小説 (仮)被災者になるということ~能登半島地震より 第30話

1月30日


朝ご飯の放送があったので、玄関前の駐車場に向かった。
関西から来た若いお兄さんたちだった。
声が大きく、とても元気だ。
しかし、吐く息が白い中、行列につかないといけなかった。
ご飯が炊けるのが追い付いていないのだ。
朝から、そしてこの寒さの中で、年寄りを並ばせて倒れないか心配になる。
私の前の人はコートを着てなかったので、取ってくるといって、
戻っていった。順番を取っておいてあげた。
おにぎり二つと味噌汁が一人分で、三人分をもらった。

もらったおにぎりは大きめで、お米には芯があった。
味噌汁は今までに食べたことがないくらい塩辛かった。
インスタント味噌汁だって、こんなに辛くない。
夫は飲めたものじゃない、と言った。
炊き出しをなめているという気持ちになった。
もらったものに感謝しないといけないのかもしれないが、とても感謝できない。
おにぎりが大きかったせいなのか、芯があったせいなのか、胃にもたれた。
無理しないで残せばよかった。

上司から社内の片付けをするので、出社できるかどうか電話で聞かれた。
午後から出社すると伝えた。
とうとう出社しなくてはいけなくなった。
憂鬱になった。

午前中は家で片づけをし、昼は近くのスーパーで弁当を買った。
炊き出しは通常12時からだが、遅くなることが多いので、1時に出社するためには、間に合わない可能性がある。
スーパーもトイレは使えない。
トイレを使うために、いったん避難所に戻る。
早めに避難所で弁当を食べ、少しうとうとしてから出かけた。
昼の炊き出しは牛丼チェーン店だった。このチェーン店は能登にはない。
能登にないのに、来てくれるのはありがたい。
やはり行列になっていた。
仕事でなければ、もらっただろう。

会社の駐車場付近が、道路の修復のために通行止めになっていた。
道路の修復、緊急解体工事などで通行止めになるのは、良くあることだった。
仕方なく、近くの社会福祉協議会の駐車場にバックで下がって、方向転換しようとした。
その時、ガシャンと金属と金属のぶつかる音がした。
駐車していた車にぶつけてしまったのだ。
相手の車は前のほうが少しへこみ、私の車のほうがへこみがひどかった。
とりあえず、社会福祉協議会の建物の中に入って、その車が誰のものか聞いたら、社用でリースしているものだと言われた。
男の人は、車を確認し、警察を呼んだので、警察の来るのを待った。
今年は免許更新なのに、これでゴールドではなくなるのだろうか。
警察がきたらどうしたらいいのだろう。
犯罪者という言葉が頭をちらついた。
社会福祉協議会のUさんという女の人は一緒に警察を待ってくれた。
会社には事故を起こして遅れると電話した。

警察署からそんなに遠い場所ではなかったが、警察がくるのに15分ほどかかった。
20代と思われる警察官が2人だった。
免許証と車検証と自賠責保険の書類を見せた。
事故の起こった状況を聞かれ、ベルトをしていたか(ベルトはしていた)、
ナビをみていたか(ナビはついていない、バックモニターがついている)、
携帯を見ていなかったか(見ていない)と聞かれた。
「携帯は、見ていません。」と言ったのが、警察官の何かに触ったらしく
急にネチネチと汚れたタイヤがスタッドレスかどうかを聞いてきた。
小学校の運動場に止めているから、タイヤの側面のほうまで泥が付いているのだ。
だけど、W市で1月にスタッドレスじゃない車なんてない。
「タイヤは汚れていますが、スタッドレスです!」とはっきり言いきった。
物損になります、と若い警察官は何の感情もこもらない声で言った。
連絡先の交換をするように言われ、住所、名前、車のナンバー、電話番号を書いた。
Uさんは福祉の仕事をしているせいかとても親切で、
道路がいつも通りじゃないし、仕方ないですよ、と慰めてくれた。

警察官も私がやろうとしたのと同じ方法で方向転換をして去っていった。

自賠責保険の書類に保険会社の電話番号があったので、早くかけたほうがいいのだろうと思い、海辺の公園の駐車場に車を停めてから電話をした。
自分の名前やナンバー、事故の起こった状況をまた説明し、さっき交換した相手の連絡先も伝えた。
担当者から2時間以内に連絡します、と言われて電話を切った。
この電話の人も親切だった。もちろん事故を起こしたばかりの人は気がたっているだろうから、親切にするのだろう。

やっと会社についた。
久しぶりに同僚と会ったが、男性ばかりだった。女性たちはW市を離れている。
みんな、そんなに変わらないようだった。今いるのは、家の被害が少なく、家に住み続けていることができている人たちだから、変わらないのかもしれない。
軍手が用意してあったので、軍手をして、床に落ちているものを片付けた。
ここでも割れた食器を片付けた。

作業中に保険会社の担当者から連絡があった。
100-0になるので、3等級下がって、35000円保険料が上がると言われた。
修理代が35000円より安ければ、保険を使わないという選択肢もあると説明された。
自分の車を直すかどうか聞かれたが、あまり直す気になれなかった。
自分の運転の下手さ加減がショックだったし、地震で窓ガラスが割れた車を頻繁に見かけたし、直そうにも直せないと思ったのだ。
もし、相手の車の修理代が35000円より高いのであれば、自分の車を
直しても、等級が変わることがないので、直すことも考えてみてはと言われた。
100-0となるのはわかっていても、告げられると精神的にこたえた。

会社も断水しているので、4時半まで片付けて帰っていいことになった。
来月から在宅で使う仕事の機材を持って帰った。

夜は白米とコーンクリームシチューとジャガイモの小袋のスナック菓子を食べた。

ネットで避難所のメニューが高脂質、高塩分と書かれているのを見つけた。その通りだと思った。
特に朝のような、塩辛い味噌汁が。

また今日もネットで何を買おうか見ていた。
まだ宅急便は配達できず、営業所受け取りのみだった。

今までの人生で一番最悪な日はいつだっただろう。
その日に比べたら、今日はましだろうか。
今日よりも悪い日を思い出せなかった。

人身事故ではないのだから、大した事故ではない。
人生に一度は事故を起こすというのだから、それがこの程度なら
まだましだろう。
そう思っても、精神的なダメージは大きかった。
人身事故を起こした人は、どんなひどい気分になるのだろう。

ぶつけたショックでほとんど眠れなかった。

7月21日 修正
朝の様子を少しだけ修正しました。

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