見出し画像

滝田ゆう ☆131

晩酌に、いつものウィスキーソーダ割を2杯飲みつつ、YouTubeで高橋竹山の津軽三味線など聴きながら、不意に、滝田ゆうの事を思い出た。

いや、たぶん、竹山→長部日出雄→滝田ゆう の連想なんだろうけど。

滝田ゆうは漫画家である。分かる人は50代より上ではないだろうか。テレビにも時々出ていたし、CMにも出ていた記憶がある。でも、本当に彼の作品に触れた人は今や希少かも知れない。私は大ファンだった。

1931年東京に生まれ、90年に58歳で没している。肝不全、酒の飲み過ぎである。昔の人はやたらと酒を飲んだ。夕暮れから夜明けまで飲み続けるのも珍しくない。私小説的な彼のマンガを読むと、新宿ゴールデン街にもよく顔を出して、そこで酒乱と変じている長部日出雄と飲んだりしていたようだ。

滝田ゆうの代表作は、なんと言っても『寺島町奇譚』全3巻だろう。

舞台は戦前、向島の玉の井にあった私娼街である(永井荷風『濹東綺譚』もこの辺りが舞台だ)。

これは、滝田ゆうの半自伝的な作品で、当時の彼は10歳くらいの子供だ。戦争していた頃の日本がどのような姿だったのか、とても良く分かる、今となっては貴重な資料とも言える。

滝田ゆうは下町の江戸っ子で、お母さんはまだ島田髷なのである。

「男はつらいよ」寅さんは、作中色んな場面で歌を唄う、歌謡曲やら童謡やら、日常しぜんに口ずさむが、

滝田ゆうのオヤジさんが唄うのは浄瑠璃なのである。「艶姿女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)」

♪今頃は半七さん。どこでどうしてござろうぞ・・・去年の秋の患いにいっそ死んでしもうたらこうした難儀はせぬものを・・・

これは、昔は誰でも知っていた文句で、

向田邦子はエッセイの中で、文具屋でペンの試し書きをする時、無意識に「今頃は半七さん・・・・」と書いているのである。

日本國寶級漫畫大師 瀧田祐生涯代表作《寺島町奇譚》

『寺島町奇譚』はだいたい1話完結で、名もない娼婦や、銀流し(実力が伴わないのに見栄を張ってカッコつける人)や、自転車に蒸し器を積んでホカホカのを売りに来る玄米パン売りや(浅草で時々見かける)、ベーゴマで遊ぶ子供達や、旅芸人の女の子に淡い恋心を抱いて『のらくろ』を貸してあげたり、東京の下町情緒溢れるストーリーが活き活きと描かれている。

そんな中でもだんだんと戦争の色は濃くなって行き、BARで働く滝田ゆうのお姉さんすらも和服からモンペに着替えなくてはならず、物資も統制されて人々の生活は圧迫されていく。

しかし、昭和20年3月10日の大空襲を受けるのだ。雨のように降り注ぐ焼夷弾の中を逃げ惑う人々、見慣れた街が、人が、つぎつぎに戦火に呑み込まれ、焼き尽くされるのだ。

あまりのエンディングに読んでいて震えた。

これは、夢ではない、物語でもない、本当に起こった事なのだ。これを体験した滝田ゆうは当時12歳くらいだろうか。

これは、言葉を尽くして語るよりも、実物を読んでもらう他ない。彼の見たであろう風景を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?