Pですか?Cですか?(人権学習を含んで)

確率の学習のとき
「Pですか?Cですか?」
と聞いた生徒がいた。
開いた口が塞がらない。顎関節が外れたかと思った。顎が地面まで落ちて目を剥いているイラストを思い出した。
中学校では並べ方と選び方で具体なパターンを学ぶのでそんなことは教えない。
公式覚えてラブ注入❤️は解の公式ぐらいですかね。それでも平方完成ってところから作るんだよ、ぐらいはやりますよ。
重ねて生徒曰く
「なんで、PかCか教えないんですか?」
この発言は
①ボクは知ってんねんデェ
②先生知らんの?アホなん?
③知らん奴らと一緒にはやってられへんからもっとレベル上げてよ

の、どの意味を含んでるのか?
喧嘩売ってるのか?もしくは
④純粋にPを使うのかCを使うのかを質問してるだけなのか?

つい売られた喧嘩は値切って買ってしまう私は
Pってなに?Cってなに?違いは何?
と言ってしまった。

どうやら④純粋派ではないようでだった。これには大いに胸を撫で下ろした。
④純粋派なら数学を公式の使い方を習う教科で「用意された問題」を解く手立て(正解を探す)を道順どおりになぞる教科と思い込んでいる。
「木工作品を作ろう」という授業で、教師が道具箱から道具を取り出して「これでここを回しなさい、打ちなさい」と言われるのを待っているようなもの。完成度についても教師が評価するから「やれと言われたことだけやる」というようなもの。
根本からの意識改革が必要となります。

さて、
①の意図なら
いろんなこと知っててえらいねー。でも、意味もわからんままやで。意味を知らないまま使うことは恥ずかしいことを自覚する必要があるよ。「ケンコーコツ」って言葉は知ってるけど「ケンコーコツ」を動かしたら健康になるねん。とか言うたら恥ずかしいやん。「ケンコーコツ」って骨のことやったん?とか言うのも恥ずかしいやん。「ケンコーコツ」剥がしたらええねん。ってイメージなく言っても伝われへんし、やることわからんやん。もう少し意味を調べてみてごらん。
②の意図でも
同じように言えます。先生を無能扱いしたがる「根拠のない無敵感」でイキってるだけなので、丁寧に諭します。へんにマウント合戦をせずにレイヤーを一つ二つ上げた位置どりで
「今はまだ内緒なぁ」
「レベル1ステージ1では装備なしやねん。チートって言われるん嫌やろ。初期装備でやらなあかんねん。威力やメリット・デメリットのわからんチート装備なんて使われへんやろ」「チートは嫌われる」「チートは学習にならん」
などと生徒に合わせて諭します。

③の意図ならかなり大変!
平気で差別的なことを言ったりやったりします。
自分中心で、理解の遅い子やさまざまな問題を抱えた子を見下します。「悪いこと」と思ってない場合は少し時間をとります。周りの子にも「今のは差別的である」と言うことをしらしめます。
②までなら個人の問題として扱っても良いでしょう。しかし、これはどこかに被害者がいるかもしれない。その子を救う為にも全体と会話をしなければならない。
差別は絶対認めないという教師の姿勢も示さなくてはなりません。

どれであれ、「知っている」ことで他の生徒より優位に立っていることは認めてあげなくては次から萎んでしまいます。

幸せとは「隣よりひと皿多いこと」と言った人がいます。
「あなたの幸せ、隣の不幸せ」
「あなたの幸せ、隣にしわよせ」

小さな差があるんですね。数日の時間差かもしれない、専門家とふれあったのかれませんね。自分で専門的な本を読んだのかもしれません。この小さなプライドをガツンとへし折って教師が喧嘩に勝ったかのように振る舞うと、悪くすると「数学の授業はオモロない」と思ってしまう。そして後が難儀です。

先行学習は悪いことではないが使い方によって人間関係を壊しかねない、自分の学習を立ち止まらせることもある。ということもあるというデメリットに気をつけてどんどん進めてガンガン学べ!と自己肯定感と課題意識を持たせるようにしています。

「承認欲求不満」なら「全体で説明してみる?」とヒーローにしてあげるのもいいですね。

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