見出し画像

#エッセイ 『ごめんねコウちゃん』 創作大賞2024 応募作品

 私は、長い間、自分という者について価値があるとは、思ってはいませんでした。
 人と人が出会うという事は、本人の意識や都合とは関係なく、例え短い期間であろうとも、何らかの絆が生まれているものだという事も知りませんでした。
 人生百年時代になり、その半分そこそこの人生を生き抜いて来たのですが、長いようで、あっと言う間のようでもあります。
 人は、誰でも皆一人で生きています。自分の心の内は、自分にしか解り得ないし、所詮他人は他人、完全に解り合えない他者なのです。
 それ故、人は寂しく孤独なのです。そうして、その寂しさが他者を求め恋うるのです。束の間の安心と温かさを得る為に、誰かと寄り添いたくなるのです。人と人の絆は、生きる為の希望と溢れる愛情に育まれているのです。神様の贈り物なのです。

 人生とは、海原へ小舟で漕いでゆくひとりぽっちの旅なのです。
 時に、穏やかな海であったり、時に嵐のような海であったり、いつも何かしら予期せぬものに遭遇します。
 満天の宇宙そらの星々が瞬くように、自分と他者の心の耀きが瞬くのです。そこには、涙あり、笑いあり、美しい花も咲いています。そして、悲しい後悔に沈む日々もあるのです。

 そんな後悔の日々となった、私の青春の片隅に咲いた美しい花。コウちゃんのお話しをします。
 取り返しのつかない後悔。今でも思い出すと胸が苦しくなり、哀しみに押し潰されそうになるのです。

 それは、私が最初の入院をした高校二年の夏休みの出来事が始まりでした。
 私は、中学に入ってからずっと副鼻腔炎に悩まされていました。日常生活を送るのも苦しく、ストレスとコンプレックスの毎日でした。
 春になると花粉症になり苦しい思いをする人なら解ると思います。いつでもどこでも鼻汁が出るのです。ポケットティッシュは、私の必須アイテムであり、御守りでもありました。
 それは、思春期の私に立ち込める暗雲で、授業中や体育館での集会などでは、鼻をかむ事も出来ずに鼻汁を飲み込んだり、又は注目されながら鼻をかまなければならなかったのです。
 そのせいか、私は目立たないように、そして小心者で臆病者になっていました。

 生活の全てが鼻づまりが原因で憂鬱でした。勉強にも支障をきたしていました。鼻づまりで脳が酸素不足で記憶力が著しく落ちていたのです。
 所謂、落ちこぼれ状態なのでした。こんな私にどうして価値など見いだせましょうか。私は、何をしても面白く無く心が踊らないのでした。

 それでも何とか高校に入り、二年の夏休みに、ようやく手術をすることになったのです。蓄膿症=副鼻腔炎の手術は、上唇と歯茎の間を切開して、鼻の骨を削るそうです。
 考えただけでもゾッとします。気持ち悪いですよね。でも、私は恐くはありませんでした。この苦しみから救われるのなら何の事もないのでした。
 親友には、お見舞いに来ないでと頼みました。術後の腫れた顔を見られたくなかったからです。まだ、花も恥じらう乙女なのでしたから。

 いざ、入院すると退屈で、学校では簿記検定試験もあり、私はその資格を取りたいのでした。今頃、級友達は試験に向けて頑張っていると思うと、いたたまれません。後で、親友がノートを見せてくれると言っていたのですが、自分には人並みの未来も無いように思えたのです。
 手術は無事成功しました。いや、成功と言うより、風邪を引かないようにと注意されました。
 折角、手術をしても、風邪を引くと又、蓄膿症になると言われたのです。大事を取って1ヶ月の入院になりました。

 手術前の検査も終わった頃、階段で一人で遊んでいる男の子と出会いました。彼は、くりくり坊主頭でほっそりして、賢く見えました。

「あなたは、何歳?」
 と、私が聞くと、

「8歳。」
 と、答えたのです。

「お姉ちゃんは何歳?」
 聞かれて私は、
「16歳。」
 と、答えました。

「へぇ~、しょう…、中学生だと思った。」

「そう、童顔だからね。」
 彼の言葉に、少し傷ついていました。

「僕、小学二年になるけど、今、病気で学校に行ってないんだ。」

「そうなの?大変だね。」

「でも、もうすぐ行けるんだよ。3ヶ月くらいしたら…。」
 と、明るく話すのです。

 私は、彼が遊んでいるバネのオモチャに興味を持ちました。

「その、オモチャ面白いね。」

 バネのオモチャは、階段の上から一段づつ下にゆっくりと落ちて行く、単純な遊びなのでした。
 まるで、生き物のように動いて移動するのです。

「これね、毎月お見舞いに来るお兄ちゃんから貰ったの。」

「土崎のお祭りで買ったんだって。」

「そうなんだ、面白いね。」

 そんな会話をしながら、私と男の子は暫く遊びました。

 私の病室は、六人部屋でした。程なく、隣のベッドに私と同じように手術をする女の人が入院して来ました。
 彼女は、美人で明るく数人の男子が見舞いに来るのです。
 その度に、私は眠ったふりをして、背中をむけました。
 すると、
「隣の娘は何歳なんだい?」
 と、その取り巻きの一人が彼女に聞いていました。

「私より一個下よ。」

「へぇ~、小学生かと思ったよ。」
「君とは全然違うね。なんと言うか~…。」

「それ、どういう意味よ。」
 と、彼女は少し笑いながら怒っていました。

 小声だけど聞こえて来たのです。
私は、恥ずかしいやら情けないやらで、寝返りをしながら布団を覆って聞こえない振りをしたのです。

 そんな頃、あの男の子が同じ病室に移って来ました。男の子のお母さんは、いつも付き添っているのです。ずっと病室で、寝泊まりしていたようでした。
 男の子の名前は、「コウちゃん」でした。確か、病室の名札に宏司と書いてあったような気がします。お母さんはいつも「コウちゃん、」と、呼ぶのでした。

 隣のベッドの彼女と私は、私のベッドで女子話に花を咲かせていました。すると、コウちゃんが近づいて来て、

「お姉ちゃん達、何話しているの?」
 と、聞いて来たのです。
私は、コウちゃんも誘って、三人でベッドに入り、色んな話をしました。
 コウちゃんは、物知り博士で何でも知っているのです。
 宇宙の話しや星の話し、物語を話して聞かせてくれるのでした。私達は仲良し三人組になって、時々ベッドでお話しをしたのです。
 隣の彼女が退院すると、病室は静かになりました。殆んど誰も見舞いに来ません。
 私は、1ヶ月あまりの入院を終えて退院することになりました。
 その日が近づくにつれて、コウちゃんは、機嫌が悪くなり、お母さんを困らせるようになりました。僕も家に帰ると駄々をこね始めたのです
 お母さんは、困っていましたが、最終的にお医者さんの許可を得て、私より先に一時退院をしたのでした。
 「お姉ちゃん、僕も退院だよ。又入院だけどね。今度、見舞いに来てね。きっと来てね。」

「分かったわ。でも、その頃にはコウちゃん、もう退院しているかもよ。」

「大丈夫。僕待っているから、必ず来てね!」

 私は、退院出来る嬉しさで、コウちゃんの悲しい気持ちを考えていませんでした。
 やっとこの塀から抜け出せると思うと、水を得た魚のように心が踊るばかりなのです。

 退院後、私はすっかりコウちゃんの事を忘れていました。いや、忘れた振りをしていたのです。頭の隅にコウちゃんの見舞いに行かなければと思っていたのですが、考えない振りをしていました。
 それほど、高校生活は楽しく充実していたのです。どんどん月日は流れました。

(今頃行ってもコウちゃんは、もう退院しているよな~。)
 と、思って逃げていたのです。

 もう、あれから一年以上も過ぎていました。高校三年の夏休みが過ぎた頃、講師に来ていた研修生のMさんが、土崎病院へ入院したと聞かされました。
 彼は、私の所属する科学部にも来てくれて、私達生物班にアドバイスをしていたのです。
 親友でもある部長のSさんが、私に一緒に見舞いに行こうと誘いました。私は、コウちゃんのことが頭に過りました。もう、退院しているかも知れないけれど、お見舞いに行こうと思ったのです。
 お見舞いに何を持って行くか悩んで、途中の玩具家さんでプラモデルの戦車を買って持って行きました。
 最初に、講師のMさんにお見舞いに行きました。私は、親友のお供のような気持ちなのでした。
 Mさんの見舞いの後に、コウちゃんの病室を探したら、同じ病室にコウちゃんの名札がありました。
 私は、おずおずと病室に入り、コウちゃんを探しました。
 コウちゃんは、すっかり変わっていたのです。顔は、赤く膨れて太っているように見えました。私の知っているコウちゃんの面影は、どこにも無いのでした。
 私は、自信なく、「コウちゃん?」
 と、声を掛けました。
 コウちゃんは、ベッドに座り、喜んで私を見ました。
 すると、ひそひそ話しが聞こえて来たのです。
(やっぱり、呼ばれたんだべな~。)
(最後に会えて良かったごど…。)
 辺りのベッドから聞き取れないほどのヒソヒソ話しが聞こえて来ました。
 私達の事を話していると思わなかったので、私は明るくコウちゃんに言ったのです。

「コウちゃん、太ったね~。分からなかったよ。」

「これお見舞い。何がいいか分からなくて、プラモデル好き?」
 戦車の絵柄のついた箱を手渡しました。
 苦しそうにしながらもコウちゃんは、

「ありがとう!僕、絶対作るからね。」
 と、笑って言ったのです。

「うん、上手に作ってね。」

 私は、余りの変わりように、話すことがなくなりました。
 長居をしてもいけないと思い、
「又、来るね。」
 と、言いました。するとコウちゃんは、

「待って、もうすぐお兄ちゃんが、お見舞いに来るから、お兄ちゃんに会って欲しいんだ。」
 と、言ったのです。
 コウちゃんには、お兄さんは居ないのでした。時々見舞いに来る優しいお兄さんのことなのです。
 私は、暫く他愛の無い話しをしていたのですが、長い時間のような気がしました。
「ごめんね。そろそろ帰らないと、又、来るからね。」
 そう言って病室を出ようとしたら、

(そうだ~、余り長く話すと身体に悪いからな~…。)

 同じ病室に入院している、お婆さんの声のような気がしました。
 出口の前で振り返り、バイバイをして病室を出ました。
 (コウちゃんは、どうしてあんなに太ったんだろう?)
 私は、あまり深くも考えずに、約束を果たした事に安堵していました。

 それから、簿記検定試験や就職活動やらで、私はすっかりコウちゃんの事を忘れていたのです。
 講師のMさんの研修期間も終わり、私達科学部員は、彼の招待で秋田大学の研究室を見学することになりました。
 研究室は、薄汚れて散らかっていました。いろんな機械で溢れていました。
 何も知らない私は、そんな感想しか持たなかったのです。でも、Mさんが立派な人だとは思いました。私とは程遠い世界の人と思っていたのです。
 それ以上の感情は持つ筈もありません。17歳の私には遠い存在なのでした。
 見学が終わって、親友とMさんの三人で、喫茶店に入り将来の事を話したのです。たぶん、私はジュースを飲んでいたように思います。
 Mさんの話を、軽く聞き流していると、何やら付き合って欲しいような話しで、私は親友と付き合うのかな?と、思っていたのですが、どうやら私に聞いているようでした。
 話の内容にピンと来ていない私は、何と答えたか覚えていません。
 おそらく、狐につままれたような顔をしていたのでしょう。話は有耶無耶に逸らされ、私達は講師の先生と別れたのでした。
 親友は、
「どうして断ったの」と、聞いたように思います。
「別に好きとか分からないから。」
 と、あっさり答えたようにも思います。
 将来有望だとしても私は恋愛結婚を夢見るお年頃だったのです。
 そして何故、講師の先生は、私に交際を申し込んだのか、さっぱり理解出来ませんでした。
 これと言って取り柄もないし、ちびまる子ちゃんみたいだし、美人でもないし、頭も良くないのに何でだろう?
不思議でした。

 冬休みに入ると就職も決まり、何もすることがありませんでした。
 田舎の田舎の小さい村で育った私にはそれが日常でした。
 私は、ぼんやりと手持ち無沙汰のまま、飽きもしないで窓の景色を楽しむのです。
 窓越しに見る笹の葉から、雪が落ちる様や、やぶから雀の飛ぶ姿を日永一日眺めて過ごしていました。
 その日も朝ごはんを食べて、のんびりだらだら過ごして居ると、玄関にある黒いダイヤル式の固定電話が鳴りました。
 田舎の大きい家なので、広いピカピカの廊下を母が電話に出る為に通って行きました。その廊下は、母の自慢の廊下で、いつも綺麗に磨かれていたのです。滑って転びそうなくらいに。

「ええ、そう、分かりました。」
 
 母が私を呼びました。
「あなたに、電話…。話しがあるそうよ。」

 母は、神妙な顔で受話器を手渡したのです。私は、何だろうと思い、おずおずと受話器を受け取りました。

「突然、ごめんなさいね。宏司は、昨日亡くなりました。あなたに貰った戦車のプラモデルを作って亡くなりました。」

「もう、駄目だと言われてから、三日間も一生懸命作りました。それで、戦車をあなたに貰って欲しいのです。」

「…。どうして?そんなことに…。」

 あまりに突然で、受け入れられなかったのです。

「出来れば、家に来て下さい。そして、戦車を貰って欲しいのです。」

 立ち尽くす私の耳に、コウちゃんのお母さんの声が遠くから聞こえてくるのでした。
 私は、すぐに返事が出来ませんでした。
 突然の訃報が現実だと悟った時に、悲しみの涙が次から次に頬を伝うのでした。
 やっと、声を出して、

「私には貰えません。」
 と、言ったのです。

「そんな大切な物を貰う資格は、私にはありません。」

「どうか、お母さんが大切に持っていて下さい。その方がコウちゃんが喜びます。」
 と、答えたのでした。

「そんな事を言わないで、貰ってくれませんか?」

「ごめんなさい、とても…。」

「そうですか、解りました…。」

「お見舞いに来てくれてありがとう御座いました。宏司はとても喜んでいました。ありがとうね。」

 私達は、悲しみに泣きながら電話を切ったのでした。
 こんな事ってあるのでしょうか?
私は、なんて馬鹿だったんでしょう。
コウちゃんが、それほどに具合が悪かったと思ってもいませんでした。そしてこんな偽善者の私を待っていたのです。
 自分の事ばかり考えて、コウちゃんの事を考えていませんでした。
コウちゃんに申し訳なくて、申し訳なくて、色んな感情に涙が込み上げて来るのでした。
 コンプレックスの塊で自分なんて誰もなんとも思っていないと決めつけていたのです。
 私は、コウちゃんの家の住所も知らないし、電話番号も知らないのです。
 コウちゃんの事を何ひとつ知ろうとしていなかったのです。
 それなのに、コウちゃんは、私を待っていてくれたのです。きっと会いに来てくれると信じていたのです。
 八歳のコウちゃんより、私は全然なってない。人を大切に思っていない。人と人の繋がりを軽く考えている大馬鹿者の愚か者だったのです。
 今でも、くりくり頭の可愛くて、ちょっぴり大人びたコウちゃんを思うのです。
 三人でベッドに入り、星の話しや宇宙の話をしたのを思い出すのです。
 健康で生まれていたら賢い大人になっていたでしょう。
 人には、後悔しても後悔しきれない出会いがあります。短い間でもその人の心に残る出会いがあるのです。
 コウちゃんと出会って、コウちゃんの思いを知り、私は自分の価値を知ることが出来ました。
 こんなちっぽけな私でも必要としてくれる人が居ることを、誰かの役にたっているのだと思うのです。

 あれから、私は結婚して三人の子供に恵まれました。
 三人目の子供が男の子でした。舅は喜んで名前を考えたのです。
 最初は、「アスカ」とつけようと思ったようでしたが、町内に同じ年に生まれた「アスカ」君がいました。
 私はコウちゃんの事が忘れられなくて、「コウ」と、つく名前がいいなと言ったのです。
 そうしたら、舅が「浩司」とつけてくれました。
 私は、何度も何度も幼い息子を呼びました。
「コウちゃん、おいでコウちゃん。」
 そう言ってあの頃の自分を償うように、息子と心の中のコウちゃんを抱き締めるのでした。
 息子は、名前の謂れは知りません。でも、私は何度もコウちゃんと呼ぶ事が出来たのです。

(ごめんね、コウちゃん。もっと早く会いに行けばよかったのにね。)

 後悔しても後悔しても、コウちゃんはもう、この世には居ません。
 今でもコウちゃんは、私の記憶の中で、八歳のカッコいい男の子なのです。

─ 完 ─


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?