収集癖のお話

収集癖の話

以前そして依然若年層の女性の間ではプリクラが市民権を得ている。プリクラが始まった当初、私はデジカメが流行るのではないかと大いに思っていた。そしてスマホが一斉に普及してカメラ機能を充実させてゆくほどに、プリクラは無くなるのではないかと思っていたが、あにはからんや依然存在し続けている。2次元データとして蓄積される写真とは違い、プリクラは2.5次元の産物と言っても良いもので、対象を2次元の手法で3次元の紙に再現したものだ。一体何が、どんな欲求がプリクラを求めているのだろうか?近しいと予感させるものに証明書写真の出来栄えに不満足な女性の意向というものがある。化粧というものも3次元の顔という場所に、極めて2次元的な陰影を施すという行為であり、洗顔することで落とすことができる、つまり描き直すことができる装飾ということになる。
女性の場合は永遠の美というものでさえ、実は永遠ではないことに勘付いているのではないのかと、その野性のカントでもいうものに慄いてしまうところがある。

翻って男性は、手に取れるものに価値を見出し続けてきた。故に人形収集癖があるのは、恐らく男性であろう。

女性は常に現在に根ざした意識を持っているので、過去の自分の姿にはこだわりたくないという気持ちが強いのだろう。今が綺麗であれば良いわけで、少女時代の自身の容貌などには全く興味を示したくないのだろう。
その時に納得できる最高に装飾された地震の容貌にのみ、興味があるので、プリクラという装置に求められるのは、背景も含めた装飾全般であるのだろう。美白・目ぱっちりなどという機能も重要なのだろうが、現状からあまりに乖離していれば、それは拒否するという不思議な自意識も内包しているわけだ。とりわけ日本人は、美容性毛に関して嫌悪感を露わにする。つまり日本人は真贋に関する意識が異常に高いわけだ。
これは己のアイデンティティが、あくまでも現状の自身に起因していると言う立場であり、そのための労力を日々大いにさいていることへの自負でもある。そういった事情はハレの自分は化粧をしプリクラで撮影変身した自身の容貌も一時的なものであると容認させるのである。
最高に良く出来た容貌の記録は、むしろ褒めるべき誇るべきものなので、彼女たちはそれらを収集することに疑問は抱かない。そして機械が勝手にやってくれたと言う事実も、自分の関与が少なく、本当の自分の一面であることを自負できるからプリクラというものは大いに受け入れ続けられているのであると考える。
例えばデジカメで撮った画像データを、編集ソフトで修正しまくり納得のいく画像に出来たとして、そこには自身が関与し過ぎているため、他者に見せることが憚られる気持ちになる。しかしプリクラが処理してものであれば、自身の関与が少ないことからまたプリクラで撮ったといえば、ある種の共通認識で多少の修正は許容されているため、自身でデータを修正した時よりも観た人も修正の度合いを揶揄することも少ない。
このように2重に自尊心が保護される可愛い写真がプリクラというものなのだ。
決して3次元的な商品である必要はないわけだ。恐らく女性は自分の3Dデータからフィギアができたとしても、収集などはしないであろう。そもそも自身の体型にコンプレックスを抱く・つまり理想の体型を考えている女性が多いため・女性が大半なため、手軽な化粧よりも時間と労力を必要とする全身図を欲しがる女性はいないだろうと思われるからだ。

しかし男性の場合は、かなり異なる反応を見せるであろう。対象が自身であったとしてもだ。男性の方が自虐ネタを面白がる傾向が強い。これは自分が望む価値観の重心がどこにあるのかと言う問題だ。多くの男性&男は容姿よりも実績や能力に価値観のウェイトを置きたがる。女2はどうかといえば容姿>能力>実績というベクトルだとも言える。更には容姿は能力の一部であり、実績の一部でもある。包括した要素としての容姿という概念が、女女にはある。

トランスジェンダー男性(身体的には女性だが心は男性)を主張する人は、この容姿の(立ち居振る舞い・一般的嗜好)しばりを嫌悪するあまり、男になりたいと考えているのかもしれない。


勿論男性アイドルのフィギアならば、女性は欲しがるかもしれない。

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