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勘違いの「流れに身を任せる」


流れに身を任せること



判断を委ねること


は 違う。

これまでの人生で、周囲の反対を押し切って
自分の意見を押し通したときに
結果、思い通りの未来を手に入れれなかった…

という経験があると思い込んでいた。

だから、わたしは自分の意見で動くよりも
周りの人の意見に身を委ねた方が
結果、幸せになるのではなかろうか…と。


だけど、
よくよくよーく考えてみると…
自分の思いや意見を押し通したときに
思った結果が得られなかったのではなく、
意地になったり、本音からの逃げだったり、
ごまかしだったり、妥協案だったり…
それが自分の意見なんだ!と
思い込むことにして進んだときに、
結果、望んだものとは
違った形になっていただけだった。

時には、
自分の意見を伝えても
思いを言語化し行動にしても
どうにもならないこと
うまく進まないこともあるだろう。

だけど、
意見を押し殺すこと
思いを押し殺すこと
誰かに自分のことを委ねることは

自分をしあわせにするチャンスを
自分から手放しているようなもの

なのかもしれない。と思った。

自分から手放しているのに
自分があきらめているのに

○○が言ったから…とか
わたしには才能ないから…とか
それはただの言い訳なんだよね。

そんなんじゃ
しあわせになれるわけない。

とか言っているけれど、すべてわたし自身。
とくに旦那さんの前で。
過去形にしたいけれど、今でも出てくる。


我が子の様子がなんか気になるとき、
保育園をお休みさせることすら
自分の意見を伝えきれなかった。
「どうせ旦那さんは反対する…」と。


だけど、先日、
どうしても行きたい場所ができた。
家から4時間半。

また得意の
「どうせ旦那さんは反対する」が
出てきた。
だけど、今回は自分で決めた。
決めたかったから意見を言った。
反対されたら考えよう!とあれこれ考えず伝えた。

反対されなかった。
(反対する余地を与えなかった?)

それでいいのだ。
反対されてもされなくても
もう決めているのだから。
自分が決めたのだから。

自分で決めたあと、
どうしようも決めようもないことは
流れに身を任せる。
それがわたしに必要できてくれているんだと。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました✳︎。

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