あずさえ日記 6/15 晴れのち曇り
令和 6 / 6 / 15 (土曜)
天気 晴れのち曇 気温 21 ~ 31 ℃
とうとう、31℃になるようです。
本格的な真夏日が来ました。
まだ、夏物を準備していません。
今日します。
この衣替えの準備が一苦労なのです。六畳の部屋には、洗濯物干しが置かれ、ストーブとテーブルとベッド、炊飯器、テレビ、整理タンス、三面鏡などで狭くなっています。
同居すると殆んどこんな暮しになると思います。
今までいかに恵まれた環境にいたのか気付きます。そうして、用済みとなった物置小屋の物達のように、この六畳で老いた連れ合いと二人ひっそりと暮らしています。
もしも、一人になったら寂しくて死んでしまいそうです。
私の友人は皆未亡人だけど元気に暮らしています。私もそうなるのかな~?
嘗て、人々に幸せにをもたらし、稼働していた物達が、今はそっと息を潜めて沈黙しています。
物言わぬそれらの謙虚な佇まい。
懐かしい思い出と共に眠っているようです。幸せなのだろうか?
幸せであって欲しいと思います。
だけど、私はまだまだ働きます。
例え左脚が痛くても、サポーターをして何とか遣り過ごします。
どうして、左脚だけが痛いのでしょう? 肉離れが原因だと解っていますが、今度は脹ら脛も痛くなりました。痛みが伝染しているようです。
仕事をしないで、ゆっくり休んでいると早く改善しそうです。
休みの日には、なるべく横になって居ようと思います。
この左脚も酷使したせいかも知れません。でもまだ右足があります。
痛みに耐えて仕事をしている人は、私だけではありません。何処にでもいます。
勤務先の工場では、脚を引き摺りながらも働いている男の人がいます。彼は、昔自衛隊で働いていたそうです。
腰を痛めて去年手術をし、金属を入れたそうです。彼が手術をする前に、彼を励ますつもりで彼に言いました。
「きっと良くなるよ。一年くらいは大変だけど、きっと良くなるよ。」
と、上から目線で言いました。
彼は、術後に仕事に復帰しました。
障害者手帳も貰ったそうです。
それでも、痛みを堪えながら、脚を引き摺りながら仕事をしています。
彼に声を掛けたいのだけれど、軽はずみに治ると言った気まずさに、話し掛けれないでいます。
私も今、傷みを堪え脚を引きながら働いています。なんだか同志のような気がします。今度は声を掛けようと思っています。
「残念だったね。痛いでしょう?私も又、肉離れになっちゃった。」
と、笑いながら話せる気がします。
私達は、無理をしても働かなければならない現実があります。
強い意志とプライドが二人を支えています。
幸いこの会社は、こんな私達を雇ってくれているので有難いです。
この会社を立ち上げた人の深い慈愛を感じています。社風でしょうか。
工場の中は夏は暑いし、冬は寒いのです。従業員の辛さを一番良く知っているトップの人の謙虚さを感じるのです。
昔、高度成長期が来る前、農家の人は、誰も皆貧しかった。百姓は毎日毎日汗水たらし、食べる物もなく飢えに苦しんで死んでいった者達もいたのです。「おしん」の世界なのです。人身売買もあったそうです。
工場の創始者は、そんな現状に一筋の光りを作りたい、その一心だったのではないでしょうか。農閑期の冬場の仕事として、工場を作ったようです。
地域と密着していて、祭りの日には休みになっていました。
元会長さんは、七十五歳で三年前に亡くなりました。病気の体でも時々工場を視察に散歩をしていました。
彼の若かりし頃の夢がこの工場だと思います。みんなを幸せにする。
貧しい農家の暮しに光りを届けたいと、その思いを私は垣間見る機会がありました。
工場には、おそらく元会長が描いたと思う油絵が、飾ってありました。
私が来た頃は、粗末に飾られていました。地震で絵が落ちて床に置かれたまま放置されていたのです。
二年前に、安全衛生委員の人が、
「この絵は処分した方がよくない?」
と、言っていました。
私は、美術が好きだったので、美術愛好家として言いました。
「この絵は、価値がありますよ。この海のうねりに、ただならぬ覚悟のような情熱が感じられますよ。」
「そうか~、なるほどね~。」
そして、絵はきちんと金具で留められ、壁に飾られました。
「この絵、もしかして会長の描いた絵じゃないか?」
「ほら、SSって会長の名前じゃね~?」
「確か、斎籐信一だったよな~。」
私は、掃除の仕事をしながら、元会長を思い出します。癌を患い小柄な体が益々細くなっていました。穏やかな人柄のようで、いつも静かに笑っていました。どことなく上品で威厳があるのです。おそらく、そのようなDNAが流れているのでしょう。
私は、遠くで会長の存在を知りました。会社の日本庭園も垣根も会長が作らせたそうです。シルバーのお爺さんから聞きました。
ヘビースモーカーだったそうです。
会社の未来を考え思考する時、彼は煙草に火を点けていたのでしょう。
そして、昨日、勤務先で、喫煙所が完成しました。長い間、喫煙禁止で、みんな隠れて煙草を吸っていたのです。
ほんとに良かった。だって、空き缶に煙草の吸い殻を入れたり、ペットボトルに入れたりしていたのだから、
几帳面な私としてはストレスでした。綺麗に洗って捨てたいけど、時間がないから出来ないのです。
以下が日本庭園です。
この素敵な工場で私はこれからも頑張って働きたいのです。
私と同じように脚を引き働く、彼は私の希望です。
痛みに耐える強い精神力。それは、ある意味孤高の美しさです。
そして、自分を鼓舞します。
頑張れ私~、頑張れ、同志諸君よ❗
私達は、痛みという美しさの極みに存在しています。
一筋の光りを目指し、いざ、ゆかん❗
─ 🍀 ─
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