見出し画像

ざこば ☆99

ざこばは、雑魚場と書く。小魚や大衆魚を扱う魚市場の事をそう呼んだそうだ。

私は港町の生まれだが、実は、父方の祖父は魚問屋を営んでいた、なので、

父だけはぜんぜん違う仕事をしていたが、それ以外の親戚筋がほとんど魚関係の仕事をしているという環境で育ったのである。

だから、「ざこば」という名前には、何となく縁を感じるというか、惹かれるものがあった。

今日、温泉に行き(私の趣味で月7、8回くらい行く)、休憩室で休んでいたら、桂ざこば師匠の訃報が、テレビの映像で流れていて、その事を知った。

寝るための休憩室なので、大画面のテレビは無音に設定されており、文字放送状態なのであった。

ざこば師匠の高座は何回か見ているが、落語は残念ながら1度も聴いていないと思う。

枝雀の追悼講演会の時はプログラムにお題が出ていたのに、話し始めたら枝雀の思い出話になって、

「もう、こんな落語なんかやってられませんわ」などと言って、涙を浮かべながら枝雀に関する雑談で終わった。

その後、米朝一門の噺家が真打になる時など、ざこば師が付き添ってというか、口上を述べるため東京に来るのだが、そういう時でも自分の出番では雑談になってしまうのが常だった。

強烈なエピソードもあるが、師匠への冒瀆ともなりかねないから、ここでは控えておこう。

私が小学生から中学生の頃は、落語家としてよりも、テレビタレントとして売れていた。その頃は朝丸という名であったが。

「ウィークエンダー」というワイドショー番組はよく見ていたし、

その後の「ざこば・鶴瓶のらくごのご」は東京でも放送されており、よく見ていた。

今はYouTubeがあるので、関西限定の番組も楽しむ事が出来るのである。「そこまで言って委員会」辛坊治郎がやめる前は欠かさず見ていた。

まだまだお元気で活躍されていると拝見していたのだが。

師匠の米朝という巨大な存在と、枝雀という天才の偉大さに、自分は噺家としてどないしたらいいのかと、悩んだ事もあったと、高座で語っていた。

そりゃ、そうだよな、入門したのは良いけど、あの才能の塊の、2人の下では誰だって悩むだろう。

ざこば師匠の、半泣きの顔が思い出される。

先程は落語は聴いてない、雑談だけを聞いたと書いたが、本当は、雑談もあそこまでいけば、立派な落語なのである。

あれが、誰にも真似出来ない、ざこば噺なのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?