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未知との遭遇、将来への布石


The opposite of courage in our society is not cowardice, it is conformity.
(社会における「勇気」の反対は、「臆病」ではない。「迎合」である。)
ロロ・メイ(Rollo May)
(20世紀 米国の心理学者。1909~1994)


こんにちは、システムデザイン研究所(SDL)のともです。

 10月になり秋を満喫できる時期になりました。スポーツ、行楽、グルメ、芸術などなど、「〜の秋」と言われることがたくさんあり、皆様忙しくされているのではないでしょうか。嬉しい悲鳴が聞こえてきます(笑)。

 さて、外国人の方を国内津々浦々で見かけます。観光で来られたのだなあと思う一方、そういえば既にお住まいの方も多いなあとふと思い、日本の人口動態について調べてみることにしました。令和2年国勢調査の結果*によると、⽇本の⼈⼝は、2020年10⽉1⽇現在、1億2614万6千⼈で、2015年から94万9千⼈、率にして0.7%の減少とのこと。この減少数は、2020年の⾹川県の⼈⼝(95万⼈)とほぼ同規模なのだそうです。
もう少し踏み込んでみましょう。⽇本⼈と外国⼈の⼈⼝のそれぞれの推移をみると、2015年と⽐べ、⽇本⼈⼈⼝が178万3千⼈減少(1.4%減)する⼀⽅で、外国⼈⼈⼝は83万5千⼈の増加(43.6%増)となっています。⽇本⼈は2010年から引き続き減少し、減少率も拡⼤が続いている中、外国⼈は増加が続いています。総⼈⼝に占める外国⼈の割合は2015年の1.5%から2.2%に上昇しており、特に2015年から2020年の外国⼈の増加率(43.6%)は、近年と⽐較しても、⾼くなっています。
先ほどの人口増減の例えと合わせて考えると、2020年の佐賀県の人口(81万人)以上の数の日本在住外国人が増えたことになります。
 マーケティングの世界で言われているアーリアダプター期というのは全体のうち2%くらいを占めた時のことを言うので、それになぞらえれば、日本国内に外国人の方が移り住むようになるトレンドはアーリーマジョリティ期と呼ばれる次の段階に差し掛かったと言えるでしょう。

 さて、これだけ多くの外国人(もはや外国人という表現すらもおかしいのですが)の方々が日本国内に住まうようになって、私たちはこの機会をどんなふうに感じているでしょうか。私自身、日本生まれ日本育ちながら既に20年以上アメリカに住んでいることもあり、伝統と確立された文化がある日本と多民族国家アメリカで体験したことをもとに、日本での「外国人」との付き合い方について類型化をしてみようと思います。

知らんぷり

 「外国人=怖い」という感覚を持たれている方はかつて少なからずいらっしゃったのではないでしょうか。大きくて、言葉がわからない、表情が読めない、そもそも何を考えているのかわからない、攻撃してくるのではないか、などなど。江戸時代にペリー提督が浦賀沖に現れて、黒船襲来なんていう感じとも繋がります。
そんな方がとりがちな態度の一つは知らんぷりです。そもそも視界に入っていないように振舞えば怖い目に遭わずにすむ、とでもいえば良いでしょうか。かなり防御的な手段だと言えそうです。
ただ、この知らんぷり戦術は、「外国人=自分の知らない人」と置き換えて考えてみると誰しもこの感覚がゼロではないということにも気がつきます。自分の知らない人には近づかない。ただそれだけのことかもしれませんが、その理由を自問自答して、言葉や容姿の違いで正当化しているということもあるでしょう。

お客様扱い

 「おもてなし精神」で外国人観光客に接していきましょう、ということで、色々なガイドブックが提供されています**。かつては、外国人お断り、と書いた看板を結構目にすることがありましたが、政府や地方自治体、そして観光産業に関わる方々のご尽力もあり、日本は外国人観光客にとって居心地の良い国になったようです。私の友人も「日本で体験したことはすべて楽しかった。また訪れたい。」と口を揃えて言ってくれます。いいことですね。
ただ、こうした先に出てくるのは、より長期滞在をしたいとか、もはや観光客としてではなくもっと日本のことを知りたいと思う人との関係です。
旅先と生活する場所との違いと言ってもいいでしょうか。ここにはまだえも言われぬ溝があるようです。ただ、スポーツやサイエンスなど特化した分野では共通言語が多いことも手伝ってうまく行っているケースもあります。助っ人外国人と呼ばれることが多いプロスポーツの外国人選手や、海外から招聘された学術研究者などはその例です。

同化を迫る

 意外とこれが多いと思います。例えば、「もう少し長居したいと思うのでよかったら居候させてもらえませんか?」などと聞かれて家に滞在してもらうことになり、自分の日常生活の中に外国人の方が入り込んでくるようになると、難儀なことに遭遇したなんていう経験をした方もいらっしゃるかもしれません。また仕事の上で日常的な取引で出てくる慣習や言葉についてもなかなか外国人の方にわかってもらえないなあと思うこともありそうです。最初のうちは、箸の持ち方や食事の作法といったハウツーものが説明の対象なので比較的簡単なのですが、よりコミュニケーションを図っていくうちに、部分に分けて説明がつけられないような事態に遭遇することになります。例えば、商談や会議の席で、「あれはアレしときましょう」とか「よしなに」なんて話し合っているところに立ち会った外国人は、「今、どういうことが話し合われたのですか?合意したのだとしたら、何を合意したのですか?」と聞くことになります。これに対して、こんなふうに答えることになるのではないでしょうか。
「Aさんもよく日本のことをわかってきたと思うけれど、なんていうのかなあ、これまで培ってきたこと、というか互いの信頼と了解を持って、お互いにちゃんとやることになったのだよ。」
わかったようでわからない、この感じの中で、外国人の方は納得というか了解をしていくことになります。

真に多様に

 私が最近そうだなあと改めて思ったのは今まさに遭遇している組織での経験からくるものです。それはアメリカ東海岸にあるアーリーステージのテクノロジカンパニーで、現在は15人くらいの会社になりましたが、私がプロジェクトに参画した頃は私を含めて4人でした。その会社、イラン人、ドイツ系アメリカ人、インド人、そして日本人の私。いやはやミーティングをしてもそれぞれがそれぞれに勝手なことを言うので、話がまとまるのか実に不安になります。ただ、この会社の良いところは、黙っていてはシンクロしないということを全員自覚していたことにありました。ほぼ全員がPh.D.を持つ極度に理系な集団であったことも影響しています。どんな話をするにしても、自分が納得しないと、「なぜそういうことになるのか、その理由を教えてくれ」と互いに問い合わせあうわけです。私も日本をはじめアジアの企業と取引をするときに意識すべきことや、カルチャーの違いなどについて何度も聞かれては、それを言語化して伝えることに努めました。そうした会社のカルチャーは今も続いていて、社員数が増えた今でも、未だに「なんで?なんで?なんで?」という質問がそこらじゅうで巻き起こる会社です。この会社は現在、日本やアジアの会社と取引を進めていて、ミーティングのたびに対面にいる担当者の方々に「なぜですか?なぜそう思うのですか?なぜ、なぜ、なぜー!」と謎々攻撃をしています笑。
このプロセスはなんとも面倒臭いと思うこともあるものの、「暗黙知が形式知に変換される」瞬間に立ち会うこととも言えます。

より豊かに過ごすための選択

 さて、日本という国をシステムと考え、そこに住んでいる人をステークホルダーとして捉えてみましょう。このシステムを構成しているステークホルダーが急激に変わってきています。そんな中で、これまで、あるいはこれまで以上に豊かにそして平和に楽しく過ごせる国を維持していくというのは、そう簡単ではないことは想像できるのではないでしょうか。「簡単ではない」と切り捨てるのではなく、ダイナミックに変わっていく国をモデル化しながらその中のステークホルダーの一人としてその一翼を担う、というマインドがあったらなんとなくワクワクしませんか。今日の話で取り上げた、外国人の方との付き合い方は、そうしたシステムの中の一側面であると思うのです。
 私は日本が大好きです。生まれ育った国が自分の好きな国であるということはとても嬉しいことです。一方で冒頭に触れたように、日本の人口動態はデータが示している通り大きく変わっています。そのような環境の下、これまで以上に豊かに生活をしていくことを考えてみたときに、隣人となった外国人の方々とどんなふうに付き合っていけば良いのか見直してみてはいかがでしょうか。
 "Welcome to Japan!"と外国人の方に声をかけたことのある方も結構いらっしゃると思います。そうした体験はより日常化し、そう遠くない日に、その声かけは、新たな隣人への「おはようございます」の挨拶につながっていくはずです。

*令和2年国勢調査 -⼈⼝等基本集計結果からみる我が国の外国⼈⼈⼝の状況-
**例として、外国人客おもてなしガイドブック 宿泊業編 日本政策金融公庫

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