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花すみれ日記 2/20

令和 6 / 2 / 20 (火曜日)
天気 雨のち曇 気温 8 ~ 2 ℃

 今朝は、蒸し暑い感じだった。
 気温が、12 ℃~ 2 ℃と段々と下がって来ました。
 朝は、ストーブを点けながら半袖で過ごしていました。じゃあ、ストーブを消したらと、お思いでしょうが、洗濯物が乾かないのです。
 久しぶりの半袖は、開放的になり若くなった気分がします。
 いよいよ、春の訪れかなと思いきや、今週は寒くなり雪のマークも出ていました。
 三寒四温の繰り返しが、何だか綱引きをしているように感じられます。
 今朝は、湿度も高くて気分も滅入りがちです。
 こんな日は、日永一日布団で眠りたくなります。
 そして、春の雨音を聞くと、遠い昔の記憶が思い出されるのです。
 おそらく其は、私が生まれて一番最初の記憶と思います。一歳か二歳頃のようですが、ハッキリとしていません。
 誰かが私を手招きして、
「おいで、」と、呼んでいるのがぼんやりと浮かびます。
 私は、覚束おぼつかない足取りで向かいますが、じれったいほどにたどり着けません。
 その人は、笑いながら私を見ています。それが、たまらないほど嬉しくて心踊らせ近づいて行くのでした。
 座敷の襖は、全て開けられていて、敷かれた布団で添い寝をしているのです。柔らかい乳房に抱かれ。
 縁側では、雨が簾のように降っていて、私は眠りにつくのです。
 昼寝の時間のようでした。
 それは、私の楽しみになり、その時間を待ち焦がれるようになります。
 毎日、毎日、母=(誰か)の胸に抱かれて幸せなのです。
 その日も添い寝をするのを楽しみにしていたようです。
 けれども、その時間は待っても待っても来ませんでした。
 「どうして?」
 いつまで経っても、その幸福な時間は二度と訪れないのでした。
 幼い私は、いつまでも、いつまでも、その幸福な時間を待っていたようです。
 成長と共にその記憶は薄れて、すっかり忘れていました。
 長雨が続くと、その記憶が甦り、簾のように降る雨の情景と二度と来なかった幸福な時間を思うのです。
 そうして、何時までも雨の音を聞きたくなるのでした。
 今思うと、私の家は農家でしたので、たぶん長雨が続いて、母も野良仕事に行かなくても良かったのだと思います。
 母にとっても幸せな時間だったと思うのです。
それでは、以前書いた詩をお届けします。

『 をんな三界に家なし 』

私の髪はすっかり白くなってしまった
家族の為に寝る暇もなく働いて
今では 腰も曲がり
耳まで遠い

あのふくよかな手は血管が浮き出て
顔には染みが出来て
萎びた茄子より尚悪い

日がな一日働いて
三度の飯の支度して
ああ、それだけで一日が終わる

病の時でも
飯はまだかと急かされて
厨に立つのは当たり前

なんの為に生きるのか?
生きる意味を自問して
己れを己れで傷つける

ああ、
それでも生きる意味があったのだろう
母と呼ばれて慕われて

人並みの暮し欲しさに
汗水垂らして働いた
欲は持たず
いつか いつかを夢に見て

ああ、
されどもこの有り様だ
老い去らばえて目も見えず
歩くことさえままならぬ

ならばこの身を姨捨山おばすてやまに捨てられようと恨むまひ

をんな三界に家なしと彼の人は言う
されど「母」と呼ばれた幸せに
なんで辛かろう
苦しかろう

「ありがとうごぜえますだ 神様。」

「この世に生まれた幸せは三界の種となりましょう。」

─母の涙を拭う時
─私は悲しくなるのです
─春の埃でざらつく道は
─何処までも 真っ直ぐに霞んで
─涙で見えなくなるのです

『 をんな三界に家なし 』

  ─ 林 花埜 ─

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