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西遊記 ☆61

私は仏教系の幼稚園に通ったため、そこで教えられた影響は大かったと思う。理屈を習う前からお釈迦様が偉いと教え込まれたのだ。

そうして次は『西遊記』である。おそらく手塚治虫『悟空の大冒険』を最初に見ていたし、父が「世界の文学」でかなり本格的な『西遊記』を読み聞かせてくれた。

そのスケールの大きな物語は、子供の想像力を存分に楽しませてくれた。そこに登場する仙人、神々よりも猿の孫悟空は強かったが、彼もまたお釈迦様には全く歯が立たなかった。

あの物語のクライマックスは、実は前半部分の「大鬧天宮(だいどうてんぐう)」なのである。

斉天大聖が、天界にて神々の軍勢を蹴散らすのだ、

後の玄奘三蔵と仲間で取経の旅に出て、辺鄙な田舎街や山奥で、○○大王とか☓☓仙人と名乗る妖怪を何体、何匹倒したって、斉天大聖なら当たり前だという事になる。

やはり、天兵相手に大暴れする悟空がいちばん楽しいのである。

漫画で好きなのは諸星大二郎の『西遊妖猿伝』だが、これも最高潮なのは唐軍を敵に回して大暴れする所だろう。


天界で暴れまわる斉天大聖を誰一人取り押さえることかなわず、
最後は二郎真君と名勝負を繰り広げ、遂に捕まるのだが、この時点で悟空はそこら辺の神以上の力を備えているのである。

中野美代子の考察によると、二郎真君は李冰(りひょう)という人であり、治水の功労者で、後に神となった。それが紆余曲折の末に悟空となるのだ。

つまり斉天大聖vs二郎真君は自分と自分が戦っているようなもので、なかなか決着が付かないのも当然なのだ。

日本でも菅原道真公が天満宮の神として祭られたり、人が死後の神となるのは珍しくないが、中国も三国志の関羽が、金銭関係の神様になっていたりして、偉い人は神になるのだ。

『西遊記』の人気は高く、手塚治虫をはじめ、多くの漫画家がこれをモチーフとして作品を残しているし、堺正章主演のドラマもヒットし、その他人形劇など数え挙げたらキリがない。

けれど、私が気に入っているのは周星馳(チャウ・シンチー)監督の
西遊記〜はじまりのはじまり〜』である。この世界観は周星馳独特であるが、私の持つ『西遊記』のイメージに最も近い。


鳥山明が「銀河系最強」と太鼓判を押してるくらいの出来だ。(続編が他の監督で作られたが、やはりムリだった)

まだ見てない方には本当におススメしたい。


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