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刹那 ☆64

刹那とは、人が認識出来ないくらいの本当に僅かな瞬間の事である。

人間には意識があるが、それはずっと繋がっているのではなくて、実はほんの刹那のあいだ途切れている。意識がない、つまりは死んで居るのだが、

次の刹那には又、意識を取り戻すのである。

だから、自分は今までずっと連続して生きて来たと思っているけれども、本当は(仏教的には)生きて、死んでを刹那毎に繰り返しているのだ。

そんなバカなと思いますか?

けれど、そんなの当たり前じゃねえかと思って生きてる人達もいるのだ。

・・・・・ざわっ、・・・・

ざわ、ざわ、・・・・

『博徒黙示録カイジ』を読んだ事はあるだろうか?大人気の上に、既にアニメ、実写版映画にもなっているからかなりメジャーだと思うが。

この作品を、あらゆる漫画の中で1番面白いと評する人も少なくない。

カイジという青年は、これといって特長のない、そこら辺にいる普通の若者だ。頭は悪くないが、努力を何も重ねないで刹那的に生きて来て、安いギャンブルで勝ったり負けたりして日々を過ごしている。

ちょつとぼんやりしているカイジは莫大な借金を背負い、どうしようもなくなって、とうとう自分の命を賭けるような裏世界のギャンブルに身を投じる羽目になる。

しかし、窮鼠猫を噛む、火事場の馬鹿力、追い詰められたカイジは覚醒して、次々と強敵を倒し、命懸けのゲームをスレスレで勝ち続けるのである。

カイジは確かに面白いが、ギャンブルに嵌るのは圧倒的に男性が多いだろう、

賭け事を好むのは狩猟時代の名残りだろうか、本能に近いところで脳が刺激されてしまう。

征服者がエスキモーに酒とギャンブルを与えたら、彼らは忽ち堕落して狩りをしなくなり、無気力になったという。

自分の運命を、たかがサイコロやカードやパチンコや麻雀に賭けて、

丁が出るか、半が出るか、その瞬間生死をもてあそんでいるのである。

そりゃ、ドーパミンもドバドバ出まくる、止めてくれるなおっ母さん、

ジェットコースターより急上昇、急降下、

大勝ちした時は天国だが、大負けした時も地獄というより、極楽浄土を体験したように痺れるのである。

身を亡ぼすようなギャンブルをした人は、何度も死の淵を覗いたに違いあるまい、『カイジ』にもそのような描写は何度か描かれているし、本当に朽ちてしまうギャンブラーは珍しくない。

原作者の福本 伸行は、本当にそんな体験を何度もした人であろう。



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