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映画[あちらにいる鬼]

寂聴ファンとして見逃せない。晴美時代の作品から愛読し当然彼女の生い立ちについても知っていた。寺島しのぶさんが寂聴尼を演じる、はじめはピンと来なかった。私のなかで小柄な寂聴尼と一致しなかったから。
しかし劇中、寂聴尼のお顔とオーバーラップする瞬間があり驚いた。

この映画、兎に角、よくぞこの配役にしてくれました!豊川さんはどこまでも女たらしで寺島さん演じる みはるは、女として性に貪欲で、広末さんは一見、ものわかりの良い妻。

初めて会った女に”君を占ってあげるよ”なんて、もうもうジゴロ!その後、作品の参考に、という言い訳?の元に男を訪ねる女もまんざらでもない様子。そんな二人を見て、瞬時に不穏な未来を察知する妻。

みはる以外にも、あちこちの女に手を出す男。勿論、妻もみはるもそんなことは承知。
手を出した女に自殺未遂はされる、突然家に訪ねてくる人妻に右往左往する男はどうも綺麗な別れ方が出来ないよう。
それが、後日みはるの出家へと繋がる。

3人の役者、とても素晴らしかったけど私は特に広末涼子さんの演技にグッときた。

眼差し。

まだ関係を持っていない二人の未来を察知する眼差し。
そして剃髪した寂光を見送るあの眼差し。
仏門に入り俗世と(性と)縁を切った寂光に対してのあの眼差しは、なんだったのだろう、と考えざるを得ない。
同情?憐憫?あるいは友情にも似た感情?同じ男を愛した同士としての繋がり?もしかして自分には出来ない(男を切れない)ことを達成したみはるへの応援?

自分だったら?

寂聴尼に対しては”夫と子供(までも)捨てた女”として今でも批判する声も聞く。批判する側としてはどうやら”そんな人間が偉そうに説法してる”という主張のようだ。

が、私は聖人君子などよりも(そもそもそんな人は存在するのか?)そんな修羅を体験してきた人の話を聴きたいと思う。
人ってそんなに、倫理的に生きられるものなの?感情が、倫理やルールを越えることってよくあることじゃない?越えられない感情なんか、なんと味気ない人生じゃないの。

久しぶりに素晴らしい日本映画。


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