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浪板海岸にて ep.3

 翻弄されて、ぐったりした身体に寄り添って、大丈夫?なんて聞いたりして。主導権を握ってご満悦のわたしに、あなたは力のない笑顔を向けている。

 目が合って、重ねた唇を離さないまま、その手が下へ下へ曲線をなぞっていく。思わず身をよじると、もう俎上の鯉だった。もう少し波でいたい、さばく側でいたい…。それなのに、されるがままになってしまうのは、快楽の恐ろしさでしょうか。

 そこに近づいたら大変なことになる。いや…大変なことになったっていい。意味もない葛藤が頭をかってに駆け回る。そうしているうちにも新しい洞窟を探検するように、あなたの手はやってくる。この洞窟にはどうやら潮が満ちている。表に触れただけで溶けた感触。敏感だねと言われても、他の人のことは知らないけれど、あなたがいうならきっとそうなのでしょう。

 するりと洞窟を覆う布もなくなり、潮に満ちた入口を上に下にとなぞって、わたしから声が漏れると主導権を取り戻したあなたは満足そう。仕方がない、さばく権利を渡します。

 波のあなたがもってきた快感で、何かがあふれ出しそうな感じがしていたけど、こういうことだったの。この場所にあふれていたの。さあどうぞおはいりなさいと洞窟は勝手に誘っている。頭はまだそんな展開に追いついていないのだけれど、あなたの指と洞窟は結託しているみたいだ。

 大丈夫?とあなたは聞いてくる。わからない。大丈夫ではないといったところで、わたしは満たされない。大丈夫といえば、あなたは洞窟の入り口を進んでいく。どうしたらいいだろう。洞窟を満ちた潮が超えそうで。あなたの指先は、快楽の世界に行こうと誘っている。もうこのままでいることはできなくて、はい、とこたえる。

 いれてもいい?この言葉自体にエロスもなにもないけれど、状況しだいでとてつもなく甘い響きになる。わたしとあなたはこの部屋にふたりきり。夜に布団の上で肌をさらして求め合っている。互いの身体の準備がととのった。ここでの、いれてもいい?はもちろん壁にコンセントを、でもないし、卓上にある急須でお茶を、でもない。わたしの中にあなたのものをという意味。

 古事記の中に日本最古の性描写がある。伊邪那美がわたしに足りないところがあるという。伊邪那岐がわたしには余計なところがあるという。ではそれを合わせましょうという。いま目の前に原始的で変わらない営みがある。どれほど便利なものが発明されようと、どれほど性の営みが巧みに隠されようと、わたしたちは互いにあるとないとをあわせて新しいものを生み出していく。

 伊邪那岐からの問いかけに、はいとこたえる。あなたは暗い部屋で悪戦苦闘して互いの身体のためにその余計なところに膜をかぶせていく。横でそれを見つめていたわたしの肩をだきよせて、静かに布団へ横たわらせて、あなたはわたしの上にやってくる。見つめあって、その目が切なくて、唇を重ねて。秘境を隠す山があなたの手によって開かれる。

 伊邪那美のように足りないところを差し出す。余計なところは足りないところを満たすには少し大きくて、ふたりして驚く。ふふっと笑う。ゆっくりゆっくり、また波の満ち引きのように寄せては返して、寄せては返して。二度目は一度目より、三度目は二度目より、ゆっくりゆっくり洞窟の中へ中へと波があがってくる。最後の一波、あなたはいくよといって、それから腰をぐっとしならせて、わたしを手繰り寄せた。

 入り口と付け根が重なりあう。唇を重ねるみたいに、じっとりと味わいあっている。息がもれる。あったかい…と力なく笑う。そんな顔みたら、気絶してしまいそう。今、わたしはあなたで満たされて、足りないところがない。洞窟の奥にある扉を、あなたはゆっくり押す。このときの気持ちをどう言葉にしたらいい。このときのとてつもない快感をどう言葉にしたらいい。

 わたしとあなたの身体がひとつの場所を通じてつながっている。きっとわたしは恍惚と苦悶の表情をしていたでしょう。あなたもきっとそうだったでしょう。身体全体が感じたことのない快楽とぬくもりで満ちてゆく。ずっとこのままつながって、折り重なっていられたらと願うほどに。今いがいの瞬間なんて考えられない。ふたりの世界のことしか考えられない。考えたくない。性の快感は脳にとって麻薬のようなものだと聞いたことがある。ほんとうに、いまばかりはそうだと言える。

 しばらく折り重なったまま、あなたのものがわたしの身体になじむまで、じっと待つ。窓の向こうの世界が流れ込んでくる。月はとっくに真上を通り過ぎて、光の角度も大きく変わっていた。いったいどれくらいの時間がたったのだろう。わたしは今あなたを受け入れて、生温かい熱を感じている。じんわりとお互いの熱を感じて、どうしてだろうか、さらに潮が満ちていく。

 わたしは足りないところを持つ側だったからわかる日はこないけれど、一度は余計なところをもって、愛しい人の中へ入ってみたい。どんな気持ちになって、どんな感覚なのか味わいたい。そんなこと言ってあなたを困らせてみたい。きっとあなたも受け入れる側の快感を味わいたいというでしょう。

 動かすよという優しい声に、窓の世界はまた遠くなる。あなたの熱っぽい身体がわたしから離れて、つながった場所の熱だけを感じる。その熱がすこし遠ざかって、また深くまであがってくる。遠ざかってはあがって。そのたびに洞窟の扉が優しくたたかれる。

 暗い世界では目の力はおとなしくなる。いま一番力をもっているのは熱と音。あたたかくてしっかりとしたものが、ぬつぬつと狭い道をおしあがってくる。互いの声がときおり吐息とともに漏れて。

 始めは何も見えなくて恐るおそるだった探検者も、その敏感な感覚で洞窟の様子がわかってきたらしい。すこし、またすこし、熱があがってくる速度がはやくなる。とんとんとんと、扉が何度もたたかれる。でも激しいと形容されるようなことをあなたは決してしない。激しいことが快感を連れてくると思っていないから。

 あからさまにつながっている部分なんか見えなくていい。見なくていい。もうたまらない、ずっとこうしていよう。互いのエクスタシーを感じる表情が向き合って、視線がまじわる。あなたは甘い言葉とため息をもらす。そうしてまた互いの唇へ。

 ふさがれ漏れ出す先を失った快楽の声は、この世界をよりみだらなものにしてくれる。理性的とはほど遠く、普段なんだか難しげな言葉ばかりを使うあなたが、なんにも言えなくなっている。こんなことしかできなくなっている。余裕のない表情、余裕のない言葉、余裕のないふるまいに、すごく気持ちいいとささやく。

 余裕のないまま、一緒に快楽の海へ堕落していく。でもわたし、やっぱりこれを動物的な快楽とは言いたくない。ふたりでつくりあげた快楽だと言いたい。


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