小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第37話

2月6日 火曜日

朝は乳酸菌入りビスケットとヨーグルトだった。
乳酸菌入りビスケットはもう飽きて食べたくなくて、ヨーグルトだけもらってくる。
私以外にもこっちだけ、と言っている人もいた。
まだ先が見えないので、いらないものはいらないと言えるようにならないと、だんだんしんどくなってくるだろう。

能登半島地震瓦版という紙がおいてあった。
高齢者向けの返済特例がのっていたので、父に見せようと思って持ってきた。
災害で家をなくした高齢者は、融資を受けるのは難しいが、
この特例の場合は、融資を受けると返済は月々の支払いが利子のみで、
亡くなった時に、土地、建物を売却して一括返済する制度だと言う。
今は時間がないので、夜に父に渡そう。

在宅勤務をするために、家に帰った。
今日もまだ集中はできず、ふわふわしている。
それでも、少しずつ仕事を進めていく。

昼は避難所に戻る。
戻るのがちょっと遅かったので、行列の一番最後になった。
ちょうどガラスの引き戸のところに立っていた私の横を通りぬけようとした人がいた。
玄関の入り口は二つあるので、こちらを通らなくてもいいのだが、
もう一つは締め切りでもないのに、締め切りという紙がはったままになっているので、こちらを通らなくてはいけないと思ったのだろう。
私は脇にどいて、すみません、とその人に行ったのだが、私の前に並んでいた女の人が急に振り向き、前にどうぞ、と言った。
私の言った「すみません」を勘違いしたのかもしれない、と思い
「いや、大丈夫ですよ」といったのだが、「どうぞ」といって譲らない。
その言い方があまり友好的に感じられなかった。
「何で譲るんですか?」と聞いたら、「スタッフなので」と言った。
この避難所では、いつもみんなに配った後に、放送があって、スタッフがとりにいくことになっている。
私一人に譲って、なんの意味があるのかと言いたかったが、けんかになりそうだったので何も言わずに先に並んだ。
多分、私がイライラしたのを向こうも気づいていただろう。
元々、こういうのは気にするほうなのだが、精神的に余裕がないからますますつらかった。
ご飯をもらうだけなのに、もめたくない。
上手く対応できなかった自分が悲しい。
弁当にはご飯、キャベツの胡麻和え、みかんの半分が入っていて、別に豚汁がついていた。
普通のご飯が嬉しかったが、さっきの件があって、気分は落ち込んだままだった。

午後の仕事中に髪が伸びてきているのが気になった。
私はいつも、ショートかボブにしている。
いつもならもう切ってもいいくらいになってきていた。
だけど、美容師さんは集団避難をしている地区の人で、おまけに美容院のあるビルは、外から見ただけでも半壊以上に壊れている。
そこは賃貸だと聞いていた。だからどこか別の場所で再開してくれる可能性はある。
美容師さんとは20年くらいの付き合いで、だいたいこういう感じ、といえばわかってもらえたし、10歳以上年上だけれども、話をしていて楽しかった。
いないからといって、他の美容師さんのところに行く気にはなれない。
いつ、会って髪をカットしてもらえるのだろうと思うと、泣きそうになった。

仕事にはまだまだ集中できなかった。
今日も簡易トイレを使った。便座にかける袋に便器の底の水がついてしまった。なるべくつかないようにセットしたい。

避難所に戻る前に、ふと思いついて少し発声練習をしてみた。
高い声がかすれた。以前なら出ていた高さだ。
コロナの後遺症だろう。ソプラノはもう無理かもしれない。
私のような初心者にはソプラノは一番簡単だと思うが、亡くなったKさんのいたアルトに変えてもらったほうがいいのかもしれない。
合唱団の他の人も元気にしているだろうか。
その時ふと、不安に思った。
合唱団は存続できるのだろうか?
このまま無くなってしまうのではないだろうか?

晩御飯はご飯とおでんだった。
大根、ちくわ、こんにゃく、ごぼう天、たまごが入っていた。
私はおでんが好きなので、栄養はともかく、嬉しかった。
息子はおでんはあまり好きではないと思っていたが、おかわりをもらっていたのが以外だった。普段はゆで卵も食べないのに。
家に帰っても食べてもらわなくては。

新聞に、新幹線延伸による二次避難者の「たらい回し」の件がのっていた。
新幹線延伸はずっと前から決まっていたことで、二次避難させるときに
わかっていたことなのではないだろうか。
3月にはもう二次避難している人はいないつもりだったのだろうか。

ネットニュースに、NHKのアナウンサーの津波の時の声が話題になっていた。その言い方が、強い口調だったので、よかったとか悪かったとか言っている。
その時、我が家は停電になっているので見ていない。能登半島地震の時に、停電になっていない家はどれだけあっただろうか。
被災していない人よりも、被災した人が実際にみて、どう思ったかが大切なはずだ。
その放送を見て、津波から逃れられた人がいるなら、それでいい。
これから検証するようなので、より良いと思われるようにしてほしい。
その女性アナウンサーは以前、金沢放送局にいたことがある。
夜のニュースで見るようになって、出世したんだなーと思っていた。
石川に縁のある人だから、きっと一生懸命にやってくれたんだと信じている。

父のところに、能登半島地震瓦版を持っていき、融資について話していると
放送がかかった。
明日、段ボールベッドが届くので準備をしてほしいということだった。
にわかに周りが騒がしくなった。
私も体育館にもどり、荷物をどうするか夫と相談して、息子とも話した。

夜、寝ようとしたが、すねがひどくかゆかった。
靴下が合成繊維のせいだろう。地震前から合成繊維の肌着を身に着けるとかゆくなる体質なのだ。
それに乾燥と不衛生が重なっている。栄養不足も関係しているかもしれない。
とりあえず保湿ローションを塗った。

足がかゆいせいか、全然眠れなかった。
ふと、避難所ガチャに反応していた人たちはもしかしたら地震経験者なのかもしれないと思った。
そんなの当たり前、私たちも我慢した、贅沢いうな…
他の問題でもみられる構図だろう。
それは問題を「たいしたことではない」として固定してしまう危険がある。
我慢強いのはいいことだと言われるけれど、我慢することと、言うことは別だと思う。
黙って我慢する、言いつつも我慢する、どちらも我慢だろう。
困っていることを市や県や国に伝えるにはどうしたらいいのだろう。
避難所の運営本部に言うのが、一番簡単で手っ取り早いだろうか。
避難所単位で意見を集約してもらうことで、個人で言うよりは力を帯びてくるだろう。
でも、どの程度のことを言っていいのか、わからないような気もする。
さじ加減が難しい。


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