遠野の温麺&真夜さん短編

りもかも/董來です。
突然ですが遠野に行ってきました。

盛岡温麺

温麺です。名前は盛岡温麺でしたが、遠野で温麺を食べるという数年来の目標を達成できてよかったです。とてもおいしかったです。
ちなみに「うーめん」と注文したところ店員さんに「おんめん」と修正されました。ひょっとしてこれは盛岡冷麺のあったかい版だから温麺(おんめん)なのであって、鼎さんの好きな温麺(うーめん)はまた別にあるのではないか? という考えが脳裏をよぎりましたが、遠野に長逗留できる訳でもないのでとりあえず今回はこの温麺をおいしく頂きました。

遠野に向かう高速バスの中で、雪の季節に遠野に行けるぞ!! と(この後積雪の中キャリーケースをひいひい言いながら引きずる羽目になるとは露知らず)大はしゃぎし、前々から温めていた短編を一気呵成に完成させました。今回は、人型を得た後の真夜さんがうっかり鼎さん以外のお客人を人型で出迎えてしまうなんてことがあったらどうだろう? という妄想からスタートした話です。モブキャラがいっぱい喋ります。捏造、妄想、自己解釈のオンパレードです。実際の人物、団体、事件、地域等には一切関係ありません。
よろしければ読んで頂けますと大変嬉しく思います。


【真夜さんが鼎さん以外を人型でもてなす話】

「まぁ……。」
 感嘆のため息を漏らし、老女は立ちすくんでしまった。
 丘を越え、山を越え、森をくぐって歩いてきた、昼なお暗き陸奥の山の中。眼前にあるのは見上げるほど高く立派な黒い門と、全貌が見通せないほど大きな屋敷であった。建物全体が古くこそあれ安定感のある佇まいで、広い庭には美しく植物が植えられている。ほのかに家畜の臭いが漂い、門はつい今しがた誰かが通り抜けていったかのように開け放たれていた。
「あのう、ごめんくださぁい。」
 家は静まり返り、老女の声に応答はなかった。しかし門扉は老女を迎え入れるように開いている。慣れない山越えで疲れ果てていた老女は、ほんの少しだけ休ませてもらおうと、「すみません、お邪魔しますよ。」と門をくぐった。

 屋敷は広く、それでいてどこも丹念に磨かれており埃一つない。山中に無人のまま佇んでいるようにはとても見えず、毎日のようにこの玄関を出入りする住民がいるかのような屋敷であった。こんな山中にこんな屋敷を建てて住む者など、いるわけがないのに。
 老女はそっと履き物を脱ぎ鞄に仕舞った。すり足で廊下を歩き、広間へと出ると、そこには。
 そこには、菓子膳が一式、支度されていた。温いほうじ茶、小さなきな粉の和菓子、豆大福。どれも老女が欲しいと感じていた品ばかりであった。
 しかし、老女は膳にではなく、その側の障子に目を吸い寄せられた。そこには、日本座敷にはあまりにも不釣り合いな格好の男が佇んでいたのである。
 老女からすると見上げるような長身、かっちりと撫でつけられた髪、端正な顔立ち。しわ一つない立派な燕尾服。そんな男が、老女が盆の前に歩み寄るのを今か今かと待ち構えるようにそわそわとしているのである。
「まあ、これは失礼しました。お邪魔してしまって。」
 老女が驚いてそう言うと、男は一瞬きょとんと呆けてから、かっと目を見開いた。
「も、もしや、拙者の姿が見えているので御座るか?!」
 男は、格好はともかく口調は日本座敷に似合いすぎていた。老女は踵を返しかけたものの、ゆっくりとした動作でまた男に向き直る。
「突然失礼しました。山越えで疲れてしまって……。少し休ませて貰おうと思っただけですの。まさか家主様がいらっしゃるなんて。」
「い、いや拙者は家主というか、うむ……」
「……??」
 男は長い手足をばたばたと動かし、冷や汗を流しつつもごもごと何某か呟いている。この姿のままであったとは、今までどう戻っていただろうか、などという呟きの意味を老女が介することはなかった。しかし老女が踵を返そうとすると、その焦燥に満ちた顔を老女にまっすぐ向けた。
「お待ちを! こちらの膳は、拙者が貴殿に用意したものに御座る。どうか旅の疲れを癒して下され。」
「そんな。わたくしは勝手に上がり込んでしまった身です。食事まで頂いてしまっては申し訳ないです。」
「否、拙者はその……も、もてなすのが仕事というか……」
 わたわたと長い腕を動かす男にどうやら悪意はないらしいと気付いた老女は、ぽんと手を打った。
「貴方、このお屋敷の召使いさんなのですか。」
「そ、そうで御座る! そのぅ……留守を預かる身である故、旅の方が来られたら屋敷を貸してもよいと、しゅ、主人に仰せ使っている、ので御座る!」
 もちろん無理を言うつもりはないので御座るが、と彼はもごもごと口籠る。老女は自分が疲労も緊張も忘れて男と話し込んでいることに気がついた。最初に感じた長身の威圧感も存在の違和感も、彼のころころ移り変わる表情と賑やかだが柔らかな物腰の安心感が上回っていた。何より。老女は微笑んだ。己の孫ともいえるような若い男が自分をもてなそうとしている姿は可愛らしさがある。
「なら、お言葉に甘えさせて頂こうかしら。」
 男はぱっと笑った。純真無垢な子供のように裏表のない微笑み。
「ささ、どうぞ、お寛ぎくだされ。拙者はお茶を汲み直して参る故、一時失礼するで御座る。」
 男は頭を下げ、障子が音もなく閉まる。今男は障子に手を触れていただろうかと老女はふと思ったが、考えるのを止めて膳の前に腰を下ろした。人里からも山道からも外れた山の中にある、場違いなほど立派な長者屋敷。あまりに不釣り合いな燕尾服の色男が使う時代錯誤が過ぎる口調。何が起こってももう驚き様子がないほどに、不思議なことばかりが起こる。
(あの男の子が実は狸で、このお菓子は狸の糞、だなんてことだとしても逆に安心してしまうわね。)
 冷めたお茶で口を濡らし、きな粉の和菓子を口に運ぶ。水分も甘味も、もう暫く摂っていなかった。老女は豆大福を一口齧り、おや、と思った。皮の味に覚えがある。近所にある高級な和菓子屋の味であった。店主が凝り性で作り上げた一品で、門外不出の甘味だと言って自慢しているものだ。老女はその和菓子屋の豆大福に勝る皮の美味を知らない。その味が、この豆大福からした。
(……思った以上に疲れているのかしら。)
 また老女は緑茶よりほうじ茶が好みで、出されるならほうじ茶がいいのにと思いながら緑茶を飲んだことは数知れない。この膳には、初めから当たり前のようにほうじ茶が置かれていた。
 膳を一目見た時、化かされているのかもしれないと思ったのを思い出す。直後目に入った印象の強烈な男のせいで忘れかけていたが、偶然用意するにしてはあまりに出来すぎている。この膳は何なのだろうか。あの男は、この家は何だ。老女は感覚的に、あまり長居すべきではないだろうなと感じた。
「失礼するで御座る。」
 またしても音もなく障子が開き、急須を持った男が現れた。燕尾服に急須。愉快なミスマッチに思わず老女の顔が綻ぶと、男も微笑んだ。
「お口に合ったようで何よりで御座る。」
 男は湯呑みに追加のほうじ茶を注ぐ。一杯目に用意されていた喉の渇きを潤すための温さとは打って変わり、落ち着いて飲むのに丁度いい温かさで二杯目は用意された。
「ありがとうございます。失礼でなければ伺いたいのですが、こちらの豆大福、どちらでお求めになられたんですの?」
「えっ、ええと……」
 途端に男の目が泳ぐ。唇はあわあわと意味を持たない動きをし「しゅ、主人の趣味で御座る故、拙者は……」などと呟いた。
 召使い、の下りからずっと、老女はこの男の嘘に付き合っている。いっそ愛らしいほどに嘘が下手なこの男は、嘘や言い訳を用いる時に目がずっと泳ぎ、申し訳なさそうに眉が垂れ下がる。嘘をついていない時は喜色満面といった純な面持ちなだけに丸わかりだ。これで誤魔化される相手の方が少ない。
(主人、なんて方はいらっしゃらない。召使いさんではない。この家はこの方のもの。そして、ただ私をもてなしたいだけというのは嘘偽り一切ない本当。)
「あら、そうでしたの。とっても美味でしたわ、私の好きなお店の味に似ていて……。ご主人に感謝を申し上げたいくらいですわ。」
 男の顔がぱっと明るくなる。日が照るように、陽光のような温かさで男は笑う。
「お気に召して頂き何よりで御座る。しっかりお伝え申し上げるで御座る。」
 にこにこと笑う男につられて老女も笑う。山越えの疲労はもうすっかり消え去っていた。
 家を出なければ、という思いともう少しくつろぎたい、という思いを拮抗させながら老女がさりげなく横を見れば、なんとそこにはもう一膳、菓子膳が置かれていた。つい先程までは確実に無かった。思わず老女が目を丸くすれば、燕尾服の男が勢いよく立ち上がった。
「鼎殿!!」
 そのまま障子を勢いよく開いて玄関へ向かおうとして、慌てて「失礼するで御座る!」と老女に一礼し、男は廊下を走っていった。老女はぽかんと口を開けていたが、ほうじ茶の最後の一口を飲み切って腰を上げた。
(ひょっとして本当にいらっしゃるのかしら。噂のご主人。それとも、会う約束をしていたお友達かしら。)
 名前を呼んだ瞬間の男の顔ときたら。これまでの優しく、あたたかく、朗らかな微笑みとはまるで違った。頬がほてり声が毱のように弾み、嬉しくて嬉しくて堪らないというように顔中が笑っていた。どこか妖精めいていた男に、人間の如く血が通ったようにさえ見えた。老女はふふ、と微笑む。鼎殿。きっと素敵な人なのだろう。その人と入れ替わるようにお暇しよう。
 座敷から一歩外に出ると、玄関からこちらへ向かってくる盲目の男性と、彼を支える燕尾服の男と目が合った。彼が「鼎殿」なのだろう。男の何なのかは分からないが、きっと代え難く、大切で、大好きな人。
「大変長居してしまって、申し訳ありません。お暇させて頂きますわね。おもてなしくださって、ありがとうございました。」
 老女がそう言って頭を下げると、燕尾服の男も少々わたついた後に頭を下げた。
「こちらこそ、旅の疲れを癒して頂けたなら何よりで御座る。以降の山中も険しいもので御座ろう。貴殿の旅の安全を、お祈り申し上げる。」
 老女が通り過ぎようとすると、盲目の男が燕尾服の男を見上げ、こう言った。
「なんだ真夜、珍しいな。そのままもてなしてたのか。」
「鼎殿!?」
 真夜、と呼ばれた燕尾服の男を振り返る。また先程までのように目が泳いでいるかと思えば、男の目はまっすぐ「鼎殿」を見つめていた。「鼎殿」はいたずらっぽく笑っている。わざと私の目の前で言ったのだ、と悟った老女も笑った。
「真夜様と仰るんですのね。この度はありがとうございました、真夜様。」
「もったいないお言葉で御座る……」
 慌てながらも口調と態度は乱れない真夜を見て「鼎殿」はまた笑う。
「初めまして、旅の御仁。会って間もない身ですが、私も真夜の友人として、貴殿の旅の安泰をお祈り申し上げます。」
 「鼎殿」は目をぱちりと開く。白く濁った瞳は見えていないはずなのに、老女をまっすぐ捉えているように思われた。
 「鼎殿」に手を振られ、真夜の深々としたお辞儀に見送られながら、老女は黒い門を出た。狸に化かされたかと思えば、狸よりよほど奇妙で、面白い目にあった。この先で待つ孫娘に話したら、さぞ面白がってもらえることだろう。老女が笑みを零しつつ名残惜しく振り返れば。
 そこにはただ、鬱蒼とした森が広がっているのみであった。

「戻れなくなった?」
「そうで御座る。拙者、いつものようにもてなしの準備をしていたつもりだったので御座るが、あの御仁にあの通り姿が見えていたので御座る。鼎殿以外をこうもてなしたことはなかったで御座る故、そのう……辻褄合わせが難しかったで御座る。」
「ははは、言い訳したのか? 家主が留守の間に客人の世話を頼まれてる召使い、とでも言ったか?」
「す、すごいで御座る、鼎殿!! 全て聞いておられたかのような的中ぶりで御座る!!」
「まあ、一番思いつくのがこれだろうからな。とはいえ、あの御仁は気がついていたと思うぞ。」
「な、何故で御座るか……?」
「お前はとびきり嘘が下手だからだよ。」
「な、なんと……」
「いいじゃないか、お前らしくて。マヨイガっていうのは嘘をつく必要のないあやかしだ。あの御仁もお前の下手くそな嘘だから、むしろ安心できていたと思うぞ。」
「鼎殿……」
「ふむ、とはいえ戻れなくなったというのは奇妙だな。いつも俺が来る時には察知して“そう”なっているよな? その要領で戻れないのか?」
「それが……いつも鼎殿がおらぬ時は自分で自分を見られないで御座る故、人でいるかあやかしでいるか、あまり意識していないので御座る。」
「ふむ。人に見られて存在を確立させるあやかし故……といったところか。俺も学者ではないからな。ん? 菓子膳か?」
「はっ、そうで御座った。先程の御仁に菓子膳を用意したので御座るが、いたく喜んで頂き。これは是非鼎殿にも、と思ったところで鼎殿の来訪を察知したので御座る。」
「そいつはありがたい。頂くとしようか。……案外、俺が来ることをなんとなく察知していち早く人型になっていただけ、なのかもしれないな。」
「鼎殿が山中で呼ぶ前から、で御座るか。」
「あやかしの五感……五感なんて概念じゃないかもしれないがな。それらは人間とはまた違うだろう。ああ今日は俺が来るかもしれない、とお前が朝からそわそわしていたかと思うとなんだか愉快だな。」
「鼎殿……!! 拙者、いつ何時であろうと鼎殿を喜んでおもてなしさせて頂くで御座る……!!」
「はっはっは、じゃあ茶を淹れてくれるか? たまには縁側じゃなく座敷というのもいいものだな。」
「承知!」


以上です。お読み頂き誠にありがとうございました。

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