に勝手に入られたり物色されたり
遅くまで帰らなかったりで酷い目に合い、
それから人と「遊ぶ」行為に一種のトラウマ
が植え付けられたのだと思う。
一定ながらも変な癖があるガキも多かった、
猫を〆たり股間を押し付けて
「加え」させようとしてきたのも居た。

こんな奴らばっかりだった。
そりゃあ神経質な性格が強くなる訳だ

それから小学校5年くらいか?
家に人を呼ばないようにしていたのが
噂をどこから聞いたのか押し寄せて来たり。
親戚のおじさんから貰ったギターの
弦を壊された時は本当に泣いた。

中学に入ってソフトテニス部になると
気まぐれにできた友人がいた、
そいつも馴れ馴れしくてトラウマになり
笑顔が気持ち悪いと言われた辺りから
手汗や胸焼けのような症状が出始めた。

部活を辞めたのも束の間、そいつは
噂を聞いてか家に押し入るようになった。
今のいじめは本当に酷くなってる、
ラインや学校とかの枠を越えて
家に強盗紛いの行為をしてくるんだ。
経験者として私は言わせて貰う

そして中学2年になる。
この頃から体臭の悩みが出始めてきた

リセッシュやダウニーとかの消臭スプレーを
掛けたり風呂にもなるたけ浸かったり、
長くはなかったがよくランニングしたり
それでも効きが悪いのか、
隣の女子から臭いと大声で
泣かれることが多かった。

体臭というのは意外と緊張すると「強くなる」
教師が注意すればいいのに自習の時間に
三角定規のヤンキーが私の後ろに来て
消しゴムのカスを投げつけられた。

地獄だったとも、終業式の練習や
終業式終わり。クラスで体育館に集まって
ランニングしてた時。
まるでお笑いでハリセンでぶたれるように
蹴ってこられた。みんな笑うか無視、
地獄の中学刑務所時代と呼んだのも
そりゃ相応しいに決まってる。

それでもなんとか受験勉強をして
偏差値45くらいの高校に入った。
1年目も中々酷かったがそれでも輝いていた
私だったので1年目は省いておこう。

問題は2年目だった。
クラスが文系と理系に入れ替わり
だいぶ中の良かったメンバーと離れて
もう胃と心臓が落ち着かないような
クラスに来てしまった。

それから前年に入っていたバトミントン部の
在籍中に患った椎間板ヘルニアで
3ヶ月ほど引きこもってからの2学期。
ある日スクールバスで思いっきり
私の体臭をからかわれてから記憶がない。

本題に入るがこの時点でストレス臭と
PATMの症状が出ていたんだなぁと思った。

早熟な性格なのもわかってくれただろう?
だが長年引きこもっても消えはしない足枷が
私にはついてしまった。2つ話す。

ひとつはやはり私の体臭による「知名度」

高校の通学当時からやけに私を見てくる
奴らが居るなぁとそんな感じだった。
それが確信に変わったのは成人式帰宅後の2017年。面識のないガキだったが
明らかに私をつけてきてそれで「臭くね?」と
喧嘩を売ってきたのは確かだった。

そう…最寄り駅が安定しない。
なるたけ電車やバスを使わずに
自転車を頻繁に使うようになったのは
それが理由だ。

幸い私の名前を検索を掛けても関連項目に
出てはこないが恐らくラインとかで
「マーク」されているのは確かだと思う。
地元の高校生のスマホを見てしまうのは
そういった理由があっての事だ。

ふたつめはやはり「耳」を中心とした過敏症状

家さえ平和ならいいのにサイコパスな兄の
せいとリビングを引き戸を隔てただけの
「自室」のせいで気持ちよく寝れることは
できなかった。

考えてほしい、
高校の授業も終わった。部活も終えた。
委員長の責務も果たした。疲れた。
家に帰って寝よう……
それで引きこもりの兄がゲラゲラと
寝る時間を狙って起こしてくる。
朝の6時には起きて準備しなきゃならない、
親は注意しない。考えてみろ?地獄だ。

引きこもってもそれは変わらない。
皆何かしら自由じゃない物がある、
時間とか体の部位とかアレルギーとか、
私の不自由だった所は「行動」だ。
歌うことも好きだしサッカーもこの数年で
好きになった。他にも広く浅く学びたい知識
もあったさ。当然好奇心も……

でもそういう関係といつか来るのは
「密室」で語ったり学んだりする時。
みんな無差別に私の前で態度を現す、
「咳」と「鼻すすり」で。

誰だって成長する時は来る、
サザエさんのカツオやドラえもんののび太も
ずっといじられキャラな訳がない。
だが私に限っては例外だ、
成長したのに咳も鼻すすりも辞めやしない。
東京生まれは伊達じゃない、
最低限の礼儀のない奴は嫌いだ。

3年前のある時電車で隣に座っていた女性が
酷い鼻すすりをしたあまりに
降り際に暴言を吐いてしまった。
部屋はイヤホンなくては暮らせないし
集中力が本当になくなってしまったし
誰もいない空間を愛するようになったのも
それが理由だ。
地下室、レンタルガレージ、
キャンピングカー。私だけの「要塞」探し

顔はいいのに何で彼女や異性関係が
ないのか?そういうことだ。
裸で優しさを見せつけ合える訳がない、
とても難易度が高すぎる。

ただ後悔していることも当然ある、
こういったストレス臭やPATMなら
特異な体質としてどこかの研究材料に
なったりしないのか?ダメだった。

残念ながらあくまでも「体質」だ。
PATMなんて自費で高額な検査を受けて
やっとそれかもしれないとなる位だ。
考えようによっては「病気」なのに
当然苦しいものではないから
病気扱いも処方箋もない。
入院も通院もする必要はないし
補助金も当然でない。

世界仰天ニュースで数年前に
やっと取り上げてくれたがそれだけだ。
ここまで人生を狂わされたのに
まるで「加害者」扱い。
声を大にして言いたい、私は「被害者」だ。

数年前までタバコは吸わなかったし
お酒もほぼ飲まなかった。
歯も10分以上磨いて冷水シャワーもして
月2万円の貴重な小遣いを貯めて
禁欲主義にもなった。
実家に居ながら自分の洗濯は自分でしている

そんな日々だったがこの数年で
大きく変化したことがあった。
そう、「コロナ禍」だ。

みんながマスクを着けてくれればいいのにと
願ったのがまさか叶ったのだ。
疫病神に愛されている私にとって
こんな千載一遇のチャンスはなかった。

だがその頃平行して行っていた越谷生活は
残念ながら上手くはいかなかった。
せいぜい軽い自炊や洗濯術など、
より自制と自活を磨いただけだった。

そして今に至る。
悔しいとも…私は本来行動派なのに
行動を抑制させる大きな「足枷」が
ついてるのだ。
ネットで転売や紙芝居劇をして儲けている
連中には腸が煮えくり返る。
私こそその立ち位置に居るべきでないのか?

こんな修羅の経験を幼い頃から味わったのに
経歴にも載らない苦痛が分かるだろうか?

面識のないはずの人間が襲いかかってくる。
部外者はきっと元から何かあったのだろうと
他人事のように思うかもしれないが
内情はこうなのだ。

どこのコミュニティに行っても
除け者にされて当然思えてくる。
私なんていなくなった方がいいと、
それでもこんな経験はそこらの凡人には
味わえはしないはずだ。
こんな波乱の人生を経て死んでいい訳がない
そう思ったがやはり咳と鼻すすりが
私に対する素直な評価だ。

本当に味方が分からなくなってしまった、
どうしたらいいのだろう?

そういう気持ちでこの文を託す。
戦争も終わり、銃の自由な発砲と所持を
禁止されているこの国で私は退役軍人の
ようなショッキングな数々を味わった。

何を憎むべきか?
何が悪いのか?社会か?

仮に全ての苦しみから解き放たれても
世間と甘やかされた人間を睨む目は
消えやしないだろう...









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