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Mリーグ最終戦 目無し問題について

 ※ボツにしようとした記事です。かなり後半まで書き終えていて、消すのももったいないので投稿することにしました。
 Mリーグと麻雀放送対局がない時の、みなさんの暇な時間の足しになれば幸いです。


 麻雀業界の永遠のテーマのひとつかもしれない目無し問題について。2020年の最終戦でも物議を醸し、その際はわせりんさんがnoteでどうあるべ気だと思うか考えを示しました。これによってひとつの考え方が示されたことで議論はまあまあ沈静化しました。今年の最終戦はどうだったのか?をあらためて振り返ろうと思います。

去年のファイナル最終戦のおさらい


 遡って去年のファイナル最終戦で起きたことをざっくりまとめます。
 去年のファイナルで目無しだった赤坂ドリブンズ村上さんは、自分がトップになるために最大限和了りを目指す打ち方を選択しました。具体的には南家東場の自分の親が終わった後も果敢に攻め、南場では逆転を狙っていた多井さんの親を内川さんに12000点直撃して飛ばし、西場では勝又さんに差し込んで内川さんの親を飛ばしました。これに対してネット上では「そこまでやるのか」「やり過ぎ」「邪魔するな」「面白くなくなった」といった意見が多く見られたとか見られなかったとか。
 それに対してわせりんさんが個人のお気持ち表明を書いたというものです。


 わせりんさんの意見を要約すると、・麻雀はどんな打ち方をしても誰かには迷惑がかかってしまうもの、・目無しだろうと自分の和了に向かうのがあるべき姿、・ルールによって規制するよりも選手みんなが当たり前にそれを選択を望む というものでした。

私の意見

 わせりんさんの意見は至極真っ当であり、確かに本来こうあるべきという理想を示していると思います。しかし一方で、客観的に考えると私はMリーグはまだまだこれが出来る段階には至っていないのでは?と思っています。
 例えばMリーグを麻雀でなくてプロ野球に置き換えるとします。とある世界線では野球がマイナー競技であり、その世界線で初めてプロ野球が発足されて4年目の状態だとしましょう。
 まだ発足されて4年目で、視聴者の半数は野球のルールも分かっていないとします。どんどん人気が上がってきていますが、未だに野球の見方に慣れていない視聴者もたくさんいます。その状況で、試合を優勝チームを決める決定戦、9回裏で逆転を狙う後攻チームの期待の星の強打者が出てきたとしましょう。
 この状況下で、「強打者に対してフォアボールで敬遠する」この戦術を、この場面で初めてやったとしたら、どうなるでしょうか?
 私が思うに、視聴者の意見がむちゃくちゃ荒れると思います。なぜなら、戦術も何も分かっていない視聴者からしたら、ピッチャー対バッターの正々堂々の直接対決が観られると期待しているわけですから。
 ちょっと例えがうまくいってない気もしますが、、Mリーグの現状がそれに近いものがあるように思います。ルール的に何も間違っていない、むしろ本気で戦うならフォアボールで敬遠するべきだ、と10年以上このマイナースポーツをやっていたわせりんさんが主張するのは無論正しいと思います。
 しかし、視聴者のレベルがこれに追い付いていません。かつ、現在の世界線の麻雀はまだ普及し切っている段階ではなく、「これから麻雀を普及させてく」という使命を、Mリーグは持っていると思っています
 その状況下で、一部の視聴者からしたらしらけるような選択をすべきか。さらに言えば、この例えの場合は優勝が懸かっているので、それでも敬遠すべきだと思いますが、村上さんの場合は優勝どころか入賞すら関わってきていませんでした。
 このように、何を重視するかによって捉え方は全然異なるように思います。ただこれはそもそもMリーグ機構が選手を守るために、規定を明確に示すべき問題であると思います。

 ちなみにこの当時、私がTwitterで観ている限り、この否の意見はまったく見られませんでした。おそらくAbemaのコメントでそのような否定が見られたのかなと思います。(Twitterではむしろ村上さんの打ち方が肯定に捉えられすぎて、逆にそこまで肯定すべきではない点(主に差し込みなど)もあるといった意見を目にしたかと思います。)ですので、私自体はこういう批判を目にしていないため、そういった層がどれくらいいるのかもよく分からず、見えない敵と戦っている感もあります。


今年のファイナル最終戦


 では今年の最終戦はどうだったか?KONAMI麻雀格闘倶楽部の滝沢さんがこの目無しの役を負うこととなりました。滝沢さんの戦い方は2020年の村上さん、2019年の沢崎さんのどちらとも異なり、南場親まではほとんど可能性がないが3位入賞をめざして全力に和了りにいくが、南場親が流れて以降は試合を壊さないように気をつけながらも打つというもの。
 特殊な条件であり、なかなかこなすのも難しそうにみえることを滝沢さんはひたすら最後までこなしていました。パブリックビューイングの会場では淀みなく一定のペースで打つ滝沢さんの姿を小林さんが好評していたそうです。

 この滝沢さんの打ち方はわせりんさんのnoteに即すると、正しい打ち方と言えるかと問われるとそうでないように思います。しかし、実際にほとんど批判の声はなく、小林さんの様にむしろ賞賛されているコメントが圧倒的に多かったように思いました。
 賞賛が多くて批判が少なければ=正しいではありませんが、私はこの滝沢さんの打ち方は今のMリーグが求めているものやガチとエンタメの要素など、あらゆることを考慮した上で現状では最善の打ち方だったのではないかと思いました。


 打ち方に関して滝沢さんのコメント。地和だけは和了する予定だったそうです。わたしはこれは「地和は役満だから、珍しいからさすがに和了します」って解釈していたのですが、これって「チーホーならユーホー」イベントに掛けていたんですね。「UFO貰えるからさすがに和了します」っていう意味で。全く気付いていませんでした。
 この局面のコメントは説明不備でもあれば叩かれそうな要素もあり、言葉選びの慎重さが求められていたと思いますが、シリアスな説明をした最後にユニークさも交えることができる滝沢さん。ガチとエンタメどちらも疎かにしていないMリーガーの鏡だなと心底感心しました。



KONAMIの対応がよかった

 今年の最終戦について、もう一点良かったなと思ったことがあります。それはKONAMIが事前に選手の方針をツイートして示していたことです。

 目無し問題というそもそも明確な正解がない事案に対して、どういう方針を選択するか以上に、その方針を「事前に共有する」ことが大事だということを、KONAMIの運営は理解しているのです。
 指針をはっきりと示すことで、選手を批判から守り、視聴者の混乱も防ぐ、どちらにも配慮されていると感じました。KONAMI運営もまたガチとエンタメどちらも重要視していることがうかがえます。こういった「運営が正しく機能している」感じっていいですよね。体制の充実具合も少なからずチーム人気につながっているのではないかと思いました。

運営の対応について(少し脱線)

 運営側の姿勢に対して。本件とは関係ありません。
 私は別の記事で丸山さんが出演しているコラボ企画に対し、ドリブンズの選手と運営公式ともにノーリアクションであったことに苦言を呈しました。

 しかしそもそも赤坂ドリブンズ公式運営はこれに限らず、3/10のドリブンズの最終試合以降、一度も発信していませんでした…。ファイナルや表彰式、閉幕に関してもスルーです。さらに言うと3/11=敗退が正式に確定した日にも何も発信していません。

 運営側も選手と同じく、競技色が強くてこれら周辺への配慮が疎かな印象を受けました。今回のコラボ企画どころの話ではなくて、ファンへの配慮やチームの在り方についてはもっと根底的なところから問題があるように感じました。
 *私は「運営はこういったことに反応しなければ悪」みたいな窮屈な考え方をしているわけではありません。記事中では説明していますが、一応注釈します。

 このドリブンズ運営についての疑問についてで一本書こうか迷いましたが、、最近ドリブンズに対して苦言を呈する記事が続いてしまっているので一旦止めました。
 

雷電の運営は

 ちなみに3/11に同じく敗退が決まった雷電はというと、

 敗退に関してもちろんメッセージがありました。

さらに、麺麺位争奪戦については…

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 麺麺位争奪戦に雷電の選手は出場していないにも関わらず、リツイートしていました。


 その他にも最終戦、閉会式についてももちろん発信していますし、



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 いやいやいや、松ヶ瀬さんのスニーカー回しの動画にもRTしてんのかよ…。と一瞬思ったのですが、よく見るとこれは雷電オリジナルのスニーカーに関するツイートだったんですね。
 雷電の運営さんはレンジが広いなと感心させられました。

近藤さんの意見

 本題に戻ります。
 目無し問題について、最終戦に同卓していた近藤さんが「さやちゃんねるω」内でコメントしていました。

 要約すると、・タッキーは最高 ・目無しについて、敢えてルールで縛らないでほしい ・「この人はこの場面でこういう打ち方をするんだ」というのがむしろ見たい というもの。
 これはいかにも玄人らしい意見だと思いました。50年も生きていたら規定を整備することよりも、自由度があって人なりの選択を見たくなるという、非常に余裕のある興が深い考え方だと思いました。

まとめ

 Mリーグ2021最終戦の滝沢さんの打ち方は正しくないという見方も当然できると思いますが、Mリーグの視聴者層と大会の規模、今後の麻雀界発展の影響を考えたうえで、私は「すべてのバランスを取った1つの折衷案」であったのではないかと思いました。
 また、今回滝沢さんに「最後まで全力で和了しにいけよ!」というような批判がほとんど見られなかったのは、それをやった結果放送番組的にどうなるかを村上さんが一年前に示してくれていたことも大きく影響しているようにも思いました。つまり、村上さんの前年度の選択もまた、視聴者の意識へ影響していてとても大きな意味があったと思います。
 このように、歴史を積み重ねることによってある種の答えに近づいていくのが理想的なのではないかと思いました。何年後かには村上さんの打ち方を選択しても多くの視聴者に認められるようになっているといいですね。

おわり

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